「わかさいくる」完全走破(後編)。神秘の三方五湖を周回して敦賀市へ! | 自転車・MTB 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル

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2026.11.04

「わかさいくる」完全走破(後編)。神秘の三方五湖を周回して敦賀市へ!

「わかさいくる」完全走破(後編)。神秘の三方五湖を周回して敦賀市へ!
「わかさいくる」完全走破の記録。後編は若狭町から敦賀市まで。途中には三方五湖があり、淡水湖、汽水湖、海水湖が並ぶ珍しい環境を味わいながら周回! 沿道の「自転車の駅」で休み、その先のルートの道路事情を得る。そして、若狭湾の滋味を存分に味わう。市町の境を越えて新しい自転車旅の文化が始まっている若狭湾で、各地域の人々に温かく支えられながら全ルートを走りきった!

若狭町食見の入江のビジターセンターで、沿岸の自然を教えられた!

若狭湾の海はどこも透明度が高い。南方のサンゴ礁の海とは違い、地味な色彩。その色が日本海の豊かさの証しだろう。

福井県西部の嶺南地域2市4町にまたがるサイクリングルート「わかさいくる」。全長126.8kmも半分ほどに差しかかろうとしていた。西から高浜町、おおい町、小浜市を漕ぎ続け、小浜市の東端まできた。シニア男子ふたりの自転車旅ながら、レンタサイクルの高性能E-Bikeと、点々とあるサイクリストをサポートする「自転車の駅」のおかげで順調だ。その先は若狭町、美浜町、そしてゴールの敦賀市が待つ。ただ、寄り道が多くなった。リアス海岸、透明度の高い海、寒冷帯の豊かな森、森から湧き出る清流と、長い歴史を重ねて積み上げた人の営みが、豊かな食文化を生み、それに魅せられついつい食べてしまうのだ。

展示水槽の中を泳ぐハタの仲間。地元の漁師さんが届けてくれた魚たちだという。

走り始めて2日目、「福井県海浜自然センター」まできた。若狭町食見(しきみ)という珍しい地名だ。センターは自転車は停めやすくなっていた。館内はいきなり近海の魚を展示する水槽だった。エサやりができる水槽もあった。2階は、生きた生物を見ながら、若狭湾と三方五湖の生物をコンパクトに解説していた。三方五湖—-。そこは「わかさいくる」のルート上のハイライトであり、全国的にも珍しい自然環境だった。呼び名の通り、南西から北東に向かって三方湖(みかたこ)、水月湖(すいげつこ)、菅湖(すがこ)、日向湖(ひるがこ)、久々子湖(くぐしこ)と5つの湖が並び、北は日本海につながっているのだ。展示を見ていると、三方五湖から若狭湾までの水生生物たちは、かなり種類が多そうだった。

センターを出ようとしたとき、出入口の脇に貼られたチラシの言葉に惹きつけられた。「メランジュ」。いったい何だ? 戻って職員の方々に問い合わせると、やがて専門職員の岡本諭司さんがやってきた。そして、うながされるままに岩場の遊歩道へ一緒に進んだ。陸側は岩が剥き出しになった崖だった。どうやら、地質、岩石に関係するらしい。メランジュとはフランス語の地質学用語で「混成岩」を意味する。海岸でそれを示し、岡本さんがいった。「海底の海洋プレートが別の海洋プレートの下に潜り込むとき、潜り込みが起きている場所ではものすごい圧力がかかってメランジュができるんですね。そもそも海底にあるものが、この海岸では地上で見られます。それが珍しい。地殻変動で地上に上がったのですね」。

専門職員の岡本さんに案内され、海沿いの崖でメランジュを観察。
メランジュが示すように、食見の海岸は地殻変動で隆起したのだ。

ヨシノボリという魚から、淡水、汽水、海水での生物の営みの違いを知った!

クロヨシノボリ。「クロ」と名にあるが透明感のある薄い色の種。美しい。

さらに聞けば、岡本さんは地質ではなく生物の専門家だと知った。このとき、間近に迫った生物の企画展の準備中だった。それはヨシノボリに焦点をしぼったものだった。この魚はハゼの仲間で、日本列島には生息するのは18種から24種だという。どれも大きくなっても10cmになるかならないかだ。汽水から河川の中流をすみかにする。岡本さんは水草研究も熱心に続けていて、生息域の水草、水辺の植物をきれいに配置しながら、種別に魚たちの展示水槽を作っていた。ヨシノボリの種数が確定しないのは、同種か異種かで今でも議論が活発だからだそうだ。そんな議論の最中にある種にトウヨシノボリがいるという。

展示のヨシノボリはすべて岡本さんが採集したという。

「かつてはトウヨシノボリと呼ばれていましたが、一部の有識者からクロダハゼという名前に統一しようという意見が出されました。それに対し別の有識者からは各地のトウヨシノボリをそれぞれの名前で独立させようという意見も出されており、魚の名前について混乱した状況が続いています」と岡本さん。まだまだヨシノボリには不思議な種がいる。「クロヨシノボリという魚は対馬海流が到達する半島や岬の先端に近い場所で、かつ淡水が流れ落ちている場所にだけ棲み着きます。稚魚の時代に海で暮らす魚を『両側回遊型淡水魚』といい、海流に乗って流されるものもいます。そうやって生息場所を移す種もいるのです。食見という場所は対馬海流が陸地に接近するところなので、クロヨシノボリが生息しているのです。淡水、汽水、海水の境界となる場所は生物多様性の宝庫ですね」。

三方五湖のひとつ三方湖。5つの湖の中で南西の端に位置する。唯一の淡水湖だ。

三方五湖を目の前に、私たちは水と生物の不思議な世界へ入ってきたようだ。センターを後にして海岸線を走り、再びトンネルに入った。暗い中を抜け、坂道を下り始めると湖が見えてきた。5つの湖の南西端に位置する三方湖だ。5つの湖の中で唯一の淡水湖である。もう12時を過ぎていた。サイクルルートの沿道にある湖畔の湖魚料理専門店「うなぎ淡水」へ向かった。店先まで行くと、ウナギを焼く匂いが店外にうっすらと漂う。迷わず「うなぎ重箱」を注文した。出てきたウナギに驚いた。蒸さずに焼く関西風だが、他店によくある焦げ目がわずかしかない。相当ていねいに焼いているのは一目瞭然。そのうえタレの乗り方も薄い。秘伝のタレは味が濃厚にできているから、薄くてもよいのだろう。もちろん、見た目から高まった期待を裏切らない味だった。

「うなぎ重箱」は4500円。ほかに特別料理として三方湖特産「天然口細青鰻」もある。

聞けば、代々三方湖で漁師をしてきた家柄で、当代は4代目になるそうだ。三方五湖には伝統漁法が今も残り、湖と人の営みの中でもとりわけ汽水、淡水での漁業は、「三方五湖の汽水湖沼群漁業システム」として2018年に「日本農業遺産」に登録された。「うなぎ淡水」では冬にはコイも獲り、調理するという。この湖に流れ込む川にはハスもいた。琵琶湖淀川水系にしか生息しないといわれるコイ科の魚である。現在この地では絶滅した可能性が高いといわれ、水系の人々は環境回復に懸命だ。琵琶湖でもハスは数を減らしている。こちらでも環境回復を目指した地道な市民活動が行われている。それにしても、三方五湖と琵琶湖はつながっていたのだろうか?

三方五湖のあたりは、福井県の中でもっとも琵琶湖に接近している地域だ。琵琶湖では自転車旅が盛り上がり、一周するサイクリングを「ビワイチ」と呼んでいる。約193kmになる。それに合わせるように三方五湖では一周サイクリングを「ゴコイチ」と呼んでいる。こちらは約35kmだ。距離は短いが地形が複雑で変化に富んでいる。そのうえ湖は、淡水湖、汽水湖、海水湖と塩分濃度を変えて水をたたえるのだ。「わかさいくる」のルートは、そうしたそれぞれの湖岸を行く。ていねいに周回してその先の東や西へ進めるように、一周半するルート設定だ。上質な「うなぎ重箱」は洗礼だった。じっくり堪能し、湖岸を東へ向かった。目指したのは2つの博物館と道の駅が集まる三方駅に近い一角である。

ふたつの博物館へ。年縞と縄文時代遺物から三方五湖の神秘へ近付いていった

「年縞博物館」は細長い年縞を展示するため、独特の建築だった。

施設はいずれも「わかさいくる」の事業に協力する拠点になっている。まず、「福井県年縞博物館」に入った。「年縞」とは、湖底の地層のことだ。プランクトンや鉄分など、湖に降り注ぐ物質が湖底に沈む。物質は季節によって異なるため、地層は1年ごとに規則正しい縞となるのである。また、洪水や地震があって、それまでと異なる物質が湖に流れ込めば、それまでと異なる縞になる。博物館が細長い建物になっているのは、ボーリングによって長い長い年縞が採取でき、そのすべてを展示しているからだった。この日は1組ずつガイドの方が付いてくれた。本来、ガイドは無料だが予約制だ。ゆっくり説明を受けながら見学できるシステムである。

三方湖の湖畔の水辺には茅葺きの舟小屋が復元されていた。こうした舟小屋は江戸時代からあったといわれている。

年縞は三方湖の北隣に位置する水月湖で採取された。5つの湖の中では特別に風の影響を受けにくく、湖水の攪拌が起こらない。攪拌による湖水の対流は湖底にも酸素を運ぶが、それが起こらないので生物が生きられるのは酸素が届く表層だけだ。そのため、降り注いた物質は湖底で生物の影響を受けず静かに積もっていった。採取された年縞はなんと現在からさかのぼって7万年分だという。世界一の長さである。これら年縞が連続して溜まり、保存される条件が多数重なることで成し遂げた「水月湖の奇跡」として、発見されるや世界の注目を集めた。そして、精密な分析が行われ、「世界標準の年代の物差し」の一部として国際的に大きく認められるにいたったのだ。考古学遺物の年代測定の精度を格段に上げたのである。

年縞の中にも樹木の花粉も含まれていた。三方五湖の周辺では、多くの縄文時代の遺跡が発見された。水没遺跡から古木も朽ちずに出土した。年縞博物館に隣接する「若狭三方縄文博物館」には出土した丸木舟が多数展示されていた。一方で、年縞の研究による成果も加わったのだろう、縄文時代の人々の営みが森とともにあったことをパネルで解説していた。考古学の博物館とはいえ、単に出土遺物をドラマチックに展示するだけではない。縄文人の暮らしを支えた思想を「森の思想」として、わかりやすく提示しているのだ。地球規模で自然環境の危機が叫ばれる今、縄文人から学ぶものは多いのではないか。館内を回っている間にそう思うようになった。

水深は深く湖水は静か。水月湖の湖畔に泊まり、翌朝はクルーズ

宿泊した「水月花」から見た水月湖。聞きしに勝る静けさだった。

2つの博物館をゆっくり見学していたら、ずいぶん陽が傾いてきていた。湖岸のルートに戻って宿へ向かった。2日目の宿は、水月湖に面した「水月花」だった。ここも「わかさいくる」の「サイクリストに優しい宿」に登録されている宿だ。ルート沿いの、まさに湖畔にあった。3階建ての低層の建物から、静かな水月湖の湖面がどこからでも見えた。この日の走行距離は50kmを少し超え、2日間で約80kmになろうとしていた。チェックイン後、まっしぐらに天然温泉の露天風呂へ向かった。居合わせた同年代と思しき紳士は、新潟市から夫婦で自動車旅だという。われわれが「自転車旅だ」と伝えたら仰天していた。それには少しテレた。電動アシストのおかげで持ち堪えているが、私の足は痙攣がきそうな気配だったのだ。その晩は酒量を減らし、早く寝た。

陽が山に隠れる場所では湖面が暗くなり、神秘さを増した。
朝食後の短い間だったが、たくさんの鳥と魚を見た。

この宿のオプションのひとつにモーニングクルーズがあった。小型の観光船で水月湖を周遊しながら朝食をとるのである。寝る前に予約していた。ロビーで待っていると船が近付いてきた。船着場に向かった。すぐに船は静かな湖面を滑るように走り出した。約40分のクルーズだ。早々に朝食を終え、デッキに上がった。晴天の空が湖面に映る。船が作る波に反応したのか魚が跳ねた。それほど大きくはない。操縦士の方に聞いてみた。「ボラです」と即座によどみない答えを得た。水月湖は東隣の菅湖と合わせて淡水と海水の境界、汽水湖である。「わかさいくる」のルートには生物に詳しい人が身近にいて好奇心に応じてくれる。旅が自然に豊かになっていくのだ。

そのうち操縦士の方が双眼鏡を見ながら森を指差した。見ると頭から胸までが白い猛禽類がいた。「ミサゴです。ホバリングが上手で英語名をオスプレイといいます」。船の気配を察知したのか、木の枝から飛び立った。大きい。翼開帳は150cmから180cmになるという。私は実物を見るのが初めてだった。三方五湖は野鳥の宝庫である。2005年には国連によりラムサール条約(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)の登録湿地になった。こうした貴重な自然を湖上から確認した後、今度は自転車でゆっくり回ろうというのである。下船後、そそくさと準備して自転車を漕ぎ始めた。

汽水湖から海水湖へ。日本海まで出ると小さな町に酒蔵があった!

橋のようになった陸地では、梅林の脇の細い農道がルートになっていた。

最終日は約50kmを残していた。9時を過ぎていた。それでも、E-Bikeに接続された速度計から見てきた限りでざっと計算すると、これまでの平均時速は15km/hから20km/hほどにもなった。敦賀市での17時返却には余裕で間に合いそうだった。寄り道もできる。空はどこまでも青い。すぐに湖を橋のようにまたぐ細長い陸地に入った。かつて南西の3つの湖と北東の2つの湖は、この陸地で遮られていた。やがて2本の水路が作られた。水路のひとつは日向湖につながる。この嵯峨隧道は通常、水門が閉められての海水が水月湖に入らないようになっている。もうひとつの水路は久々子湖につながって浦見川と名付けられた。海とつながる久々子湖から海水が流れ込むようになって水月湖と菅湖は汽水湖になったのである。

日向湖に架かる日向橋。堤防の向こうには日本海が広がっていた。

私たちが走り始めたのは南側の汽水湖の湖岸に延びる道だった。もう集落はない。あたりは古くからウメの名産地だ。道は軽トラックがやっとすれ違えるほどの幅の農道である。湖岸は平坦で、ときどき内陸に伸びて多少のアップダウンとなる。朝、船から見た水路に行きあたった。近くで見ると、岩の削り跡がわかった。まだ重機のない時代の工事跡である。橋のような陸地を西から東へ南側を走り、東端から北側へ回り込んで西へ戻る。今度は海水湖の湖岸だ。海水になったのは、潮の香りではなく湖岸の風景でわかった。北に見える集落が海辺の漁村の雰囲気なのだ。

久々子湖の南端をかすめ、日向湖の東岸を北上した。きっと海水湖である日向湖は、日本海の波浪を避ける天然の良港として歴史を刻んできたのだろう。湖上には、これまでの3つの湖では見なかった漁船が数多く停泊していた。そして、ついに日本海へ出た。ふたりでしみじみ眺めた。やがて相棒はスマホで検索し始めた。彼は日本酒通だ。どうやらこの地に酒蔵があるらしい。路地に入ると海辺の集落らしい濃い茶色の板壁の家々が並んでいた。その先に「三宅彦右衛門酒造」はあった。創業享保3年(1718)というたいへんな老舗で、銘柄は「早瀬浦」という。相棒は小さなボトルを2本買ってザックにしまった。電動アシストがなければ、宅配便で送ることになっただろう。

海辺の小さな集落にあった「三宅彦右衛門酒造」。

美浜町の「自転車の駅」に寄った後、いよいよ旅はクライマックス

「三方五湖ネイチャークルーズ」は「自転車の駅」にもなっている。

走行を再開始したが、寄り道は止まらなかった。日向湖から久々子湖まで走って「三方五湖ネイチャークルーズ」でまたひと休みである。ここは久々子湖から水月湖のクルーズの船着場であり、レンタサイクルの拠点にもなっているうえ、コーヒーも飲めた。アイスコーヒーを注文し、しばしまどろんだ。これまで寄り道してきた「自転車の駅」をはじめとした「わかさいくる」のルート上に設けられた拠点は、道の駅や博物館も含め、いったいどんな建築家が手がけたのか? そう思わずにいられないほど洒落ていた。このネイチャークルーズもそうだった。ここを出て美浜駅までいくと、また洒落た建築が現れた。駅舎に隣接した「道の駅 若狭美浜はまびより」である。

「道の駅 若狭美浜はまびより」で昼食。パスタは1100円〜。パンケーキも看板メニューだ。

シニア男子ふたりの自転車旅も、いよいよクライマックスに差しかかっていた。若狭湾の中では大きく細長い敦賀半島の西岸を3分の1ほど北上し、西から東へ横断するとゴールの敦賀市まで10kmを切る。ただし、横断道は峠道だ。馬背峠は「わかさいくる」のルートの中ではもっとも標高が高い。どんな坂道なのだろうか? 駅舎にオフィスを持つ「若狭美浜観光協会」へ寄った。「わかさいくる」のレンタル拠点だ。工事など状況はリアルタイムでホームページにアップされていて、走行中にスマホで確認できたが、見逃している恐れもあり、ここで詳しく聞いた。案の定、見逃していた。これから先の一部は工事で通行止めだという。迂回路を教えられた。ついでに馬背峠の状況も聞いた。「大丈夫、西からは緩い傾斜ですよ」。

敦賀半島の西岸の海岸は、白砂のビーチが続き美しかった。北上を続け、東へ曲がる地点まで漕ぎ着けた。海岸は「水晶浜」と名付けられていた。美しい。流れ込む川には魚が群れていた。しばし眺めていると、アユらしい魚影を見た。産卵のために河口まで下ってきた落ちアユだろうか? さて、いよいよ最後の難所だ。ゆっくり漕ぎ始めた。道標にしたがって峠道に入った。確かに緩やかではあった。しかし、長い。広々としていて前を行く相棒が見える。酒瓶も入れたザックを担いでいるにしては軽快だった。こちらはみるみる速度が落ち、10km/hを切るまでになった。立ち止まることはしない、と決心して漕ぎ続けた。プライドというより、一度止まってしまうと二度と走り出せない気がしたのだ。

美しい海岸が続く敦賀半島の西岸を漕いでいった。

ついに敦賀市へ。町の自転車屋さんと銭湯、そして美味が待っていた

トンネル内から道は下り始めていた。

ようやくトンネルに入ると道路は緩やかに下り始めた。峠は越えたらしい。軽快に速度は上がっていき、一気に敦賀半島の東岸まで出た。南に敦賀市の町が見えた。陽はまだ高かった。どうやら、E-Bikeの返却時間に間に合いそうだった。ゆっくり行ってもいいのだ。半島をのんびり南下していき、30分もかからずに市街地に入った。「気比の松原」が現れた。白砂青松が約1km続き、国の名勝地に指定されている。アスリートのヴィクトリーランは、どんな気分なのだろうかと思った。こちらは、ゴールできる喜びより、旅が終わる名残惜しさのほうが強かった。「氣比神宮」までやってきた。旅の始まりなら安全祈願だろうが、こちらは旅の報告だった。お参りの後、門前町で「中道源蔵茶舗」でまず寛いだ。

氣比神宮に「わかさいくる」完全走破を報告したシニア男子ふたり。
「中道源蔵茶舗」は厳選した茶葉を販売するほか、カフェにも併設している。氣比神宮に間近のいい雰囲気の店である。

「わかさいくる」の乗り捨てが可能な事業で、敦賀市の拠点になっていたのは、「宮本サイクル」だった。スポーツ・サイクルや新型オートバイも扱うが、家族用や通学用を長く販売してきた「町の自転車屋さん」だ。創業は1958年。「長い旅でなくても、敦賀市内を手軽な自転車で走ると面白いですよ。今度は敦賀をゆっくり回ってください」と返却する際にいわれた。サイクルツーリズムは身体をむき出しにして、ゆっくりした速度で直に土地の風土に接近できる。日常用の自転車なら、土地の人々の日常に接近することになるわけだ。こうした自転車による「遅い旅」の醍醐味に、日本政府もようやく気付いた。国土交通省が「ナショナルサイクルルート」制度を創設したのである。魅力的かつ安全に走行できるルートで、サイクリストの受け入れ環境が整っていることなどが指定の条件だ。今、「わかさいくる」も指定を目指している。

「宮本サイクル」の店主が出迎えてくれ、優秀な旅の友だったE-Bikeを返却した。
「サフラン湯」で食事前にひと風呂浴びた。

陽が傾き、秋の短い日中は終わろうとしていた。宮本サイクルの向かいには、うれしいことに「サフラン湯」という名の昔ながらの銭湯があった。シニア男子ふたり、その暖簾をくぐった。湯船に浸かり、こうした気分で旅するのは何年ぶりだろうか、と思った。しかも自転車だ。若い頃はオートバイだった。テントを持って何日もツーリングに出た。こう見えても、かつては日本縦断だってやったのだ。しかし、自転車で長旅したことはなかった。そんな私でも、ロング・サイクリングができたのである。新しい旅の文化を作ろうと連携する地元の人々の温かさがありがたかった。銭湯から出ると、敦賀の町には夜のとばりが降りていた。また来よう。敦賀駅までの道すがら、「ヨーロッパ軒」の駅前店に寄って長旅の達成に祝杯を上げ、名物のソースカツ丼をいただいた。

ヨーロッパ軒の「名物カツ丼」はたいへんな大盛りだった。1250円。
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藍野裕之

ライター・編集者

あいの・ひろゆき 1962年東京生まれ。東京と埼玉を転々としてきたが、50歳を過ぎて京都に移住。現在は京都の山に遊び、京料理に耽溺し、ときどき京都学を紐解く。著書は『梅棹忠夫』(山と渓谷社)、『ずっと使いたい和の生活道具』(地球丸)など。編集作品はビーパル本誌連載をまとめた山極壽一著『森の声、ゴリラの目』(小学館新書)、『出西窯と民藝の師たち』(青幻舎)など。

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