FILE.88は、葛飾区の立石富士です。
第88座目「立石富士」
今回の登山口は、京成本線・押上線青砥駅です
今回の登山口(最寄り駅)は、初めて降りる京成本線・押上線青砥駅です。何となく東京都心から遠いイメージがあったのですが、上野や秋葉原から電車で30分ほどでした。
青砥駅の東出口を出発し、今回の目的地である「立石富士」を目指して東側、中川方向に向かって歩きます。この日は、日曜だったこともあり、駅前のお店も全体的に閉まっている感じでした。今回も書くことが見つからず、苦戦しそうな予感です。
地元で評判の和菓子屋&寿司屋
と思ったら、すぐに気になるお店を発見しました。まず何より、入り口にガラス張りのケースがあり、ミニチュアのお城とシャチホコが飾ってあるのに目が留まりました。
どっしりとした店構えです。調べてみると、青砥と押上駅近くにある「和菓子 お城森八」本店とこの青砥店と2店舗あるそうです。本店は外観が完全にお城だそうです。それに比べると青砥店のガラスケースに入ったお城は驚くほどではないのかもしれません。
数ある商品の中でも一番の人気が、三色最中だそうです。このほかに一口最中なども評判で、北海道産の小豆を使用し、創業当時からの変わらぬレシピで、しっかり風味のある餡が使われているそうです。そんなこともあり。お土産や贈答用として人気なんだとか。
敷地に観音様があったので何かこの土地に関する物なのかと思って見てみると、直ぐ隣にあった石柱には「商標登録浅草観音御影最中」と掘られていました。特に歴史的なものではないようです。
その「和菓子 お城森八」のある通りを進むと、お寿司屋さん「笹鮨 」を発見。いかにもお寿司屋さんという店構えです。まだ営業前ですが、メニューが掲示されていました。さすがに江戸前寿司、回らない店ですのでそれなりのお値段ですが、ランチなら手が届きます。
こうして下町を歩いていると、屋形船や江戸前寿司などの「高嶺の花」に出会うことがあります。つい「誰か連れてきてくれないかなぁ」と思ってしまいがちです。なかなか「いつか必ず自腹で来よう」といった強いモチベーションは湧いてきません…。などと考えが横道にそれかけましたが、山に向かっている途中でした。
かつての暴れ川沿いを通り、目的地へ
商店街を抜け、中川の堤防へ足を進めると、完全に住宅街に入りました。史跡のようなものを見かけましたが、藪に覆われ、私有地との境界がわからなかったので、立ち入りませんでした。その昔、中川をわたる橋ができる前、旧諏訪野の渡し渡船場があったそうです。ヘビのようにうねった中川に橋をかけるのが大変だったのだと思います。この周辺では、諏訪野の渡し、曲金の渡しがあったそうですが、1932年(昭和7年)に高砂橋が完成してからは、渡しはその役目を終えて廃止になったそうです。
堤防沿いの道から、再び住宅地へと進んでいきます。今回、曲がる道を間違えてしまいました。住宅地に入って2本目の道を曲がるとすぐに目的地に着いたのですが、見落としてそのまま進んでしまい、ぐるっと回ることに。必ずしも最短の道がいいとは限らないので、それはそれでOKです。と自分に言い聞かせ、遠回りします。
そして、道を曲がり、真っすぐ進むと、五方山(ごほうざん)熊野神社の立派な正面入り口が現れました。
五方山熊野神社
社伝や『新編武蔵風土記稿』によると長保年間(999年 – 1003年)に、映画や漫画で有名な陰陽師の安倍晴明によって熊野大神(熊野権現)が勧請されたのが起源だそう!
安倍晴明公ゆかりの神社としては関東で唯一で、葛飾区内で最も古い神社だそうです。また、近年はパワースポットとして知名度をどんどん上げているのだとか。失礼ですが、訪れるまで由来などを調べておらず、そんな歴史のある神社だったとは驚きです。
立石富士
神社の正面から入って本殿の手前右手にある富士塚です。安倍晴明の人気が強いのか、Googleで調べても富士塚に関する情報はほとんどありませんでした。おそらく、中川から随分近く、渡しで帝釈天までいく道がある事も影響したのか、当地に富士塚が作られる可能性は高かったのでしょう。この富士塚はゆるやかな登山道が整備され、登山が可能です。
また、五方山熊野神社の奥ではポニーも飼われていました。神様が乗るとされる馬、神馬(しんめ)なのでしょうか。
と思ったら、五方山熊野神社では幼稚園も運営していて、都会にいながら動物の世話をしたり触れたりすることが出来るように、ポニーを飼っているそうです。参拝者向けではなかったのですね。
さまざまな歴史が何層にも積み重なっている下町では、意外な出会いに恵まれることがあります。今回、富士登山に訪れたら、思いがけず安倍晴明の足跡にふれることが出来ました。少しは陰陽師のパワーを授かることができたのでしょうか。
次回は葛飾区の葛西城です。