東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。第8座目は、東京都港区にある「亀山(亀塚)」です。
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第8座目「亀山」
最初に地図上で見つけたのは「亀塚」(港区三田)という名前でした。「塚」は土が盛り上がっているところといった意味ですが、だとしたら亀塚は山といえるのだろうか?と思いました。
この亀塚は「円墳」といわれているそうです。ただし、1971年に港区教育委員会と慶應義塾大学文学部が合同で実施した調査では、副葬品も含めて何も見つからず、古墳であったとは判断できないとされています。ただし、塚は盛り土されているとの見解もあるようです。
私がいつも都内の山行の参考にしている、手島宗太郎著「江戸・東京百名山を行く」にも、亀塚の表記はありませんでした。でも、もしかしたら以前訪れた芝丸山のように塚の上に山頂があるのかもしれません。その真相を確かめるため、いざ亀塚へと歩き始めたのでした。
はたして亀塚は亀山と呼べるのか
今回も地図を見ながら、最短ルートを選択。亀塚の最寄り駅=登山口は、JR田町駅か都営三田線の三田駅です。まずは今回の登山口であるJR田町駅三田口を出てそのまま進み、裏通りに入って行くことにしました。
駅前の繁華街を抜けて大通りに出ると、聖坂方向が見えてきました。実はこの聖坂、本道は古奥州街道にあたり、江戸が開府して東海道が開かれるまで、東国と西国を結ぶ主要道路だったそうです。商人を兼ねた高野山の僧、高野聖が開き、その宿所も同じ場所にあったことから「聖坂」と呼ばれるようになったのだとか。坂を上がっていくと何やら山っぽい雰囲気が感じられ、いい感じです。
聖坂の中腹辺りには、東京のサグラダ・ファミリアと呼ばれる「蟻鱒鳶ル」(ありますとんびる)があります。建築家の岡啓輔さんがセルフビルドしている建造物で、2005年に着工され、いまだ未完成のビルです。以前は、その異様な威容を拝見できましたが、今回は残念ながらネットで覆われていました。建築計画には令和7年3月31日完了予定と書いてありますが、本当にあと2年で完成するのだろうか。気になります。
ちなみに、この聖坂の近辺には、大江宏さんが設計された「普連土学園校舎」、丹下健三さんが手掛けられた「クエート大使館」など、著名な建築家による建造物が点在しています。時間に余裕のあるときは、山行のついでに建築探訪を楽しんでもいいかもしれませんね。
さて、本題に戻って聖坂をさらに登っていきます。お寺を過ぎ、三田警察署 亀塚公園前交番を過ぎると、すぐ亀塚公園の入り口があります。中に進むと、小高い丘のような山が現れます。亀塚の標識に従って階段を上っていくと、そこに山頂らしきものがありました。「亀山碑」という石碑もあります。この石碑は、この地を屋敷としていた沼田城主土岐頼熈(ときよりおき)が江戸時代に建てたそうです。まさに、山頂にふさわしい碑ですね。
ちなみに、先述した調査に続き、平成14・17・18年に港区教育委員会が亀塚と周辺の調査を実施し、亀塚の構築状況を明らかにしました。しかし、埋葬施設や周濠の存在は明確ではなく、依然として古墳と断定することはできていないそうです。ただ、ここが古墳かどうかはともかく、かつてこの山頂からは東京全体が展望でき、昭和30年代までは房総半島も望めたといわれています。亀山碑もありますし、個人的には亀塚ではなく、「亀山」と呼びたいと思います。
その亀塚公園から4分ほど歩くと、三田台公園があり、伊皿子貝塚遺跡の発掘調査で発見された住居跡と貝層の断面が復元されています。ここは港区で唯一の遺跡公園だそうです。実際に見てみましたが、公園?って感じの展示物でした。亀山に行くついでに、ちょっと足を伸ばしてみてもいいかもしれませんね。
また、三田台公園に行く途中に幽霊坂なるものありました。気になって調べたら、都内には7つの幽霊坂があるそうです。
東京都内には、山なのかどうかあやふやな山(らしき場所)がたくさんあります。そして、歴史を調べ、実際に歩いたり登ったりすると、「これはもう山と認めてもいいのでは」と実感できる山があります。亀山(亀塚)も、まさしくそんな山でした。歴史的背景などを踏まえつつ、独断や偏見も交えながら、自分で山を見出していく。それもまた、東京ならではの山登りの楽しみのひとつだと思います。
次回は「品川区の高級住宅街にある山」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。