東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。第14座目は、東京都千代田区の「日比谷公園にある山」です。
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第14座目「三笠山」「つつじ山」
今回の目的地は、日比谷公園。登山口(最寄り駅)をどこにしようかと、地図をチェックします。日比谷公園の最寄りは日比谷駅でしょうが、有楽町駅からも10分とかからずに歩けそうです。
山形に住む私は、めったに皇居を見る機会がありません。そういえば、東京駅もあまり降りたことがなかったな…。ということで、ちょっと距離はありますが、JR東京駅北口バス乗り場口登山口から出発することにしました。
東京駅を出て 、レンガ造りの駅舎を振り返ります。良い雰囲気で、おのぼりさんにはたまりません!
この日も午前中から気温がぐんぐん上がっています。ビル前の広場や公園にある池や噴水を見るとつい足を入れたくなるのですが、誰も見向きもしません。都会の方って暑さに強いのだろうか…。
造成によって変形した山と、つつじの山
地図を見ながら、今まで歩いたことのなかった皇居外苑を通って日比谷公園に至るルートを選択しました。それにしても、皇居外苑周辺は日影が全然ありません。
こりゃたまらんと、バックからEURO SCHIRM(ユーロシルム)のUVカット仕様の傘を取り出します。ハイカーは、砂漠エリアなどの木陰のないところでよく日傘を使います。トレイルの先の方で光っている物体に近づいたら日傘だったというのは、ハイカーにとって“あるある”だったりします。
私は昨年あたりから、東京でも傘を持ち歩くようになりました。なにせ、東京のビル街には木陰が少なく、強い日差しにさらされるからです。
さて、皇居外苑には外国人旅行者がバスで大挙していました。私もそんな旅行者の輪にこっそり混ざりつつ、日比谷公園を目指します。
外苑から続く道を進むと、日比谷公園の入り口である祝田門から園内に入ることになります。そして、祝田門から見える小高い丘が、実は「三笠山」なんです(トップ画像参照)。案内板によると、公園造成時に池などを掘った残土によって形成された山で、三つの笠をに伏せた形に似ていたことから、この名がつけられたそう。その後、テニスコートなどの造成で今の形になったとあります。都心の公園とはいえ、造成によって誕生し、造成によって変形した山があるとは。
しかし、今回はここで終わりません。日比谷公園にあるもう一つの山、「つつじ山」を目指して縦走します。
三笠山に登ってから反対側に下りると、「自由の鐘のモニュメント」が見えてきました。オリジナルの自由の鐘は、1776年のアメリカの独立宣言に際し、自由の喜びを天下に告げるために鳴らされたものだそうです。日比谷公園にある自由の鐘はその複製で、「すべての国とその住民に自由を告げる」自由の象徴として、終戦後、アメリカの民間の匿名有志によって送られたものだそうです。
実は、自由の鐘のモニュメントが建っている場所も小高い丘にあり、私が都内の山行の参考にしている手島宗太郎著「江戸・東京百名山を行く」によると、ここも以前は三笠山だったようです。
園内を進むと、一気に木陰が増えてきます。日比谷公園は水場が多く、トイレもあるので安心ですね。つつじ山は、雲形池(くもがたいけ)の近くにあるようです。何となく気持ち良さそうな道を選んで歩いていきます。日陰とベンチのある藤棚から、つつじ山へ繋がる道がありました。
つつじ山を登り切ると、ベンチといろいろな看板が設置してありました。その中の1つにつつじ山に関するものがありました。正確な山頂はどこか分かりませんでしたが、ここが間違いなくつつじ山のようです。また、つつじ山の由来かどうか不明ですが、この決して大きくない山に30種類ものつつじが植えられているそうです。
前掲書の「江戸・東京百名山を行く」によると、以前は日比谷公園に新高山(にいたかやま)という山もあったそうです。ただ、現在はその場所がどこかも分からなくなっています。
日比谷公園の開園は、今から120年前の1903年。時代とともにその姿を少しづつ変えながら、今なお都心の公園として多くの人に親しまれています。今回はお上りさんとして東京駅、皇居外苑と巡ってきましたが、山を通じて日比谷公園の歴史の一端にも触れることができ、良い山行でした。
次回は「上野公園にある2つの山」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。