“文学散歩”を楽しみながら登れる文京区の山とは?【プロハイカー斉藤正史のTOKYO山頂ガイド File.16】 | 山・ハイキング・クライミング 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル
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    2023.11.24

    “文学散歩”を楽しみながら登れる文京区の山とは?【プロハイカー斉藤正史のTOKYO山頂ガイド File.16】

    東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。第16座目は、東京都文京区にある文学作品の舞台にもなった「右京山」です。
    これまでの記事はこちら

    第16座目「右京山

    この連載も16回目にして、ようやく文京区の山へ!

    実は、学生時代に文京区小石川にあった山形県育英会学生寮で暮らしていました。その寮は、数年前に他の山形県の学生寮と統合して別の場所に移転していますが、私が住んでいたころは6畳の部屋に2人住まい。戦時中には病院として使われていたという年季の入った建物で、すぐ裏手には伝通院(二代将軍徳川秀忠の娘を祀ったお寺)があり、心霊現象の噂をよく聞く寮でした。

    今回の登山口は、都営三田線春日駅A6出口。

    今回の登山口は、都営三田線春日駅A6出口。

    学生だったころ、白山通りを本郷方面に行ったことがほとんどありませんでした。今回、ほぼ利用したことのない、白山通りを挟んだ本郷方面文京シビックセンター前の出口から出発します。今回も、少し遠回りするルートになります。

    桜の名所&『姿三四郎』の決闘場所の公園

    文京区のホームページによると、今回の目的地である清和公園は3つの桜が楽しめる名所なんだそうです。早春に咲くのが、静岡県賀茂郡河津町で発見された桜「河津桜」です。河津桜が散ると、みなさんお馴染みの「染井吉野」が満開を迎えます。そして、染井吉野が葉桜になる晩春、八重桜が開花するそうです。

    それだけではありません。作家の富田常雄(とみたつねお)による有名な小説『姿三四郎』の中で、三四郎が桧垣源之助と決闘した場所「右京ヶ原」が清和公園なんです。そして、あの現在の5千円札の肖像の樋口一葉が、日記の中に何度か記している山が、同公園にある右京山だそうです。さすが、近代文学発祥の地とも言われる文京区です。

    ということで、いざ清和公園・右京山へ。今回、なぜ、遠回りをして目的地に向かったのか。それは、このエリアには多くの文人の足跡が残っているからです。

    春日駅登山口を出て、上野方面に進むと、菊坂が現れます。この坂を進んでいくと、樋口一葉が通っていた伊勢谷質店が見えてきました。樋口家は、父の死後、一葉が18才のときに本郷菊坂町に一家で移り住んだそうです。この時は、樋口家が一番苦労した時代で、伊勢屋質店通いをしていたそうです。そんな伊勢屋質店通いは、樋口家が菊坂町を離れ、一葉が他界するまで続いていたといいます。

    樋口一葉がよく利用したと言われる伊勢屋質店。

    現在も保存されている、樋口一葉がよく利用した旧伊勢屋質店。

    どこか懐かしいような商店街が点在する緩やかな菊坂を登って、通りに入ると、そこには宮沢賢治が上京した際に間借りしたという二軒長屋跡地がありました。

    当時の賢治は、東京大学赤門前の文信社で謄写版刷りの筆耕や校正をし、昼休みには街頭で日蓮宗の布教活動をしていたそうです。そして、上京からわずか半年後、妹の肺炎が悪化し、故郷の花巻に戻りました。賢治が暮らしていたころの様子が容易に想像がつく古くからの町並みが、今も残っているのもうれしいですね。

    見過ごしてしまいそうな宮沢賢治の旧居跡。

    見過ごしてしまいそうな宮沢賢治の旧居跡。

    その宮沢賢治の旧居跡から裏通りに入って進んでいくと、下町の面影が徐々に色濃くなっていきます。きれいなマンションに混じりながら、どこか懐かしい木造の建物が今なお点在しています。

    Google Mapで見ても繋がっているかどうか分からない袋小路に入ると、一気にタイムスリップしたかのような雰囲気のある景色が現れました。ここが樋口一葉が暮らしていた住居跡付近になるそうです。写真にある井戸は、実際に使われていたそうです。

    当時の生活を思い描きながら、さらに奥へと進んでいきます。

    当時使われていた井戸。現在も利用されているようです(※飲料としては利用できません)。

    当時使われていた井戸。現在も利用されているようです(※飲料としては利用できません)。

    趣のある狭い路地を抜けると、そこは鐙坂(あぶみさか)。さらに寄り道をして坂をほんの少し登ると、金田一京助(言語学者)、金田一春彦(国語学者)親子の旧居跡があります。この近辺は、昭和40年代まで真砂町と呼ばれており、時には小説の舞台になるなど、多くの文人が住んでいたようです。そんな面影を現代の住宅地に重ねつつ、鐙坂を下っていきます。

    住宅街にたたずむ清和公園

    ここからは、区画された近代的な住宅街に変わっていきます。住宅地の少し広い道路を進んでいくと、左手に急な階段のある清和公園が現れました。

    急な階段を一気に登っていくと、遊具のある広い公園スペースがあります。一見するとよくある児童公園のようですが、道路付近に近づくと、そこに間違いなく「右京山」があったのでした。

    右京山の一帯は上州高崎藩主の大河内家(おおこうちけ)松平右京亮(うきょうのすけ)の中屋敷があった場所。そこから、右京山と呼ばれるようになったそうです。

    「右京山」の案内板。

    「右京山」の案内板。

    本郷菊坂町に住んでいたころの樋口一葉も、虫の音を聞きに妹と一緒に右京山にきていたようで、一葉の日記に時々登場しています。父親が亡くなり、若くして一家の大黒柱になった一葉が、一番大変だった本郷菊坂町時代。この右京山で何を想い、虫の音に耳を傾け、どんな景色を眺めたのでしょうか。

    公園のベンチに座り、桜の木を見つつ、一葉が過ごした約130年前にも右京山に桜はあったのだろうか?とふと考えていました。

    公園としての開園は戦後だが、歴史の詰まった清和公園。

    公園としての開園は戦後だが、さまざまな歴史の舞台となった清和公園。

    次回は、今回に続いて「樋口一葉とゆかりの深い文京区の山」を予定しています。

    なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。

    私が書きました!
    プロハイカー
    斉藤正史
    2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿する傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「山形ロングトレイル(YLT)」を行なう。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、スルーハイクしたトレイルだけで22.000km(地球半周以上)を超える。最新情報はブログを。

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