私はトレイルランを趣味としていますが、カリフォルニアのベストシーズンはこのマスタードが咲く春だと思います。雨季が終わり、夏が来る前の短い季節。空気は澄み、あちこちの丘が緑の草原と黄色い花で埋め尽くされます。同じトレイルを走っていても、他の季節とはまるで違う世界のように見えます。
マスタードは日本人の目には菜の花にそっくりと映るかもしれません。とくに海岸近くの丘がこの花で黄色く染まると、私はいつも司馬遼太郎著「菜の花の沖」のタイトルを思い浮かべます。
まさにカリフォルニア州における春の風物詩といってもよい花なのですが、「きれいだね~」と手放しには称賛できない、少し複雑な背景があります。
実は、マスタードはカリフォルニア原産の植物ではありません。しかも単に外来種だというだけではなく、現在では「侵略的外来植物(invasive plants)」に分類されているのです。
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宣教師が運んだ「王の道」という伝説

「マスタード(Mustard)」はあのホットドッグやハンバーガーにつける調味料と同じ綴りの単語です。もともとはヨーロッパ・地中海沿岸原産で、スパイス用にも利用されてきた植物なのです。そのマスタードがカリフォルニアに広がった経緯については、ちょっとロマンティックな伝承があります。
18世紀ごろ、現在のカリフォルニアはスペイン領でした。カトリック宣教師たちが布教の拠点となる伝道所「ミッション」を各地に築いていった際、旅の道中で次に通る時の道しるべにするためにマスタードの種をまいた、という伝説です。
カリフォルニア州にはそうしたミッションが21か所あります。南はサンディエゴから北はサンフランシスコ周辺まで、約50kmごとの間隔にミッションが散らばり、”El Camino Real”(王の道)と呼ばれる道路で繋がれています。なぜ約50㎞なのかと言えば、それが1日に徒歩や馬で移動できるギリギリの距離だと考えられたからです。

ただし、研究者の間では、この話をそのまま史実とみなすことには慎重な意見もあります。実際には、スペイン人が家畜飼料や農業利用のために持ち込んだ種子が広がった可能性、あるいは牧畜活動や道路整備などによって拡散した可能性が高いとも言われています。
いずれにしても、ヨーロッパ由来の植物が人間の活動とともにカリフォルニア全土へ広がっていったというわけです。
生態系を変えてしまう「美しい花」

そのマスタードがカリフォルニアで「侵略的」とまで問題視される理由はいくつかあります。その第一に挙げられるのは在来植物との競合です。
カリフォルニアには本来、多様な野草や低木が存在していました。特に春には、カリフォルニアポピーやルピナスなど地域固有の植物が花を咲かせます。しかし繁殖力の強い外来マスタードは、広範囲を覆い尽くし、在来種が育つ空間や光を奪ってしまうことがあります。
しかも、マスタードは成長速度が速く、乾燥にも比較的強い植物です。そのため、一度定着すると除去が難しく、毎年大量の種を落として増殖を続けます。その結果が広範囲の地面が黄色に埋め尽くされる風景です。
さらに近年、深刻な問題として語られるのが山火事との関係です。
カリフォルニアの気候は冬と春に雨が比較的多く降りますが、夏から秋にかけては極端に乾燥します。花の季節が終わったマスタードは、乾燥すると大量の可燃物となり、火災の燃料になりやすいのです。
もともとカリフォルニアにはマスタードが広がる以前から自然火災のサイクルが存在していましたが、外来植物の増加によって火の広がり方が変化したと指摘する研究者もいます。特に近年は気候変動による高温化・乾燥化も重なり、山火事リスクは州全体の大きな課題になっています。
2025年1月にサンタモニカ近辺で発生した大火災がカリフォルニア史上最悪の大きな被害をもたらしたことは記憶に新しいですが、復興中の丘陵地帯では今年の春もマスタードが花を咲かせていました。

除去活動ボランティアに参加してみて
私は何年か前にある州立公園のエリアからマスタードを除去し、そこにカリフォルニア原産植物を植えるというボランティア活動に参加したことがあります。
私が担当したのは茎と葉だけになったマスタードをただひたすらに根本からシャベルで掘り出す作業です。汗と泥にまみれることはもちろん、「ガラガラヘビに気をつけてください」と警告までされた3Kボランティア。長距離ランナーの私はこうした単純な力仕事を長時間続ける持久力にはいささか自信があります。私と似た傾向を持つ、当時中学生だった息子も連れて行きました。
この除去作業はマスタードの花が咲く季節が終わり、本格的な山火事シーズンが始まる前の5、6月前後に行われます。猛暑とまではいきませんが、もう十分暑いですし、ヘビの活動がもっとも活発になる時期でもあります。
数十人のボランティア参加者が力を合わせて、数時間で大型トラックの荷台がいっぱいになるほどのマスタードを除去しましたが、それでも地面が顔を出したのは公園内のほんの一部。周辺はまったく手つかずに終わりました。今でもその辺り一帯の斜面は春になると黄色に染まります。

魚や動物などでも似たような例はありますが、侵略的外来種というものはときに人間の力が及ばない繁殖力を持つことがあります。もっとも彼らが好んで他の土地にやってきたわけではなく、人間によって運ばれてきたケースがほとんどのようですけど。
事実として、私たちがやったことは大した成果をもたらしてはいません。一旦失われた生態系バランスを取り戻すことはとても難しいのだと痛感します。
カリフォルニアのマスタードはもはや人手で除去できるレベルをはるかに超えてしまっているのではないでしょうか。それでもただ手をこまねいて何もしないよりはるかに良いとは思いますけど。
自然らしさとは何か
そのようなわけで、私はマスタードで黄色く染まった丘陵を見るたびにやや複雑な気分になります。困ったことだと理屈では分かっているのですが、それでもきれいなものはきれいなのです。この時期はハイキングやトレイルランに出かける楽しみも倍増します。
アウトドア活動を楽しむ人は「自然」という言葉を無意識に使いがちです。しかし実際には、私たちが見ている風景の多くは、人間活動の影響を強く受けています。「自然」を愛しているつもりでも、実はそうではないのかもしれません。
それに私たちの美意識とか季節感は必ずしも自然のものを最上に感じるとは限りません。日本の春の風物詩といえばソメイヨシノの桜並木でしょうが、あれもきっと人工的に作られた風景ですよね。100年前か200年前か、あるいはそれより以前の日本にはなかったと思います。
私たちはあくまで自然の姿を求めるべきなのでしょうか。それとも人工的に変化した風景にも美を見出すべきなのでしょうか。私には明確な答えはありませんが、一考の価値はあると思います。よろしければご一考してください。





