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新宿・渋谷エリアの神社
駅からアクセスしやすい神社も多く、ショッピングや観光とあわせて神社巡りを楽しめる新宿・渋谷エリア。都会の喧騒を忘れさせてくれる神社を紹介。
代々木八幡神社

代々木八幡宮がお祀りしている神さまは応神(おうじん)天皇=八幡さまです。八幡さまは古くは朝廷や武家からの崇敬をあつめ、国家鎮護、破邪顕正の神と仰がれました。その強いご神徳から「厄除開運」の神さまとして全国で鎮守の神として祀られたそうです。出世や仕事運のご利益があることでも有名で、多くの芸能人も参拝に訪れるそうです。

出世稲荷大明神参道。
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中井御霊神社

中井御霊神社の正面入り口。
中井御霊神社の創建は不明ですが、古くから落合村中井の鎮守だったそう。神社には「備射祭」(新宿区指定文化財)に使われる的を描く際に、「コンパス」として用いる分木(新宿区指定文化財)が保存されていて、この2本の分木から、江戸時代以前にすでに「備射祭」が行われていたことが推察されるそうです。
また、中井御霊神社には「雨乞のむしろ旗」(新宿区指定文化財)も保存されています。これは、江戸時代に農民が雨乞いの行事で用いたもので、素朴な農民の信仰がうかがえる貴重な民俗資料だそうです。

写真右端の石碑が、富士登山三十六度記念碑。
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中野氷川神社

山手通り沿いにある氷川神社。
1030(長元3)年に源頼信が平忠常(たいらのただつね)討伐の際に武蔵国一宮・大宮氷川神社より勧請して祠(ほこら)を建立。1477(文明9)年には、太田道灌(おおたどうかん)が豊島泰経(としまやすつね)・泰明(やすあき)兄弟討伐の際に戦勝の祈願し、勝利後に凱旋し後に社殿を建てたそうです。
明治から戦前まで、この辺りは旧日本軍の高級将校たちが多く住んでいたそうで「軍人町」と呼ばれていたとか。石柱に刻まれた神社の名称の文字は本庄繁(ほんじょうしげる)陸軍大将によるものだそうです。
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東京・日本橋エリアの神社
東京観光や仕事の合間にも立ち寄りやすい東京・日本橋エリア。多くの参拝者が訪れる「日枝神社」をはじめ、ぜひ参拝したい神社を紹介。
日枝神社

日枝神社は、鎌倉時代に江戸氏が山王宮をまつり、太田道灌が江戸城内に川越から山王社を勧請したのが始まり。1590年(天正18年)には徳川家康が江戸城を居城とするにあたり、「徳川家の守り神」「江戸の産神」として敬われたそうです。
その後、江戸城の拡張に伴い麹町に移った後、明暦の大火(1657年)で社殿が焼失したため現在地の永田町へ。令和10年は太田道灌公が江戸城内に日枝神社をお祀りしてから550年という大きな節目になるそうで、現在は参集殿改修が行われていました(本殿は参拝できます)。

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椙森神社

藤原秀郷が平将門の乱鎮定のため戦勝祈願し、戦後に白銀の狐像を奉納したといわれています。1466年(文正元年)太田道灌が雨乞いに霊験があったとして、山城国稲荷山五社大神を勧請して祀ったとか。
江戸時代には江戸三森神社(椙森、柳森、烏森)の一つとして数えられ、庶民だけでなく諸大名の崇敬を集めるようになったそうです。社殿は残念ながら関東大震災で焼失し、1931年(昭和6年)に鉄筋入り耐震構造で再建されました。
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大田区・羽田エリアの神社
多摩川沿いの景色を望む「多摩川浅間神社」や、羽田の氏神様として親しまれている「羽田神社」など、地域ならではの魅力を感じられる神社を紹介。
多摩川浅間神社

多くの人で賑わう多摩川浅間神社。
多摩川浅間神社は、今から800年前の創建と伝えられています。1185~1190年(文治年間)、右大将源頼朝は豊島郡滝野川松崎に出陣しました。夫の身を案じた妻の政子は、後を追ったそうですが、足が痛み出し、多摩川畔で傷の治療をしました。治療中、前回紹介した亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると、自身の本尊がある富士山が鮮やかに見えたそうです。
政子は夫の武運を願い、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、尊崇したのが、多摩川浅間神社の始まりと伝えられているそうです。
ちなみに、多摩川浅間神社には、富士講中興の祖・食行身禄の石碑がありますが、 彫られている文字は勝海舟の直筆だそうです。
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羽田神社

羽田神社。
鎌倉時代、羽田浦の水軍で領主だった行方与次郎(なめかたよじろう)が牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったことが始まりとされ、今日でも羽田神社を「てんのうさん」と親しみを込めて呼ぶ人がいるそうです。また、徳川時代には、徳川家、島津家、藤堂家などに厚く信仰されました。
1869年(明治元年)に神仏分離令によって、自性院境内に祀られていた牛頭天王社は八雲神社(やぐもじんじゃ)として独立。1907年(明治40年)に羽田神社と改称したそうです。
神道制度には「氏神様制度」というものがあります。氏神様制度では、神社周辺の地域を氏子地域と定めており、その地域に住んでいてその神社を信じている人のことを氏子と呼んでいました。羽田空港もこの氏子地域に含まれていて、昔から羽田神社では航空安全祈祷をする人の参拝が多く、それが航空安全祈祷に特化した神社になった理由の1つだそうです。
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板橋・足立エリアの神社
落ち着いた雰囲気の神社めぐりを楽しみたい方にもおすすめの板橋・足立エリア。地域の人々に長く親しまれてきた神社を紹介。
赤塚諏訪神社

赤塚諏訪神社。
創建は1457年~1460年(長禄年間)。赤塚城主の千葉自胤(ちば よりたね・これたね)が信州諏訪大社より御分霊を勧請し、ここに祀ったと伝えられているそうです。※千葉自胤は、室町時代中期から戦国時代前期の武将です。
なお、前回紹介した徳丸富士がある徳丸北野神社の説明の中で「田遊び」に触れました。その五穀豊穣と子孫繁栄を祈願して神さまに奉納する田遊びが、ここ赤塚諏訪神社にも伝わっており、国の重要無形民俗文化財に指定されているそうです。赤塚諏訪神社の田遊びは、毎年2月13日に行われています。
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小右衛門稲荷神社

風格を感じる小右衛門稲荷神社。
江戸時代初期の1616年(元和2年)、岩槻城に勤めていた武士の渡辺(渡部)小右衛門と仲間が当地周辺を開拓し、小右衛門新田と呼ばれるようになりました。渡辺小右衛門は、事情があって同僚の高橋伴右衛門を討ち、密かに城下を退き、足立郡島根に移ります。
ある夜、渡辺小右衛門に霊夢があったそうです。それは高橋伴右衛門の子が現れ、日夜父を探しているようでした。渡辺小右衛門は、小右衛門新田に高橋伴右衛門の霊をなぐさめるため、鎮守として倉稲魂大神を勧請したそうです。それが小右衛門稲荷神社の由来のようです。
ちなみに、この小右衛門稲荷神社は、参道を上から見ると北斗七星のような形をしているので、「足立の七つ星」とも呼ばれているそうです。
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綾瀬稲荷神社

綾瀬稲荷神社。
こちらの神社は、江戸時代の初めに村人が浄財を出し合い、伏見稲荷より分霊を勧請して1614年(慶長19年)に創建されました。 ちょうど豊臣氏と徳川氏とが争った「大坂冬の陣」の年にあたります。江戸時代は「稲荷神社」といい、1874年(明治7年)に「五兵衛神社」、1967年(昭和42年)には「綾瀬稲荷神社」と改称したそうです。400年の長きに亘り、地域の氏神としてあがめ敬われています。
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