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初めまして! 写真家の岸田大海です。
画家の妻・びあんかと、DIYしたハイエースのキャンピングカーで日本中を巡りながら、日本百名山を登っています。夫婦ユニット『山とぼくら』としてYouTubeやInstagramで発信中です。
優柔不断で環境の変化に弱い僕は、5歳年下の妻に怒られながら旅しています。
出発して3週間謎の喉の痛みが続いたり…
登山中大喧嘩して山行が遅れて雷雨に見舞われたり…
パスタの茹ですぎで怒られたり…
この連載では、そんな僕らのリアルな旅の記録を残して行きたいと思っています。
消防士を退職

1年半前、僕は人生で初めて退職届を提出した。
驚く上司の顔は今でも覚えている。
正直、僕が一番驚いている。自分で決めたことなのに。
辞めるときの最後は意外と呆気ない。
仲の良い同僚が花束をくれてすごく嬉しかったけど、組織から貰うのは辞令交付式でもらうB4くらいの紙切れ一つ。でも、大事なのは沢山残っている記憶と経験、そして今の活動を応援してくれる仲間。
僕は救助隊を5年、消防隊を5年やっていた。
かっこいい上司や良い後輩に恵まれながら、辛くて楽しく濃い10年間だった。

「辞めてどうする?」と上司。
「辞めて写真家として妻と旅をします」と僕。
「お金大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないと思います」と答えたことをよく覚えている。
半ば勢いで辞めた反面、不安はもちろんあった。でも、人生の時間には限りがある。
いつかいつかと先延ばしにするより、今だと思った時に行動するべきだと思う。
なぜ、僕が10年勤めた消防士を退職し写真家になったのか。
それは妻びあんかとの出会い、父の死、個展が僕の人生を大きく変えたからだ。
父が遺した言葉
今から3年前、は57歳でステージ4の癌が発覚した。発覚してから5か月後に妻と出会い、その後1か月も経たずに父は家族に見守られながら旅立った。
妻を会わせることができたのは父が旅立つ6日前。自分の状態を理解していたのか、父は「息子をよろしく」と初めて会った妻に言った。

旅立つ直前に父が僕に向けて言った最後の言葉
「人のために頑張れ」
消防士でしか叶えられないと思っていた。
消防士で生きよう。
その時はそう思っていた。
妻がイタリアと日本のハーフなので、出会った頃に老後はイタリアの家に住もうと話していた。
しかし、人生について深く考えた時僕の中で考えが変わった。本当にこのままでいいのかな。
定年近くまで働き、父と同じように亡くなってしまったら、やりたいことを先延ばしにした人生を後悔するんじゃないかって思ったのだ。
やりたいことをとことんやりきった父の人生
やりたいと思ったことをとことんやってきた父。元警察官でその後ライター、イラストレーター、小学校の教師をやっていた。

神奈川で校長先生をやっていたけど、北海道で新しく創設される小学校の求人を見つけて、家族に内緒で応募していた。僕らが聞かされたのは最終面接前。そのまま見事に採用され、母と2人で北海道に移住した。
移住して10か月後に癌が発覚した。
老後は北海道でパン屋さんをやりたいと母に話していたらしい。それでも時間は足りなかった。

可愛い妻との出会い
妻と出会った日、写真家になりたい夢があることを伝えた。
「私はアーティストだから、写真家の大海を応援したい」
嬉しかった。安定して変化がない人生より、挑戦の人生へ背中を押してくれたのだ。

写真家として生き、妻と一緒に世界を見たい。
明確な夢があるんだから後悔しない人生を歩もう。
それからアーティストの先輩である妻に叱咤激励されながら写真と向き合った。そして、マムートジャパンからサポートを受け、2025年3月に山をテーマに写真と絵で表現する『山と僕ら』の夫婦展を開催した。

その時はまだ消防士だった。開催4日前となった日。当時発生していた山火事に対応するために、岩手県に行ってくれないかと上司に言われた。
断ることもできた。けど、緊急消防援助隊だ。本業を疎かにするのは僕は嫌だった。
この個展は最後じゃない。またいずれ開催する。直感でそう思ったのだ。
幸い僕達が岩手に着く前日に雨が降り、山火事は収束に向かっていった。
現地での任務を終え、個展は2日目に合流することができた。

父の言葉の「人のために頑張れ」――個展を通して写真でも叶えられるんだと感じた。
僕の作品を見て、声を漏らす方、
無言でじっくり見る方、
山に登ってみたくなった方、
カメラを始めてみたいと思った方…
写真を通して人の心を動かせることを知った。
社会に疲れている方、悩んで下を向いている方にとって、前を向いて寄り添う力になれれば嬉しい。
僕がやりたかったことはこれなんだと改めて思い、より一層写真への想いが強くなった。


僕らの旅が始まる
「やるんだったら、いつ仕事辞めるとかちゃんと考えて」
ちゃんと次の準備をしない僕は妻に怒られた。
はい。おっしゃる通りです。
僕は救助隊で教わった「安全、確実、迅速」の精神を基に、特に迅速の精神が強く出て、年度内で辞めることに決めた。
いずれイタリア移住を考えていて、その前に僕が生まれ育った日本を知りたいのと、海外の方に日本のおすすめを聞かれた時に自分の目で見た場所をおすすめしたいと思った。
そして、今年の4月「日本を巡る百名山制覇の旅」へと僕らは出発した。
これからこのサイトを通じて、僕らの旅を一緒に歩んでください。





