あらためて「富士さん」|片山恭一の江戸登山「富士講」体験記 第4回 | 山・ハイキング・クライミング 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル

山・ハイキング・クライミング

2026.09.05

あらためて「富士さん」|片山恭一の江戸登山「富士講」体験記 第4回

あらためて「富士さん」|片山恭一の江戸登山「富士講」体験記 第4回
登山の舞台として、信仰の対象として、古くから親しまれてきた「富士山」。作家の片山恭一さんは昨年、「富士講」を体験されました。そんな片山恭一さんが富士山の魅力についてつづった短期集中連載をお届けします。
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あらためて「富士さん」|片山恭一の江戸登山「富士講」体験記 第3回 | 山・ハイキング・クライミング 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル

第4回 御師の家に泊まってみる

朝霧高原の澄んだ空気の中に、静かに姿を現す富士山。その雄大な姿が、旅人を迎えてくれる。(撮影/小平尚典)

修験道は、山岳信仰を基盤に日本で独自に発展を遂げた。なかでも三大霊場とされる出羽三山(山形県)、大峰山(奈良県)、英彦山(福岡県・大分県)は、古くから山岳修験の中心をなしてきた。これらはいずれも修験者による修行の場であった。それにたいし富士講は、一般民衆が伝統的な山岳信仰の形態をとりながら山頂をめざしたという点が特徴的である。

こうした民衆の登拝を支えたのが、お山を目指す講の人たちをさまざまなかたちでサポートした御師(おし)の存在だった。元来、御師(伊勢は「おんし」)は、熊野三山や伊勢神宮、阿夫利神社(大山)などの社寺に所属する神職や社僧で、参詣する人たちのための祈祷や、参拝者の宿泊の世話、さらに教義の指導などを行った人たちである。富士講との関連では、北口山麓の河口浅間神社の御師が古く、室町時代末期には御師集落ができたといわれる。

富士山には四つの登山道(吉田口、須走口、御殿場口、富士宮口)がある。このうち富士山から北東の方向にあるのが、吉田口登山道である。神道や仏教とのかかわりも深い陰陽道では、北東は鬼門とされ、本来は災いが入り込む不安定な境界と考えられている。しかし冨士道・富士講では発想が逆転し、鬼門は穢れ・迷い・俗世の象徴であり、あえてそこから入山することで、霊峰富士で浄化・再生すると考えられてきた。つまり鬼門は「忌む場所」ではなく「修行の入口」なのである。このポジティブな姿勢も、江戸庶民に支持された理由の一つかもしれない。

そんなこともあって、吉田口登山道の起点に近い上吉田に、北口本宮冨士浅間神社の御師が自宅を宿坊として整えた、いわゆる御師の家が増えていく。その数は文政三年(1820)には八十二軒、安政三年(1855)には九十三軒に達したという。富士講の人たちの宿泊施設であることから、御師の家にはかならず神殿があり、庭には禊(みそぎ)をする小さな川が流れている。いわば禊所付きの民泊所といったところである。

御師の家の庭を流れる小さな川。富士山に降った雨や雪解け水が大地を潤し、清らかな流れとなって庭を通り過ぎていく。(撮影/小平尚典)

登拝において御師が担う役割

先にも述べたように、民泊所の主人である御師は、神社の神主と同等の資格を持つ神職である。そこで登拝する人たちに、禊の仕方や、祈祷、登拝のしきたり、作法などを学ばせ、翌日、北口本宮富士浅間神社の「登山門」へと送り出すという流れだった。

室内には明治時代に発行された『富士山北口本宮富士嶽神社境内全図』など、当時の資料も。(撮影/小平尚典)

御師と講社の関係は固定していて、吉原の花魁ではないけれど、一度馴染みになると他の宿坊に泊まることはなかった。夏山登拝(7月1日から8月26日)が終われば、御師は江戸を中心に檀家回りをしてお札を届け、祈祷を行った。

こうして見てくると、日本で最初のツアー・システム(ツアー・コンダクター)が、「御師の家」だったとも言えそうである。江戸時代には「八百八講」と言われるほど冨士講がブームになる。このため作法や礼儀を知らない初心者(素人)の登山客が、大挙して富士山を訪れるようになった。いまでいう「オーバー・ツーリズム」である。これを解消するためのシステムとしても、御師の家は有効に機能したのかもしれない。

現在でも、富士講の登拝は、一般的な富士登山に比べてスローペースである。これは「初山(ういやま)」の富士講の者たちを、途中で落伍者を出さずに、最終の目的地である八合目へ導くための配慮でもあった。加えて、前泊地である吉田口の御師の家で、弾丸登山の危険性や高山病を回避する方法などを、神職でもある御師が、祈祷や作法などとともに教えたのである。

当時、麓から山頂に登山するためには、三足の草鞋が必要だったと言われる。これは登山の途中で草鞋がボロボロになり、代えが必要になったからでもあるが、加えて生物多様性の観点から、草鞋の靴底に張り付いた外来生物の種子などを、富士山域に持ち込まないための配慮でもあったという。準備のない者は御師の家で購入できたし、講中の荷物を持ち運び、登山ガイドの役目も務める「強力(ごうりき)」も御師の家に所属していた。

また、多くの御師の家は山小屋も経営していた。現在でも富士吉田口の登山ガイドは、吉田口のどこかの山小屋所属していないと、ガイドのライセンスが交付されないらしい。そして案内したツアー客は、自らが所属する山小屋に泊まってもらうという風習が守られている。

その後、明治になって鉄道網など交通の整備が進むと、登拝者はさらに増えた。しかし戦後は勢いが鈍り、とくに1964年に五合目の小御嶽まで富士スバルライン開通したのを機に急速に衰えた。今夜、ぼくたちがお世話になる大国屋さんは、いまでは上吉田で二軒ほどになった昔の面影を残す御師の家である。

創業300年を超える御師の家「大国屋」にお世話になる。(撮影/小平尚典)

格式の高い宿であったらしく、入口には立派な石柱が建ち、横に説明書きがある。それによると大国屋さんは十六の講社をもっていたそうだ。東京(早稲田、中野、千住など)の他に千葉市が多い。同じく千葉県の市原市、横浜市「生麦講」などという名前も見える。「昭和二十年までは、これら十六の講社を回った。正月の七日祭の後から二月三日の節分祭までと、三月までは何度も行ったり来たりし、先達、講元、世話人の家を回った。お札、真綿、羽織ひも、甲斐絹、漢方薬をおみやげに持っていった」とある。

長い年月にわたり、大切に守られてきた御師の家の神棚。(撮影/小平尚典)
明治時代の富士講の記念写真。(撮影/小平尚典)

玄関先で御主人をはじめ、宿の方々が「おめでとうございます」と言って迎えてくれる。これも昔からのしきたりらしい。玄関は神社の拝殿のような造りになっていて、なかに入ると奥の座敷が神殿になっている。いつものように神前に御神實を奉安し、簡単な神事を執り行う。

神前で旅の安全と無事を祈る。(撮影/小平尚典)

御師の宿で過ごす夜

夕食までに少し時間があるので、先にお風呂に入らせてもらうことにした。コンパクトな風呂場なので、一度に四、五人しか入れない。たまたま官長さんと一緒になった。立派な体格の管長さんは、洗い場でごしごし身体を洗っている。そのあいだぼくは湯船に浸かってのんびりしている。

「どうですか、はじめて参加された感想は」

「いや~、面白いですね。何から何まで新鮮で」

「そうですか」

「ぼくたちが生きている世界の言葉って、どれも薄っぺらでインチキ臭いでしょう? 平和や共生といっても空手形みたいなもんだし、SDGsにはお金の匂いがつきまとっている。リアルなものといえばお米の値段と自分の健康くらい。そういう世界にどっぷり浸かって暮らしていると、ご神前に畏まって意味不明の呪文みたいなやつを唱えていても、なんか気分がいいんですね」

「ほう」

「スマホやインターネトの世界から外へ飛び出したみたいで……」

風呂に浸かって汗とともに、溜まっていた思いが噴き出してきたようだ。支離滅裂なことを口走りそうなので、頭でも洗うことにする。

「最後に御神名を唱えるでしょう」湯船に浸かった官長さんがのんびりした声でおっしゃった。「あれは神の名を呼んでいるんです」

「あ、そうなんですか」

「迷子になった子が親の名を呼びますよね。懸命に呼びつづける。すると誰かが助けてくれる。子どもの呼ぶ声が、直接その親に届くことはなくても、まわりにいる誰かが、どうしたのって気遣ってくれる。神の名を呼ぶことも同じです。呼び声が直接神さまに届くわけではない。でも、まわりにいる人たちが助けてくれる。これがご利益みたいなものです」

意味不明に近い呪文には、そういう深い意味があったのか。タカマノカムロ、カムロギ、カムロミ……。

午後七時、夕食の準備ができました。宿坊なので質素な精進料理を想像していたら、立派なご馳走ではないか。しかもどの料理もおいしい。だが、お酒は出ない。残念である。講中のみなさんは平気なのだろうか? 平気らしい。そんなことは思いつきもしないかのように、ご飯のお代わりをしている。これではとても、「あの、ビールとかあります?」などと訊ける雰囲気ではない。仕方がない。今夜はおとなしくご飯だけ食べよう。

夕食は想像をはるかに超える豪華なものだった。(撮影/小平尚典)

十年ほど前に、高野山の宿坊に泊まったことがある。料理は精進だったが、会席形式で、本膳に二の膳、予算に応じて三の膳まで付いてくる。煮物、天ぷら、胡麻豆腐……どれもおいしかった。お酒も注文すれば快く出してくれる。昔から僧侶たちも般若湯と称して飲んでいたらしい。厳しい寒さを凌ぐためでもあった、と好意的に解釈してあげたい。ぼくたちも麦般若と蒲萄般若を少々いただいた。どっちがいいというわけではない。外国人もどんどん受け入れている高野山の宿坊と、宗教的な結社の側面をもつ富士講とでは、参加することの意味合いがまるで異なる。

高野山では「阿字観(あじかん)」という、弘法大師空海によって伝えられたという瞑想法を体験した。「阿」は大日如来をあらわす一字の真言で、「阿」字を念ずることは大日如来を念ずることになる、というのだが、そう簡単に念じられるものではない。それこそ役行者が奈良の大峯山かどこかで、一千日の修業の末に蔵王権現を感得したのと同じくらい大変なことだろう。

ぼくたちはその香りだけを嗅がせてもらったということになる。「ぼくたち」というのは、宿坊内の道場みたいなところで、一緒に阿字観を体験した面々である。日本人はぼくを含めて五人、それにたいして外国人は優に三十人はいただろうか。十五分ほどの瞑想が終わり、みんな晴れやかな顔をして道場を出る。横を歩いている青年にたずねてみた。

「どうだった?」

「ソー・ビューティフル、ソー・ミステリアス!」

なるほどミステリアスである。加えて、ビューティフルってところがミソだな。たしかにビューティフルなのだ。それは今日一日の体験のなかでも感じたことだ。富士人穴で鳥居の向こうに見えた富士山はしみじみ美しかった。社殿へつづく石段の両側の木立も静謐な美を湛えていた。そればかりではない。暗くて狭くて水滴まで落ちてくる人穴のなかで、何かに手をあわせる行為までが、ミステリアスにしてビューティフルと感じられた。

「大国屋」の庭。水と緑に囲まれたその風景には、富士山とともにある暮らしが息づいている。(撮影/小平尚典)

とらえどころのない美、形のない美しさである。地上で日常の暮らしをしているときよりも、美の観念がうんと広がっている気がする。お酒を断つこと、精進潔斎や禁欲も一つの要因かもしれない。きっと謙虚で素直にもなっているのだろう。目にするもの、五感に触れてくるものがみんな「ありがたい」と感じられる。富士山の力かもしれない。

(続く)

富士山の裾野に、色とりどりのチューリップが美しく並ぶ。雄大な山と可憐な花、その対照がつくり出す、夏の富士山の一風景。(撮影/小平尚典)

片山恭一さん

作家

昭和34年(1959年)愛媛県宇和島市に生まれる。1986年「気配」にて『文学界』新人賞受賞。1995年、『きみの知らないところで世界は動く』を刊行。はじめての単行本にあたる。2001年『世界の中心で、愛をさけぶ』を刊行。その後、ベストセラーとなる。近著に『あの日 ジョブズは』(WAC)、『馬をたすけ 人をたすけ』(道友社)などがある。福岡市在住。

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