FILE.71は、江戸川区にある安養寺の富士塚です。
第71座目「安養寺の富士塚」
今回はJR平井駅北口登山口からの出発
今回の登山口(最寄り駅)は、この連載に初登場となるJR平井駅です。もちろん、私も初めて降りました。都心からそこそこ遠いイメージがあったのですが、山手線からもほど良い距離感でした。本当に自分の行動範囲の狭さを思い知らされます。
今回目指すのは、安養寺(あんようじ)というお寺にあるらしい富士塚です。さっそくJR平井駅北口登山口から出発します。
雰囲気のあるお店が点在
北口から出ると直ぐに駅前には公園があると地図に出ていたのですが、駅前広場という言葉がしっくりくるような感じです。
そのまま北方向へ進んでいきます。大通りに出て進むのもつまらないので、適当なところで曲がってみようかと思って歩いていると、ビルの2階に何か張り紙があります。
長野さんの記載があるので最近のものだなと分かるし、特に巨人ファンでない僕でも明らかに巨人ファンのお店なのではないかと推測できる張り紙です。しかし、1階入り口に目を移すと、巨人ファンらしき表示もありません。気になって調べてみると、特に巨人ファン御用達のお店とかでもないようです。
もともとは「焼鳥いろは」というお店だったそうですが、代替わりして今の店名になったのだとか。お店自体は、居酒屋のようですが、店内には昭和歌謡、キャロルやダウンタウンブギウギバンドなどのポスターが張られているそうです。店主はリーゼントだそうで、昭和レトロな雰囲気が漂うお店らしいです。昭和レトロ好き必見。
そのまま進むとゆりのき通りに出て、道沿いに進むと更に裏通りに入っていきます。ここからは、街並みに特徴がなくてルートを見失ったりしがちな魔の住宅街が続いていそうな雰囲気です。何か書くネタが見つかることを祈りつつ、心して通ります。
すると、通りにひっそりとたたずむ「鳥満商店」が。住宅街の隠れた名店を発見!と思い調べてみると、安くて美味いと評判のようです。テイクアウト専門の焼き鳥屋さんですが、丁寧な仕事をされているようで、リピーターもかなりいるらしいです。残念ながら、僕が通った時はようやくお店がオープンしたころ合いでした。定休日は日曜日で、祝日は営業。営業日はおおむね15時から焼鳥を焼き始め、16時には全種類そろうそうで、閉店は18時30分くらいらしいです。
一旦、弁天通りを離れますが、再び弁天通りに合流しました。新しい建物が多く、住宅街のようにも過去に商店街だったようにも見える弁天通りですが、安養寺と深く関係しているようです。
安養寺の門を入るとすぐ左に、周囲に小さな堀を巡らした弁天堂があります。それが通り名の由来となっている「平井弁天」なんだそうです。上野不忍池のほとりに住んでいた商人の夢枕に弁天様が立ち、平井の地にまつるようにとのお告げがあったとか。そんなことから明治中頃にお堂が建てられ、大勢の参拝客を集めたとのことです。
いまは、新しい住宅が増え、シャッターで閉ざされたお店も多くなっていますが、駅から離れたこの地域に大きな商店街があったとは想像できませんね。
いざ、安養寺と境内の富士塚へ
安養寺
創建年代は不明ですが、源理法印(げんりほういん)によって開山されました。ただ法流の祖は賢意法印(けんいほういん)とされており、江戸時代前期の開山ではないかと推測されているそうです。
安養寺の富士塚
安養寺の境内には、「安養寺の富士塚」と呼ばれる富士塚があります。1884年頃に、地元の富士講によって築造されたそうで、弁天池を掘った残土を利用して築いたそうです。
この富士講は昭和40年代前半頃まで活動していたそうですが、富士講なき現在は、富士塚をくり抜いて一室をつくり、弘法大師空海の石像を保管しているそうです。となると、現在あるのは富士塚ではないということになりますね。ちなみに、冨士講はなくなりましたが、寺の檀家で組織される念仏講があり、江戸川区の無形民俗文化財に登録されているのだそうです。
なお、こちらの富士塚は現在、幼稚園の入り口脇にあり、一般の方は閉ざされた門の隙間からしか見ることができません(見学の際は留意してください)。
いつしか富士講がなくなり、それでも富士塚(の跡)は今も大切に残されている——。時代と共に変わっていくものと、時代を超えて大事にされるもの。いろいろ考えさせられることの多い山行となりました。
次回は、江戸川区の平井富士です。
※今回紹介したルートを登った(歩いた)様子は、動画でもご覧いただけます。