カリフォルニアのサーフシティUSAに誕生した「都会の森」。油田跡地から“自然を育てる場所”への再生物語 | 海外の旅 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル

海外の旅

2026.07.12

カリフォルニアのサーフシティUSAに誕生した「都会の森」。油田跡地から“自然を育てる場所”への再生物語

カリフォルニアのサーフシティUSAに誕生した「都会の森」。油田跡地から“自然を育てる場所”への再生物語
ロサンゼルス国海空港から南へ約60km。カリフォルニア州オレンジ郡ハンティントンビーチはこれまでに何度か紹介してきました。地名に「ビーチ」がつくことから容易に想像できるように、太平洋に面した海沿いの街です。

市の公式な愛称は「サーフシティUSA」。海に突き出した長い桟橋がトレードマークで、その周りに広がる砂浜では全米オープン・サーフィンやビーチボール世界大会などのイベントが年間を通して行われています。

今回はこの街の少し変わった場所を紹介します。海岸から車でわずか10分ほど内陸へ向かった住宅地の中にある、「アーバン・フォレスト(Urban Forest)」です。日本語に訳せば「都会の森」ですね。

そこはまるで深い山の中に入り込んだような緑地です。遊歩道の両脇にはオークやシカモアなどの樹木が育ち、場所によっては頭上を覆うほどの木陰をつくっています。春には花が咲き、野鳥のさえずりが聞こえます。リスやウサギなどの小動物を見かけることもあります。

ジョギングをする人、犬の散歩をする人、ピクニックを楽しむ家族連れなど、様々な人が思い思いの時間を過ごしています。

それだけなら他の都市にもよくある公園のひとつかもしれません。この場所がユニークなのは、かつて油田だった跡地に作られた人工的な森であることです。
Text

サーフシティUSAの意外な歴史

ハンティントンビーチ「都会の森」入口近くに現在も残る石油採掘ポンプ。

あまり知られていないことですが、20世紀前半くらいまで、ハンティントンビーチを含む南カリフォルニア一帯は、全米でも有数の油田が集中した地帯でした。

南カリフォルニアの石油ブームは「狂乱の」とよく称される1920年代にピークを迎えました。ロサンゼルス近郊の各地で原油が発見され、多くの石油会社が採掘に乗り出します。ハンティントンビーチ周辺も例外ではなく、海岸近くから内陸部まで石油採掘ポンプや製油工場が林立していました。

石油は南カリフォルニアの発展を支えた重要な資源でした。自動車社会の到来とともに需要は急増し、ロサンゼルス地域はアメリカ有数の産油地帯として成長していきます。それまではカリフォルニア州で最大の都市はサンフランシスコでしたが、この時期にロサンゼルスの人口が逆転し、現在に至っています。

ハンティントンビーチの石油産業はその後も続きましたが、1980年代頃から徐々に衰退していきます。原油価格の暴落、不動産価格の上昇、住宅開発の進展、騒音や臭気への住民の不満など、さまざまな要因が重なり、市内の製油産業施設が次々と姿を消していきました。

実は私、その大規模な変化が進行していた1980年代のハンティントンビーチで高校生活を送りました。具体的には1982年に9年生(日本の中学3年生)として地元の高校に入学し、1986年に卒業しました。翌1987年の途中まで家族と一緒に住んでいましたので、約5年間ということになります。

私が住み始めた頃には、ハンティントンビーチの石油採掘は確かに下火にはなっていたのでしょう。しかし、その名残はまだ色濃く残っていました。現在は高級住宅地やゴルフ場になっているような場所、つまり「都会の森」周辺のことですが、木々がほとんどなく、乾いた大地が広がる荒涼とした場所でした。有刺鉄線が張り巡らされた広い荒地のあちこちで背の高い石油採掘ポンプがゆっくりと上下運動を繰り返していました。

その頃の油田の様子が分かる写真はないかと探してみたのですが、残念ながら1枚も見つかりませんでした。なにしろ、スマホもSNSもない時代でした。それどころかデジカメすらありませんでした。当時の私にとってはごくごく日常的な風景に貴重なフィルムを使う気にはなれなかったのでしょう。

あの荒れはてた土地の雰囲気を描写する文才が私にあればよいのですが、浅学非才な身にはやや荷が重いので、安易な方法を取らせていただきます。

1987年公開の『ビバリーヒルズ・コップ2』を覚えていますか? エディ・マーフィー演じるアクセル・フォーリー刑事が活躍する人気シリーズの第2弾です。クライマックスでは油田地帯を舞台に大規模な銃撃戦が繰り広げられますよね。

あのシーンが撮影された場所はハンティントンビーチではなく、ロサンゼルス周辺にあった別の油田なのだそうです。でも、あの荒涼とした乾いた地面から巻き上がる砂、ところどころで石油採掘ポンプがゆっくりと動いていた風景は、まさに私の記憶と寸分違わぬイメージです。

あの頃の私にむかって、数10年後にはここに緑豊かな森が生まれるのだぞ、とだれかが予言したとすれば、きっと100万パーセント、信じなかったでしょう。というか、私には今でも信じがたい思いがあるのです。なにしろ、「都会の森」のすぐ近くには下のような土地が今でも残っているのですから。

ハンティントンビーチ市内の湿地帯。ところどころに石油採掘ポンプが見える。

市民が始めた森づくり

ハンティントンビーチに大きな転機が訪れたのは1990年代後半から2000年代初頭にかけてでした。

地域住民によって設立された市民団体「Huntington Beach Tree Society」が、街に木を増やす活動を本格的に開始したのです。

この団体は、「木の少ない街を変えたい」という思いから誕生しました。行政や地元企業、ボランティアと協力しながら植樹活動を進め、油田跡地を含む未利用地の緑化に取り組みます。

「都会の森」で本格的な植樹が始まったのは2001年です。当時は「2本のヤシの木と雑草しかなかった土地」だったと、同団体のウェブサイトにあります。それから25年。現在は約2.5エーカーの緑地に7000本以上の木が植えられています。

「都会の森」内の遊歩道。

容易なことではなかったはずです。なにしろ、元々が半砂漠気候の南カリフォルニアでは、木はただ植えただけでは育ちません。その証拠に、「都会の森」のすぐ近くにまだ手つかずのままで残っている部分は、背の低い枯草くらいしか生えていない荒地なのです。

自然の力だけで生まれた森ではなく、人が木を植え、水を与え、手入れを続けてきました。その4半世紀の努力の結果が、この緑豊かな森の姿です。かつての油田地帯を記憶する私にとっては奇跡としか思えません。それを成し遂げた人々のほとんどはボランティアです。まことに頭が下がります。

そして「都会の森」はまだ完成していません。荒地への植樹は続いています。これからの成長と管理を担うのは次の世代以降になるでしょう。

「都会の森」内の未完成部分。

私を含めて、アウトドア愛好家たちの世界では、しばしば「手つかずの自然」が最上のものと考えられがちです。たしかに「人が踏み入れない原生林」や「太古の姿のままに流れる川」といったキーワードには強く惹きつけられます。しかし、このハンティントンビーチの「都会の森」を歩いてみると、人によって作り上げられた自然にも大きな価値があると私は感じました。

「自然を守る」という発想だけではなく、「自然をつくり育てる」という考え方もまた大事にしていきたいですね。ハンティントンビーチはもちろん、ロサンゼルス近辺のどこかを訪れる機会があれば、ぜひ「都会の森」にも足を伸ばしてみてください。ドジャースタジアムからもディズニーランドからも日帰り圏内です。

「Huntington Beach Tree Society」公式ウェブサイト内プロジェクトページ: https://hbtrees.org/projects/urban-forest/

著者画像

角谷剛さん

米国在住ライター(海外書き人クラブ)

日本生まれ米国在住。米国で高校、日本で大学を卒業し、日米両国でIT系会社員生活を25年過ごしたのちに、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。日本のメディア多数で執筆。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員

NEW ARTICLES

『 海外の旅 』新着編集部記事

カリフォルニアのサーフシティUSAに誕生した「都会の森」。油田跡地から“自然を育てる場所”への再生物語

2026.07.12

魚であふれる滝!?タイ最大の国立公園にある「パーラウー滝」で子どもと楽しむお手軽渓流ハイク

2026.07.10

日本とも共通する照葉樹林文化。中国雲南省で照葉樹林に培われた文化を確かめた

2026.07.09

ラスベガスから40分の場所に広がる非現実的世界!アメリカ最大の人造湖「ミード湖」の鉄道遺跡トレイルを歩く

2026.07.09

スペイン・ピレネー山脈での「湖畔ハイキング」が、まさかの「極寒ハイキング」に…?

2026.07.08

ピレネー山脈の美しい雪山を眺めながら、気持ち良すぎる「渓谷ハイキング」!

2026.07.07

ヨーロッパの大河ライン川の「源流」へ、バイク&ハイクで行ってみた

2026.07.06

ピレネー山麓の山好きが集う町で「雪解け水ラフティング」にチャレンジ!

2026.07.06