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境内を流れる「ならの小川」は「楢の小川」だったのか?

「歌旅・UTABI」というアプリを作ってしまった。百人一首百首それぞれの歌が詠まれたであろう場所を、地図の上に置いた。ほぼ特定できた、と思う。けれど、地図の上の点を見ているだけでは飽き足らない。本当にそこで詠まれたのか、自分の足で行って、自分の目で確かめたい。この連載は、その確認の旅である。
正直に書くと、私は百人一首の専門家ではない。けれど、アプリを作る過程で一首ずつ場所を調べていくうちに、現地に行きたくなった。多少知っているレベルの人間が、自分の足で、自分の目で、自分の手で、百人一首を確かめていく。そういう連載である。毎回、一首を選び、現地に立つ。歌を読み、書を書き、写真を撮る。書き上がった一枚と、現地の写真と、文章。この三つで一回を組む。
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
まず、取り上げたいのが、この歌である。百人一首の98番。詠み手は藤原家隆(1158〜1237 )、従二位という高い位にあった鎌倉初期の歌人である。そして、上賀茂神社、正式には賀茂別雷(かもわけいかづち)神社を訪ねた。世界文化遺産にも登録された、京都でも指折りの古社である。六月の終わり、京都の町なかはもう夏の盛りの気配だが、上賀茂神社の境内に一歩入ると、空気の温度がふいに下がる。一の鳥居をくぐると、芝生の広がる白砂の参道がまっすぐ続いていく。
「ならの小川」は、この上賀茂神社の参道の東を流れる細い川のことである。家隆が詠んだ「ならの小川」は、「奈良の小川」ではなく京都にある小川なのだが、平に「ならす」からきているとの説もあり、また「楢の小川」だという説もある。確かに、小川は急な勾配を感じさせない。逆に現在は小川の河畔に楢はない。楢はコナラ、あるいはミズナラだが、河畔にはいずれもなく、スダジイ、ケヤキ、スギなどが大木として立っていて、下流には新しく植えられたと思しきモミジとサクラが目立つ。ただ、楢は薪炭に適す樹木である。かつてはきっと神社にも必要だっただろう。薪や炭のために伐られても、切り株から芽を出してまた大きくなる。そんな萌芽更新が続いていくうちに、いつしか朽ちてしまったのかもしれない。

歌に詠まれる「みぞぎ」とは「夏越の祓」のこと

夕暮れどきを狙って川辺に立った。水面を渡ってきた風が、首筋をすっと撫でていく。傾いた陽が水面に揺れ、木々の葉が風にそよぐ。雨の日も歩いてみた。石が濡れて美しい。晴れた日、日差しが強くなればなるほど大きな木が作る陰がうれしい。ここに立つと、風と水の気配が、実際の身体感覚として戻ってくる。歌の意味はおおむねこうだ。「風がそよそよと楢の葉を鳴らすこの川の夕暮れは、もう秋のようにも感じられる。けれど、川辺で人々が禊(みそぎ)をしている、それこそが、今がまだ夏なのだという証なのだなあ」。ただし、この歌は、家隆がならの小川のほとりに立って、その場で詠んだ歌ではないらしい。もとは『新勅撰和歌集』夏・192に載る歌で、詞書には「寛喜元年女御入内屏風に」とある。つまり、後堀河天皇に入内する女御のための屏風に描かれた情景に添えられた、屏風歌なのである。
そう知ると、歌の見え方が少し変わる。家隆が見ていたのは、実際の川の夕暮れではなく、屏風の中に描かれた「ならの小川」だったのかもしれない。けれど、屏風に描かれた風、川、楢の葉、禊の人々は、まったくの空想ではなかったはずだ。涼やかな夕風に秋を錯覚しかけて、ふと、みそぎの神事に「ああ、まだ夏だった」と気づく。季節の移ろいの、ほんの一瞬のあわいを掬い取った一首だ。百人一首には四季の歌が数あるが、これは数少ない「夏」の歌であり、しかも夏そのものを主題にしている。

歌の「みそぎ」、禊とは「夏越の祓(なごしのはらえ)」のことである。一年の半分が過ぎる六月の晦日(みそか)、半年のあいだに知らず知らず溜めた穢(けが)れを祓い清める神事だ。茅(ちがや)を束ねた大きな茅の輪(ちのわ)をくぐり、人の形に切った紙(人形=ひとがた)に穢れを移して水に流す。一の鳥居をくぐると、茅の輪が据えてあった。作法の説明も添えてある。それに従ってくぐって回り、私も穢れを祓い清めた。
御手洗川と御物忌川が合流して「ならの小川」になる

茅の輪に進むと、「ならの小川」は二本の川が合流して一本の流れになっていることが分かる。西から流れてくるのは、賀茂川から取水された流れで御手洗川(みたらしがわ)という。この名の川は各地の神社にある。清めの川だ。雨の日、暴れ川でも賀茂川はときに濁流となるので、御手洗川も濁る。もう一つの川は御物忌川(おものいがわ)という。「御物忌」とは、神事のために飲食を断って心身の穢れを清めることだ。御物忌川は、上賀茂神社の北北西約二キロにそびえる神山(こうやま)から流れ出る。神が降臨した山とされ、川は大雨でもほとんど濁ることはない。

二本が合流した先が「ならの小川」となり、境内を出ると明神川と名を変える。御手洗川は境内に入ってからの名で、賀茂川から取水されて間もなくは明神川というから、境内を出て再びその名に戻るわけだ。合流すると、雨の日は賀茂川に飲み込まれて「ならの小川」も少し濁ってしまう。しかし、何いっても心地よい川だ。
そんな尊い川ではあるが、じつは、子供たちには格好の遊び場にもなっている。川の水の流れは小学生でも膝ぐらいまでしかない。はしゃぎ回るにはちょうどよい。さすがに水着で遊ぶことは禁止されているものの、子供たちを連れてきても十分に楽しめると思われる。また、せっかく上賀茂神社まで足を伸ばしたのなら、二葉姫稲荷神社にも行ってみたい。伏見稲荷ほどではないが、なかなか見事な鳥居の並びを見ることができる。

夏越の祓に時期に「水無月」が京都市中に出回る

夏越の祓が行われる時、京都では「水無月(みなづき)」という和菓子を食べる習わしもある。六月も後半になると、和菓子屋だけでなくスーパーでも見かけるようになる。白いういろうの上に小豆をのせ、三角に切ったあの菓子だ。三角は氷を、小豆は邪気祓いを表すという。歌を訪ねる旅は、こうして土地の食や暮らしにもつながっていく。子供たちも喜ぶ。
おもしろいのは、夏越の祓が京都だけのものではないことだ。形や呼び名は土地によって少しずつ違うけれど、全国の神社で、今も六月末に茅の輪が立てられている。これを読んでいるあなたの町の神社にも、ひょっとすると今ごろ茅の輪があるかもしれない。八百年前の家隆が見た禊が、形を変えて、今もあなたの近所で続いている――そう思うと、一首がぐっと身近になるだろう。

水辺で歌を読む営み。その源流は千数百年前の中国
ところで、この同じ「ならの小川」は、季節を変えて、もう一つの雅な行事の舞台にもなる。春に行われる「曲水の宴(きょくすい)のえん)」である。曲水の宴とは、曲がりくねって流れる遣水(やりみず)に酒杯を浮かべ、自分の前を盃が通り過ぎるまでに和歌を一首詠む、という王朝の遊びだ。平安装束をまとった歌人たちが川辺に座し、流れてくる盃を待つ。上賀茂神社では春の恒例行事として、今も実際に催されている。夏の禊と、春の歌詠み。一つの川が、季節を違えて二つの和歌文化を抱いているのである。
この「水辺で歌を詠む」という営みの源を辿ると、千数百年の時と海を越えて、中国に行き着く。四世紀、東晋の書家・王羲之(おうぎし)が、会稽(かいけい)の蘭亭(らんてい)という地に文人たちを集め、まさにこの曲水の宴を催した。その日に詠まれた詩をまとめた序文が、かの有名な「蘭亭序(らんていじょ)」である。
ここで一つ、私の道楽の話を許してほしい。蘭亭序は、詩文としてだけでなく、「書」としても、千七百年ものあいだ最高峰とされてきた作品だ。”天下第一の行書”とまで称される。王羲之が、ほろ酔いのうちに即興で書いたとされるその文字は、二度と同じようには書けなかったという逸話まで残っている。水辺で生まれた即興の詩が、即興の名筆となって、書の歴史を貫く一本の背骨になった。
じつは私は二十代半ばの頃、その蘭亭を訪ねたことがある。当時はただ、「書を学ぶ者なら一度は見ておきたい場所だ」という思いで足を運んだ。書道を続けている者にとって、蘭亭は特別な場所である。王羲之が文人たちと酒を酌み交わし、流れる盃を待ちながら詩を詠み、その場で筆を執ったと伝えられる。その空気を少しでも感じてみたかったのである。
もちろん、その時の私は、まさか将来京都の近くに住むことになるとは思っていなかった。ましてや、上賀茂神社の曲水の宴を見たり、「ならの小川」のほとりで家隆の歌を思い出したりすることになるとは想像もしなかった。五十代に入った頃、私は蘭亭序をガラスに刻んだ。紙でも石でもなく、ガラスに。背後から光が透けると、千七百年前の王羲之の文字が、現代の素材の中に浮かび上がる。曲水の宴の文字に似合う気がしてガラスに刻した。

百本ほどの万年筆から一本選んで家隆の歌を揮毫
若い頃の私には、蘭亭と上賀茂神社が結びつく日は来なかった。しかし六十を過ぎた今、ならの小川の流れを見ていると、中国の蘭亭から日本の曲水の宴へ、さらに家隆の歌へと続く長い文化の流れが、一つの景色として見えてくる気がする。二十代の私が見ていたのは書の聖地だったが、今見えているのは、人が水辺に集い、言葉を紡ぎ続けてきた千数百年の時間そのものなのかもしれない。

上賀茂神社のならの小川を描いた屏風絵に、家隆が一首を添えた。水辺の情景を見て、そこに言葉を添える。その行為の遥かな源流に、蘭亭の曲水と、王羲之の筆がある。一首の和歌の夕暮れが、こんなにも遠い水脈につながっている。これだから、歌を訪ねる旅はやめられない。歌旅・UTABIでは、訪ねた歌を、毎回その場で手書きしている。今回の98番は、ローズウッド万年筆(ノーブランド・GENIUSペン先)で書いた。
安物も名品も恩師の形見も、私の手元には百本あまりの万年筆があって、その日の気分と歌に合わせて一本を選ぶ。墨色の濃淡や線の伸びは、道具によって表情を変える。書をやる者の、ささやかな楽しみである。次回は、どの歌を訪ねようか。アプリ「歌旅・UTABI」を開いて、地図の上の一首を選ぶところから、また旅が始まる。

※上賀茂神社の神社のご神紋は葵。祭は「京都三大祭」のひとつに数えられる毎年5月15日の「葵祭」で、祭の際には奉仕者のほか社殿から牛車にいたるまで葵が飾られる。この上賀茂神社に縁深い葵はフタバアオイという種で、昨今は数が減りつつあり、「葵プロジェクト」という保護活動が行われている。




