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黒田未来雄の脱サラ猟師からの手紙 第11回

歌舞伎町、夜の蝶の生息数は日本一。自然界の蝶のサナギも、擬態して共存する
久しぶりの里帰り
「東京砂漠」という歌がある。一方で「コンクリートジャングル」という言葉もある。カラカラに乾燥してあらゆる命の存在を拒絶するような砂漠と、鬱蒼と茂った木々の中にさまざまな危険動物がひしめくジャングル。環境は全く違うが、どちらも大都会での生き辛さをうまく表現している。
北海道に移住してヒグマやエゾシカを追いかけている僕だが、生まれ育ちは東京だ。今、東京の自然はどうなっているのか。そこから何を学び、感じとれるのか。先日、僕は親友と一緒に、都心部で自然観察を行なった。
友の名は、平井文彦。昆虫を中心に撮影しているムービーカメラマンで、同い年だ。出会いは古く、20年近く前に遡る。そのころ僕はまだ自分が狩猟をするとは思っておらず、文彦も動画撮影などしたことはなかった。ところが文彦は2016年に昆虫の撮影を始めるやいなや、あれあれよという間に知名度が上がり、NHKスペシャルで昆虫撮影を担当したり、若手スチルカメラマンと組んだ「Tokyo Bug Boys」というユニットで、日テレの番組『所さんの目がテン!』に出演したりするようになった。ユニット名にTokyo とあるとおり、撮影フィールドは大自然の中だけに限らない。都市部でどっこいたくましく生きている虫たちの生態も、彼の専門分野だ。
夜も昼も蝶が暮らす街
僕らが向かったのは新宿区・歌舞伎町。いわゆる夜の蝶の生息数は日本一だろうが、本物の昆虫とは最も縁遠いと思われるエリアを、敢えて選んでみた。昼間の繁華街を、虫眼鏡を片手に歩き始める。
アスファルトとコンクリートで埋め尽くされたような街並みだが、よく探せば申し訳程度の植え込みがあったりもする。早速虫を見つけようとするが、まず目に飛び込んでくるのは、散乱している空き缶、レジ袋、食べ残しや吸い殻などだ。ここまで自然を追い詰めた挙句、さらに追い打ちをかけるのか。気持ちが沈み、思わず頭を抱える。
「オオッ!」文彦の声に我に返った。彼が指を差した先には、コガネムシが仰向けになったまま移動していた。よく見ると下に数匹のアリが入り込み、力を合わせてコガネムシを運んでいる。小さな獲物ではあるが、アリの巣に入るサイズとは思えない。どうなることやらと見守っていると、意外なことが起きた。やおらコガネムシが足をジタバタさせ始め、体をひっくり返すと同時に猛然と逃げてゆく。コガネムシはピンチになると死んだふりをするらしい。アリの猛攻をじっとやり過ごしながら、逃亡のチャンスを待っていたのだ。獲物を失ったアリたちはオロオロしていたが、すぐに新たな食べものを探しに散っていった。命を狙う者、トリックで敵を騙す者。歌舞伎町の裏社会さながらのドラマを、植え込みの昆虫たちも繰り広げている。
アリの巣の周りには、カタバミが可憐な黄色い花を咲かせていた。カタバミの種にはアリが好む栄養豊富な物質、いわばおやつのようなものがついている。アリはおやつだけ食べ、彼らにとって不要なおまけである種を捨てる。これがカタバミの思う壺で、アリの力を借りて長距離を移動するのだ。
カタバミを見た文彦が、「ヤマトシジミが来るかもね」とつぶやく。しばらくして、言葉どおりに小さなチョウが現われた。トレードマークの青い翅がキラリキラリと光を反射させる。チョウは幼虫のときに食べる植物が決まっているものが多い。他の虫と棲み分けをして競争を避けるための戦略だ。ヤマトシジミの幼虫はカタバミを食べる。だから成虫は、カタバミに卵を産みつけにくるのだ。幼虫は背中にある腺から甘い蜜を出してアリに与える。その代わりにアリをボディーガードにして外敵から守ってもらうというから驚きだ。アリとカタバミとヤマトシジミ、三者の思惑が絡み合う。しかし人間の三角関係とは違い、怨恨によるトラブルは発生しない。
「アーッ!!」繁華街の外れに街路樹が並ぶ一角で、またしても文彦が素っ頓狂な叫び声を上げた。クスノキの葉に、綺麗な緑色をしたサナギを見つけたのだ。そこに飛んできたのはアオスジアゲハ。黒い翅の中心に波打つ鮮やかな水色のラインが、くびれを強調したホステスのタイトドレスを彷彿させるのも、歌舞伎町ならではということか。
アオスジアゲハは羽ばたきながら体を折り曲げ、クスノキの葉の裏側にお尻の先をくっつけて産卵を始めた。齧られている葉をひっくり返しているうちに幼虫も発見した。アオスジアゲハのライフサイクルをこんな場所で観察することができるとは。どんなに開発され尽くした場所であろうが、命を繋ぐことができる環境がわずかにでも残されていれば、虫たちはきっちりと仕事をするのだ。

「地球最強生物」を捕獲せよ
この日、僕は探してみたい生きものがいた。「クマムシ」だ。名前にムシとつくが昆虫ではない。4対の脚を持ち、ゆっくりと歩くため「緩歩動物」に分類される。ずんぐりした体や緩慢な動きがクマに似ていることから名付けられた(実際のクマは、いざとなったら凄まじいスピードで動ける動物なのだが)。クマムシは1000種以上が確認されている。地球上のあらゆる環境に生息し、都心でも見られるという。果たして歌舞伎町にもクマムシはいるのだろうか。北海道の山でいつもクマを探している僕が、東京に来てもやっぱりクマ(ムシ)を探す。「どんだけクマが好きなんだか」と文彦に笑われた。
クマムシは「地球最強生物」との呼び声が高い。100度C以上の高温やマイナス273度C(絶対零度)の低温に耐える。放射能にも強い。宇宙空間に10日以上放置しても死なない。ただしこの特性は、ピンチを切り抜けるために体内の含水率を数パーセントにまで減らして代謝を止めてしまう「乾眠」という状態に入って初めて発揮される。ヒグマもツキノワグマも、食べものがない季節を冬眠でやり過ごす。なんだか生態もちょっと似ている。
僕はまだクマムシを見たことがなく、意外なことに生物観察では百戦錬磨の文彦も同様だという。クマムシの体長はほとんどのものが0.5ミリに満たない極小サイズで、そもそも肉眼ではほぼ見えない。採集して持ち帰り、顕微鏡レンズをスマホに装着して観察しようということになった。
前夜にネットで調べたところ「クマムシを捕獲するには乾燥したコケを探すべし」とあった。クマムシはそこで乾眠しているそうだ。実は彼らは乾眠していないときはとても弱く、簡単に死んでしまう。だからライバルたちが生きていけない過酷な環境に潜み、雨が降ったときだけ水を吸収して生命活動を再開させるのだ。
昆虫モードだった目線をコケモードに切り替え、歌舞伎町を再探索する。しばらくして僕らが足を止めたのは、昼間でも電飾がひときわ眩しいホストクラブの前だった。景気良く潤っていそうな店舗の入り口で、道路の縁石にへばりついたコケはカピカピに干からびていた。顔を見合わせた僕らは無言で頷き、そそくさとコケを採取して歌舞伎町を後にした。
クマムシに学ぶ
文彦の部屋に戻り、コケに水を含ませる。僕らは顕微鏡レンズをスマホに取り付けるとともに観察を始めた。湿ったコケからスポイトで水分を吸い、プラスチックの板の上に1滴だけ垂らす。小指の爪ほどの面積でも、顕微鏡レンズで見るととても広い。常にピントが合うようにスマホを水滴から数ミリの高さに固定し、板のほうを爪楊枝でチョンチョンとつついてわずかずつ動かす。息をするのもはばかられるような細かい作業。極小のクマムシを見逃すまいと、水滴の中をクマなく探す。しかしいくら根を詰めても姿は見当たらない。1時間ほどで僕は床に倒れ込み、文彦は締め切りが迫る動画編集に取り掛かった。
しばらくして僕はひとりで観察を再開した。新しい水滴を垂らし、画面を凝視する。やがて動いているものを発見した。ビッタンビッタンと勢いよく跳ね回るミミズのようなものはセンチュウに違いない。シャクトリムシさながらに伸びては縮みを繰り返しているのは、ワムシの仲間だ。どちらもクマムシと同様に乾眠の能力を持つものがいるという。
そして3時間後。センチュウでもワムシでもない、ずんぐりしたイモムシのような生きものを見つけた。脚は4対。間違いない。クマムシがようやく目を覚ましてくれたのだ。緩歩動物と呼ばれるわりには、とても活発に動く。クマムシは英語で「Water bear」と呼ばれる。水を得た魚ならぬ、水を得たクマ。
「いたよ!!」僕の叫びを聞きつけた文彦が、隣の部屋からすっ飛んできた。「やったあ、本当に新宿にクマがいたね!!」彼の声も上ずっている。
たった1滴の水の中に存在する命の数にも驚かされた。正確なカウントは不可能だったが、クマムシは10匹近く、センチュウやワムシは軽くその10倍はいた。顕微鏡レンズでは見えない微生物もたくさんいるに違いない。知らなかった世界を垣間見た僕らは大いに興奮し、人間が感知できる世界がどれだけ限られているかについて、日をまたいで語り続けた。
翌朝。コケはまた乾いていた。でも今は、その中に再び眠りについた無数の命が隠れていることを知っている。人間にしてみれば干からびたコケの塊にしか見えないが、彼らにとっては広大な原生林なのだ。ほとんど重さを感じないのにとてつもない重量がある気がしてくる。これをゴミ箱に捨てるわけにはいかない。コケを持って外に出た。文彦の家は新宿からほど近く、環境はそっくりだ。あたりを見回すと、道路の向かいの自販機の下には同じ種類のコケも生えている。その上に、昨日とったコケをそっと重ねた。
自販機の脇でしゃがみ込んでいる僕は、落とした小銭を探しているようにしか見えなかっただろう。たくさんの人たちが、怪訝そうな視線を送りながら通り過ぎてゆく。でも僕はクマムシと人類の未来について考えを巡らせていた。
これまで人間は懸命に文明を発展させ、ありとあらゆる科学技術を確立してきた。世代を超えて努力を重ねた結果、確かに利便性は増した。しかし地球温暖化は加速し、自然災害は増え、環境の悪化は止まらない。片やクマムシは、より長い年月をかけて僕らが及びもつかない耐久力を培ってきた。どんなに地球が熱くなろうとも、彼らは涼しい顔をしてやり過ごすだろう。
そして世界を脅かしている戦争。過ちから学ぼうとしない人間は各地で殺し合いを続けている。平和国家であったはずの日本も、そこに参加するための準備を着々と進めている始末だ。最悪の事態として想定されるのが核戦争だ。地球は壊滅的な状態となり、さまざまな生きものが絶滅するだろう。もちろん人間も例外ではない。当然の報いだ。そんなとき、放射能に耐性を持つクマムシならきっと生き残ることができる。この星の未来を託されているのは愚かで独善的な人類ではなく、どんな試練にも耐え忍ぶことができるクマムシなのかもしれない──。
小さき命がもたらす変化
クマムシ、コガネムシ、アリにチョウ。歌舞伎町で出会ったたくさんの小さな命たちは、厳しい環境を驚異的な逞しさで生き抜いていた。彼らの目線で世界を捉え直せば、大都会も今までとは全く違って見えてくる。
どんな通勤・通学路にも、多少の樹木や植栽はあるはずだ。そこには必ず何らかの虫がいる。彼らの変化を毎日観察する。幼虫が徐々に大きくなり、サナギになる。ある日、気付けばサナギは殻だけになっている。「あの虫、どうしているかな」と気になっていた視界の端に成虫の姿が飛び込んでくる。思わず笑みがこぼれる。それは、新たな友達ができたということだ。足早に通過していただけの灰色の風景に、急に命の彩りが宿るだろう。
ちょっとした地面にも無数の命が暮らしていることをイメージできれば、ポイ捨てされたゴミに心が痛むようになる。それはもともと心の中にあった卵から小さな幼虫が孵り、うごめき始めたからだ。たとえ吸い殻1本であっても、憂いのもとを拾い上げた瞬間に、美しいチョウが翅を広げるだろう。
自然からの学びを得るのに、必ずしも山奥まで行く必要はない。どんな場所であろうが、どんな対象であろうが、目を凝らし、耳を澄ませ、香りを胸いっぱいに吸い込み、そっと手で触れてみる。すると、たくさんの心震わせる物語があふれ出てくる。
それはきっと、人間だろうが虫だろうが、どんな命も同じ重さを持っているからだろうと僕は思っている。

どんな過酷な環境にも耐える「地球最強生物」クマムシ。恐るべきド根性の持ち主は、あなたの足元にも必ずいる。
※イラスト/ブッシュ早坂(編集部)
(BE-PAL 2026年9月号より)




