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同じ夜の同じ月が土地によって違う顔を見せる

滋賀に住んでいると、京都は近い。東京に住んでいた頃は、京都に近いのは奈良とか大阪というイメージがあった。けれど実際には、滋賀が圧倒的に近い。「京滋」という言い方があるくらいだ。近いのだけれど、日々の感覚としては少し違う場所でもある。琵琶湖の西岸の湖西から眺める月は、東の空、琵琶湖の向こうから上がってくる。水面に長く光を落とし、対岸の街の灯りと一緒に、夜の湖を静かに照らす。京都に入ると、月は屋根や木立に切り取られて、急に小さく、個人的なものになる。同じ夜の同じ月が、土地によって違う顔を見せる。
第1回にて藤原家隆の歌を訪ねた上賀茂神社。その「ならの小川」のせせらぎを背に、鴨川の流れを辿りながら南へと歩を進める。今回目指すのは、紫式部が暮らし、筆を執ったと伝わる邸宅跡、廬山寺(ろざんじ)である。


紫式部の歌は、密やかな恋人との切ない別れではない

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな
この歌を、恋の歌として記憶していた人は多いのではないだろうか。「めぐりあひて」「雲隠れにし夜半の月」という言葉の連なりは、現代の感覚で読むと、密やかな恋人との切ない別れの場面に見えてしまう。作者が紫式部、『源氏物語』の作者とくれば、なおさらである。この歌だけを読めば、そう読んでもおかしくはないだろう。私も若い頃はそう読んでいた。けれど『新古今和歌集』の詞書には、幼友達と久しぶりに逢ったが、ほんのわずかな時間で、月と競うように帰っていった、という趣旨が記されている。ちなみに、『新古今和歌集』では、「夜半の月影」とある。廬山寺にある歌も、こちらであった。
相手は恋人ではなく、幼い頃からの友人だったのである。では、「めぐりあひて」とは何だったのか。詞書を知ってから読み返すと、歌の景色が静かに変わる。「めぐりあひて」は、久しぶりに再会して、という意味である。詞書によれば、二人は確かに行き逢っている。ただ、私には「めぐる」という言葉から、長い年月、それぞれの道を歩いてきた二人が、ある一点で再び交わる姿が見える。二人の人生の軌道が、月の巡りのように、もう一度重なったのである。
「見しやそれとも わかぬ間に」。昔見たあの人なのかどうか、見定める暇もないほどの短い間に、ということだろう。本当に相手が誰なのか分からなかったと考える必要はない。久しぶりに会った友の姿を十分に見つめ、離れていた年月を確かめあう前に、その人は帰ってしまったのである。二人は会った。しかし、会いきれなかった。この歌は、再会の手前で終わった出来事ではない。再会が始まった途端に、終わってしまった出来事を詠んでいる。
雲に隠れたものとは、はたして月だったのか?
「雲隠れにし夜半の月」。雲に隠れたのは、月である。月であり、友である。そして、友と語りあうはずだった時間でもある。何が一番惜しかったのか。会えたからこそ、もっと話したかった。久しぶりに見た友の顔を、もう少し見ていたかった。長い年月を埋めるはずだった再会の時間が、開かれかけたところで閉じてしまった。雲に隠れたのは月の姿だけではなく、友と過ごせるはずだった時間そのものなのである。
これは、現代の私たちにもよく分かる感覚だ。久しぶりに会った人と、挨拶を交わしただけで別れ、帰ってから、あれも話したかった、これも聞きたかったと思うことがある。駅で偶然出会った旧友と、電車の時間を気にしながら、わずかな言葉だけを交わす。「また今度、ゆっくり」と言って別れたまま、その今度が訪れないこともある。めぐり逢いはあった。けれど、再会を十分に味わう時間はなかった。千年前の歌が、今の私には、そういう瞬間を詠んだものとして響く。

「夜半の月」は、夜の時間を示すと同時に、友の姿を重ねるための大切な景色である。ただし、夜が暗かったために、本当に相手を見分けられなかったとまで考える必要はないだろう。夜空に現れた月が、よく眺める間もなく雲に隠れてしまう。その短さが、久しぶりに現れ、慌ただしく帰っていった友の姿と重なっている。「夜半の月」は単なる背景ではない。再会の喜びを十分に確かめる前に、友が去ってしまった。その名残惜しさを目に見える景色に変える存在なのである。

ここから先は、さらに踏み込んだ私の想像である。詞書には、二人がどこで会ったかも、この歌が紫式部の人生のどの時期に詠まれたかも、詳しくは書かれていない。どこかの道で偶然行きあったのか、あるいは自邸を訪ねてきた友と、ほんのわずかな時間だけ顔をあわせたのか。それは分からない。ただ、日々の務めや暮らしに追われる中へ、幼い頃からの友がふいに現れた情景は思い浮かぶ。話したいことは山ほどある。けれど、話し始める間もなく、友は去っていく。
その夜、紫式部は、懐かしい友と会えたことに少しだけ心を温められていたかもしれない。けれど、その喜びを十分に味わうことはできなかった。会えた喜びと、会いきれなかった寂しさとが、同時に残ったのではないか。雲に隠れたのは月だけではない。久しぶりに友と語りあえるはずだった時間もまた、消えてしまった。
『源氏物語』の執筆地、廬山寺は静かに歌を読むのにふさわしい

廬山寺は、紫式部の邸宅跡と伝えられる場所である。紫式部の曽祖父・藤原兼輔の邸宅「堤第」がこのあたりにあり、紫式部もこの地で暮らし、『源氏物語』を執筆したと伝えられている。京都市上京区、京都御所の東、鴨川との間に位置する。境内に入ると、白砂と苔の「源氏庭」が広がる。桔梗が植えられ、私が訪れた7月の上旬には、紫の花が苔の緑に点々と咲いていた。橘の実も大きくなっていた。観光客で埋め尽くされる寺ではなく、静かに歌を読むのに向いた場所である。

ここに立って、千年前、この場所で暮らしたとされる紫式部のことを思う。彼女は『源氏物語』を書いた偉大な作家であり、同時に、幼友との短すぎる再会を惜しんだ、ひとりの人間でもあった。物語を書く人は、一瞬の奥に、長い時間を見る。たった三十一音の中に、長い年月を経た再会、十分に語りあえないままの別れ、雲に隠れた月、残された名残惜しさ、その全部を畳み込む。

雲に隠れた月のように、可能性が消える夜は誰の人生にも何度かある
若い頃は、再会はいつでもあると思っていた。会いたい人には、また会えると思っていた。六十を過ぎると、それが変わる。久しぶりに会えた人と、次にまた会えるとは限らない。話したいことがあっても、その場では言えないまま別れることがある。「また今度」と言って別れた、その今度が来ないこともある。紫式部の歌が、若い頃に読んだときより、今の方が深く沁みる。これは恋の歌ではない。けれど、恋の歌よりずっと、人生に近い。二人は会った。しかし、会いきれなかった。雲に隠れた月のように、友と過ごすはずだった時間が消えた。そういう夜が、誰の人生にも何度かある。
家隆の歌を書いた第1回は、無名の万年筆で書いた。今回使ったのは、恩師の遺品であるワインレッドの万年筆だ。キャップには「SEPIA」と刻まれている。詳しい製造年代は分からないが、恩師が使っていた一本が、今は私の手元にある。「めぐりあひて」は、久しぶりに会えた友と、十分に語りあえないまま別れた歌である。もう会えない恩師の万年筆でこの歌を書くことに、私は静かなつながりを感じた。雲に隠れる月の、その隠れていく気配を、線の細さで表したかった。紙は前回と同じものを使った。インクの青は、少し沈んだ色を選んだ。「めぐりあひて」のやわらかさ、「わかぬ間に」のためらい、「雲隠れにし」の消えていく感じ。一首の中で線の表情が変わるように書いた。
書き上がった一枚を、廬山寺の写真の隣に置いてみる。この歌がここで詠まれたとは言い切れない。けれど、この場所で紫式部という人の暮らしを思い、その人が経験した短すぎる再会を考えながら、この歌を書くことには意味がある。千年前の歌が、今、自分の手元にある。それだけのことで、十分だと思う。次回はどの歌を訪ねるか、アプリ「歌旅・UTABI」で選ぶ。地図の上で一首を選び、また旅が始まる。





