前編は、埼玉県・熊谷宿で拾ったスズメのヒナが家族になるまでの話だった。後編では”ちゅん”と名付けられたスズメのその後の物語。
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ちゅんを託そうと思う

ちゅんを事故で亡くした。
家族も私もこれほど動揺するとは思わなかった。
中山道沿いには神社や仏閣が多い。
いちいちお参りしていたら、歩きのはかがいかないので、なるべく立ち寄らないようにしてきた。
しかし、ちゅんがいなくなった直後の歩きでは、何を見ても思い出してしまうので、神仏にちゅんを託そうと思った。
佐久平駅で新幹線を降りた。このあたりは果樹園や畑などの平坦な風景が広がっていて、遠くに蓼科山や八ヶ岳が紫色に見渡せる。
中山道に入って静かな集落に入る。
ちゅんと中山道・塩名田宿を歩く

私はいまちゅんを拾った同じ中山道を歩いている。
もうちゅんがいないのに、まだ私は歩いている。
熊谷で拾ったときと同じように掌に、固くなったちゅんを乗せた。
スコップで花壇の土を掘り、埋めた。ちゅんの体を覆うにはひとすくいの土で十分だった。ちゅんの両脚の指は握られたままだった。よくこの足でがんばったな、えらいぞ、と声をかけた。

まばらな人家の裏に小高い丘があり、その上に赤い鳥居が見える。荘山と書いて「かがりやま」と読む小さな神社だ。この集落の鎮守で、いつもなら通り過ぎてしまうような神社だ。
私は神仏に願い事を一切しない。
以前、戦火で黒く焼け焦げた仏様たちを見た。彼らはみんなの願いを託されるばかりで、 ご自身をかえりみることがないのではと思った。そのときから私は手を合わせても、願い事をすることをやめた。ただ「ありがとうございます。御身お大切に」と念じてきたのだ。
しかし今回は違う。
もし死んだスズメが行く世界というものがあるなら、ちゅんが仲間と楽しく暮らせるように願おうと思った。ちゅんは生きている間は、他のスズメを見たことがなかっただろう。
ともかく私は何か目に見えぬ存在に、ちゅんを託したいと荘山の小さな祠に手を合わせた。
少し気持ちが楽になった気がする。
忘れるのも忘れられないのも悲しい

ここひと月、ずうっとちゅんのことが頭から離れなかった。
ちゅんの仕草はもちろん、ちゅんのために出来た生活習慣の喪失が悲しい。
毎朝6時半に餌をやる、白い絵の具のような糞をティッシュで拭き取る、座るときにちゅんがいないかどうか気をつける、そんな日常の行いがいまはない。
そのうちにこんな私もちゅんのことを思い出さなくなるのだろうか。それもまた悲しい。忘れるのも忘れられないのも悲しい。

道は薄暗い集落に入り、坂を下ると重要文化財の本殿をもつ駒形神社があった。
歩きながら悲しみが滲んできたので、またしても神様にこの気持ちを託そうと立ち寄った。細い流れに架けられた橋を渡り、階段を登る。境内には人影がなかった。本殿は小さな社で、しめ縄が張られていた。
いつもより賽銭を奮発して、鈴を鳴らし、丁寧に長く、ちゅんの後生の安泰を願う。心から願う。あまりにも悲しくて、メガネに涙の飛沫が飛んだ。
世界は悲しみとは関係なく存在する
こうやって少しずつ心を軽くしていければいいのだが。
田園の広がる中を歩いて、少しずつ風景を楽しむ余裕が出てきた。
それでも目はついつい鳥の姿を追ってしまう。

チョウゲンボウが電線に止まって、獲物を探している。
カラスがトビと空中戦を展開している。
数えきれないスズメが枯れ枝に群れている。見ているとつい頬がゆるんでくる。

ちゅんも仲間とああしたかっただろうな、そう思うと、もういけない。悲しくてやりきれなくなる。
右手に浅間山がはっきりと見える。今日の浅間には噴煙がない。前回の旅から2か月を経たわけだが、その間に雪が降ったようだ。山襞が白くなって、絵の具で筋を引いたようだ。左手には蓼科山と八ヶ岳。遠い山並みが胸に迫るほど美しい。そしてこの一本道には古い石碑が立っている。

石碑の裏にゴミを捨てるとは、このバチ当たりが!
あれ、石碑の下に何か捨てられている。 段ボール箱に詰まった古いDVD。飛び出したひとつのタイトルが「団地妻 昼下がりの情事」だった。
……世界は私の悲しみなどと無関係で存在している。そのことが妙な慰めだった。




