【写真家・関健作さんに聞く:前編】「みんな同じ」が当たり前だった、ブータンに起こった急激な変化 | BE-PAL

【写真家・関健作さんに聞く:前編】「みんな同じ」が当たり前だった、ブータンに起こった急激な変化

2016.08.17

ベンチに座り勉強をするタシ・ヤンツェ小中学校の子どもたち。

ベンチに座り勉強をするタシ・ヤンツェ小中学校の子どもたち。

青年海外協力隊から派遣された体育教師として、ヒマラヤの小国ブータンで3年間を過ごした関健作さん。そのブータンでの経験をきっかけに写真家に転身し、現在はブータンやチベット文化圏など世界各地での撮影だけでなく、ブータンの魅力を伝えるための講演活動や、ブータンの言語であるゾンカ語の能力を活かした通訳やコーディネーター、ツアーガイドとしても活躍されています。その関さんだからこそ知っている、ブータンとそこで暮らす人々の今について、じっくりとお話を伺いました。

関さんとブータンの子供たち

関さんとブータンの子供たち

——関さんは、2007年から3年間、ブータン東部のタシヤンツェに体育教師として赴任していたそうですが、現地での生活に馴染むのは大変でしたか?

関健作さん(以下関):僕、その点ではあまり苦労はしなかったんですよ。僕にとってはむしろ、ブータンは日本よりも住みやすい。帰りたいと思ったことは一度もありませんでした。食事がとうがらし中心で辛いのは最初気になりましたけど、すぐに慣れましたし。任期中に一度、足首から骨が出るという怪我をしてしまって、治療のために日本に一時帰国しなければならなかった時があったんですが、その時は逆につらくて、すぐにでもブータンに戻りたいと思いました。

——本当にブータンが肌に合っていたんですね。

関:でも、体育教師として赴任したのに、現地の大人たちに自分の立場や考えをなかなか理解してもらえなかったり、相手が何を考えているのか理解できなかったりした時は、結構きつかったです。壁を感じましたし、嫌になった時もありました。それでも日本に帰りたいとは思いませんでしたけど。

民族衣装で体育授業。

民族衣装で体育授業。

——そうした壁を乗り越えるために、ブータンの人たちが使っているゾンカ語を勉強したんですよね。空き時間や放課後にヒマそうな子供たちをつかまえて教わったり……。

関:子供たちからゾンカ語を教わる特訓は、3カ月くらい続けました。すると、割とすんなり、ぽんぽんと話せるようになって。相手も子供なので、そんなに難しい内容の会話はしてませんでしたから、単純な会話なら問題なくできるようになったんです。

——ゾンカ語を身につけたことで状況は変わりましたか?

関:ガラッと変わりましたね。人付き合いもしやすくなりましたし、みんなが僕に興味を持ってくれるようになりました。日本人がゾンカ語を勉強していることがうれしかったみたいで。彼らは自分たちの文化や伝統に誇りを持っているので、それらに対してリスペクトを示すと、すごく喜んでくれるんです。たとえば、お寺にお参りした時に一緒に五体投地礼(両膝、両手、額を地面に伏して祈る仏教の礼拝方法)をすると喜んでくれるとか。だから、ゾンカ語を勉強したのは非常に大きかったと思います。

——言葉ってやっぱり大事なんですね。タシ・ヤンツェの人たちは、どんな感じの方々なんですか?

関:基本的に、みんな優しいですね。村を散歩していたら、あちこちで声をかけてくれて、何も言わなくてもお茶やごはんをごちそうしてくれて。教育を受けていない人たちの中には、英語もゾンカ語もダメで地元で使われている言葉しか話せない人もいましたけど、そういう人たちとも、地元の言葉の「何やってんの? 元気?」くらいのカタコトを覚えてやりとりしていました。田舎だと、人と話すのが一番の娯楽ですから。

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