松鳥むう「おとんと田んぼの奮闘記」第六回
非日常の夕暮れ

時は7月中旬。うちの実家の集落ではこの頃、「いもち送り」と言う田んぼ関連の民俗行事が行われる。世間一般的には「虫送り」と言った方が伝わるかもしれない。映画『八日目の蝉』で登場した小豆島の虫送りと似ていて、夕方、松明に火を点け、子供から大人まで列をなし、田んぼの畔を歩き松明の火の粉を落としていくコトで“稲熱病(いもちびょう)”という稲の感染症を防ぎ、かつ、田んぼの害になる虫も追い払うことを祈願する行事だ。
鐘と太鼓を鳴らしつつ「い〜もち おっくりばい おっくりばい」と言いながら進んで行く。私が子供の頃は、男性だけの行事であり、子供も必然と松明を持たせてもらえるのは男子だけ。女子は列の後ろをテクテクとついて歩くだけだった。が、私はなぜかこの行事がすごく好きだった。まだ明るい時分にスタートし、集落の人たちの全部の田んぼを周り終わる頃には日も暮れ、暗闇の中に浮かぶのは松明の灯火の列。夏休みの始まりに行われる1年に1回しか見ることのできない非日常の夕方のこの景色と時間がなんだか特別に感じられてしかたなかった。
令和の今は、女子はもちろん、集落外の人も同じ学区内なら参加可能になったようだ。
そんないもち送りのおかげだかどうだか、私の田んぼの稲たちは虫に食われるコトもなくすくすくと丈を空へ空へと伸ばしていっていた。
祝!出穂!
まだまだ猛暑続きだった2025年の8月下旬。雑草取りDAYSも1か月半になろうとしている頃(と、言っても途中1週間ほど神奈川は大磯の旧暦の七夕行事を見るために帰って来ていたけれど)、目に飛び込んで来たモノがあった。葉の隙間から天に向かってシャキッと飛び出てきている緑の物体。そう、出穂(しゅっすい)第一号である。
「コレで稲が成るんか?」
と、田植えの頃に両親に言われていた。が、出た出た出た! 出て来たやないか! 実に、めでたい!

「稲も草だから、ほっといてもできますよ」
愛知の田んぼお師匠と、お師匠の田んぼを毎度手伝っているメンバーたちが毎度言ってくれていたこの言葉。親の心配(?)から出るマイナス言葉にしょげる度に、不耕起栽培1年生&田んぼ初心者の私をずっと支えてくれていた言葉。その言葉通り、ちゃんと稲が育っている。教科書としている川口由一先生の本の中のイラストのように大きな扇形ほどには分けつはしておらず、心許ないくらい細目の扇形ではあるけれども。それでも、穂は顔を出して来てくれた。私がしたのは田んぼに水をはって雑草を取っただけなのに。稲って、すごい。稲を含む雑草の生命力って、すごい!
稲を愛でる日々
出穂がはじまったというコトは、雑草取りDAYSがフィナーレを迎えたというコトである。出穂した後、稲の受粉がはじまるため、草取りに入るとそれを邪魔してしまうからだ。出穂したあたりは避けつつ草取りをし、田んぼ全体の3分の1くらいが出穂したあたりで草取りに入るのは終了。と、いうコトは、受粉中、私は遠出ができるというわけだ。待てってましたと言わんばかりに、9月初旬から九州を1週間ほどウロウロしに出かけた。帰ってきたのは9月も半ば頃。数日ぶりの田んぼでは、緑の穂たちが勢揃いで私を出迎えてくれたのである。

「いや〜、かわいいな〜♪」
思わず、心の中でつぶやいてしまう。植物は綺麗かどうかよりも食えるか食えないかで見てしまう私が、まさか、稲を「かわいい」と言うなんて思いもしなかった。子育てが終わったおばちゃんたちが、こぞって食べられない系のガーデニングやらに精を出す気持ちがちょっぴりわかったような気がする。
あとは、穂たちが黄金色になっていくのを待つのみ。果たして、穂は頭を垂れるほどになってくれるのか?それはまた、次のお話で。




