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グレートジャーニー 最新章〈旧石器時代へ、時を辿る旅〉 09 さまざまな打製石器
関野吉晴 (せきの・よしはる)
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、南米最南端からアフリカまで人類の足跡を遡行する「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人々のルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。

旧石器時代は260万年前から始まる。新石器時代が地域によって違うが数千年だったのと比べると、いかに長く続いたことか。あまりに長いので、前期、中期、後期と分ける。前期旧石器時代では、小動物を狩ったり、ライオンやヒョウが食べ残した死肉を漁っていた。中期旧石器時代(約30万年前から4万年前まで)は、ネアンデルタール人や初期のホモ・サピエンスが存在し、石器技術が発展した時代だ。後期旧石器時代は4万年前に始まる。日本列島に人が住み始めたのが4万年前だから、日本の旧石器時代は後期旧石器時代になる。
後期旧石器時代には狩猟採集技術が進化して、食料調達方法が多様化した。地域によっては、鮮やかな洞窟画が描かれたりした。フランスのラスコー、ショーヴェ、スペインのアルタミラ等、馬、牛、シカ、マンモスなどの動物が写実的、躍動的に描かれている。赤、黒、黄などの顔料を用い、技法も指やブラシ、骨や毛で描く、吹きつけ(手形のシルエット)や彫り込みを併用している。またヴィレンドルフのヴィーナスのような肥沃な胸部や腹部を強調した小型の女性像を石、象牙、骨、土などで作っている。縄文時代の土偶と似ている。ドイツのホーレフェルトでは、フルート状の骨管楽器が見つかっているし、イラクでは洞窟内で、死者に花を手向けて埋葬をしている跡が見つかっている。このように、後期旧石器時代になると、ただ単に野性的なだけでなく、多様な芸術的・象徴的表現が生まれた。
石器でも後期旧石器時代にはそれまでにないものができた。細石刃だ。長さ1~4㎝、幅数㎜の非常に小さく鋭い黒曜石の石片を木や動物の骨の溝に複数埋め込み、槍やナイフの役割を果たした。特徴はカミソリの替え刃のように交換可能なことだ。刃が欠けたり、傷んだりした場合、その部分だけを交換すればいい。この道具の普及によって、狩猟の効率が飛躍的に向上した。
私は、いつも世話になっている旧石器学会会長の堤隆さんに若き考古学者・両角太一さんを紹介していただき、細石刃の作り方を指導してもらった。細石刃は、細石刃核と呼ぶ握り拳大の黒曜石の塊に鹿の角の先端を押し当てて、押圧剝離というやり方で、非常に小さな破片をパリンと剝ぎ取って作る。ひとつの石から複数の細石刃をいくらでも剝がせるのだ。
一方、普通の黒曜石の石器は、魚を捌いたり、肉を切ったりするナイフになる。しかし、木を切ることはできない。すぐに刃が欠けたり、刃こぼれしてしまう。鉄のナイフで木を伐採しないのと同じことだ。私は、木を伐るには、河原の石を割って作った打製石器を使う。柄をつけず、直に手で持つハンドアックスで、石器を思い切り木に叩きつけて、その圧で伐る。振り上げて叩くので、そばに他の木や枝などがあると、それらが邪魔をしてより時間がかかる。毎日のように叩きつけていると、その振動によってだろうか、手や腕が痺れて痛くなる。右手で叩いているので右手が不調になるのはわかるが、左手まで不調になる。
伐りたい木は、平らな土地にあるとは限らない。斜面にあることのほうが多い。無理な体勢で伐ることも多く、体勢を整えるのに左手を使うのだ。そしてとうとう、日常生活にも支障が及ぶようになった。服のボタンをかけたりはずしたりができなくなった。指、手、手首の関節が痛くて、思うように動かないのだ。そこでしばらく伐採は休んで、別の作業をすることにした。紐綯いに専念しようと思ったが、指先で紐を回転させる作業が上手くいかない。諦めて、手を動かさないことにした。
1週間休んでも手の痛みが変わらないので、整形外科に行った。石器を振るっている右手だけでなく、左手まで痛くて動きが悪いので、関節リウマチのような全身的な病気かもしれないと思ったからだ。武蔵野赤十字病院で同僚だった整形外科医は、「旧石器時代の旅? 70代半ばに始めることではないだろう」といいながら、検査をしてくれた。リウマチ因子は陰性だったが、陰性の関節リウマチもあるので確定ではない。我慢はできるので、様子を見ながら作業を続けていくことにした。
旧石器時代の旅を始めてから、さまざまな石で打製石器を作ってきたが、中でも北海道のアオトラ(青虎)石は特別だ。アオトラ石は北海道でも日高地方にしかない石で、緑色岩の一種で縞状の紋様が走っていてとても美しい。青緑色と灰色の縞模様が虎の毛皮に似ていることから青虎と名付けられた。適度な硬さと粘りがあり、加工しやすく丈夫なため、縄文時代には「磨製石斧」の主要な石材として珍重され、津軽海峡を越えて本州へ広く流通した。世界遺産でもあり、日本最大級の縄文遺跡である青森県の三内丸山遺跡で、緑色の石斧が大量に出土しているが、日高地方のアオトラ石である可能性が高いことが分析によってわかっている。三内丸山遺跡で発掘された石器のおよそ7割がアオトラ石と推定されている。さらに、秋田県の遺跡で出土した国内最大級の巨大な磨製石斧もアオトラ石製だ。
私は、縄文ジャーナリストの廣川慶明さんにアオトラ石製の磨製石器の写真を見せてもらい、その色艶の美しさに魅了され、北海道に行ったら、この石で打製石器を作りたいと思っていた。その思いがかなった。アイヌのハンターとしてアイヌ伝統の生き方を模索している門別徳司さん(愛称モンちゃん)、和人だがアイヌの伝統的生き方を継承しようとしている若い高橋君と一緒に、日高山脈西麓の森を歩くことになった。
林道を奥深く入って行き、谷に降りた。前日の豪雨で急流は灰色に濁っていた。いつもは澄んでいて、イワナやヤマメが泳いでいるのが見えるそうだ。岸辺にはお目当てのアオトラ石が散乱している。散乱しているだけでなく、川床も、幅約10mの両岸も、すべてアオトラ石の岩盤だ。この川の水源は、日高山脈の最高峰で、日本百名山のひとつでもある幌尻岳だ。まだ北海道や日高山脈が形成される前に、海底火山の噴出物、溶岩や火砕岩でできたものだ。それが海底ではなく、標高350~400mの露頭で見られる。しかも360度すべてがアオトラ石でできた岩盤という贅沢な場所なのだ。「これは、いい石器がたくさん作れるぞ」と興奮した。
私は、アオトラ石でアオトラ石を叩いて石器を作るというとても贅沢な作業を始めた。散乱しているアオトラから、人頭大のモノを選び、硬い大きな石に思い切り叩きつける。どういう割れ方をするのか、予測どおりに割れることもあるが、意外な割れ方をすることが多い。弾き返されて割れないことも多い。午前中いっぱいかけて石器作りに専念して、数点使えそうな打製石器ができた。思いどおりにはいい形の石器はできないが、何とか使える石器がいくつかできた。案内してくれたモンちゃんと高橋君も、石器作りは初めてだということで、子供のように石器作りに夢中になっていた。
石器作りは人頭大の石を頭上に持ち上げて、振り落として別の石にぶつける作業なので、かなり疲れるが、いい割れ方の石器ができると気が昂りうれしい。
思いどおりのいい形の打製石器はなかなかできない。だから夢中になる。

北海道日高山脈西麓。岸辺の石も、河床や両岸の岩盤も、周囲360度すべてアオトラ石という贅沢な沢で石器作りに夢中になった。

アオトラ石で作った美しい磨製石器。縄文時代には石斧の主要な石材として珍重され、津軽海峡を越えて本州へ広く流通した。

人頭大のアオトラ石を別の大きなアオトラ石に叩きつけて作った石器。アオトラ石で打製石器を作るという願いがかなった。

黒曜石の打製石器。切れ味鋭く、魚を捌いたり肉を切ったりするナイフになる。叩くと刃こぼれするため、木の伐採には向かない。
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※構成/鍋田吉郎 撮影/筆者
(BE-PAL 2026年10月号より)




