松鳥むう「おとんと田んぼの奮闘記」第三回
助けて欲しいのはそこじゃない件

「お父さんが、田んぼに水引けるようにしてくれはったで」
種下ろしをしてから約2か月、あっちこっちへ郷土料理の取材に出かけまくり、いざ田植えをすべく実家に戻った私へおかんから田んぼ状況が言い渡された。
その時の私の反応は「ええ!?」だった。さて、コレは嬉しい「ええ!?」だろうか? それとも、別の意味の「ええ!?」だろうか?……答えは、「なんでやねん!」の方の「ええ!?」である。

「なんで水路やってしまうん!? 教えてもらわな、来年から一人でできひんやん!」と、おとんに言うと「来年も田んぼやるつもりでおるんか!?」と返って来た。
なんで、田んぼやるのに1年限定やと思ってるんや? と、逆に言いたい。しかも、1年そこらで慣行農法の田んぼが不耕起栽培に適した土地になるわけないのである。だがしかし、不耕起栽培というモノを見たコトも体験したコトもないおとんには通じない。私がお手本にしている不耕起栽培の本を「見て」と言っても、1ページも見てくれない。ぐぬぬぬぬ……。

ただ、水路作りに関しては、不耕起栽培も慣行農法も関係なくほぼ必須作業である。私の愛知に住む田んぼお師匠の田んぼは愛知用水を田んぼの水に使用してるため、バルブを開けば水が出る仕組みだが、私の実家の田んぼは道向かいの川から田んぼに水を引かないといけない。しかも、田んぼが川より高い位置にあるため、川にあれやこれや細工をしないと田んぼに水が流れない。その細工の仕方を、私は教わらないとわからない。そもそも何の道具を使うのか、その道具類が家の倉庫もしくは畑の小屋のどこに閉まってあるのかすらもわからない。
「自分で探せ」と言われるが、マイルールがめちゃくそ細かいうちのおとん。触ったら触ったでブツブツ言われるので御免被りたい。しかも、水路作りに関しては田んぼお師匠の田んぼでは教えてもらえないコトである。かつ、教科書として読んでいる川口由一先生の本も、田んぼより低いトコロにある川から水を引く方法は載っていない。素人的にそこが書かれていないと全くわからない。なので、ココこそは、おとんに教えてもらいたい作業なのに、なんで、さっさと私が居ぬ間に終わらしてしまうのか……。

「お父さんも、ああ言いながら、気になってしゃーないんやって」と、おかん。
気になって手伝ってくれるのは嬉しいが、そこじゃない感満載で、相変わらず噛み合わないおとんと私。
理想と妥協とおとんと……
不服は残りつつもできた水路。でも、まだ田んぼ内に水は入れない。私が目指すトコロの不耕起栽培の田植えは水を張らずに、鎌で小さな穴を堀り、苗を2〜3本ずつ手で植えて行く方法である。泥に足を取られない快適さは絶対に譲れない。土はまだ不耕起栽培用の栄養分を蓄えた状態には出来上がっておらず、ふわふわの土だけれど……。
私が参考にしている川口由一先生の不耕起栽培田んぼの本来の形は、田んぼの内側の周囲に1周ぐるりと溝を作り、田んぼ内にも何本か溝を作る。そして溝と溝の間、畑でいうトコロの畝のような部分に40cm四方間隔で苗を植えていく。溝部分に水を流し、そこから畝の部分へ水が行き、苗の根本にうっすら水がある程度の形である。不耕起栽培だと、畝の部分に枯草や草があるおかげで、水分が蒸発せずにうっすらの水でも大丈夫なのだそう。
が、私の田んぼは昨年まで慣行農法をやっており、かつ、田植え前に一度耕してしまっているので、土の上に感想を防ぐための枯れ草の層ができていない。土がむき出しの状態だ。なので、今回、目指すトコロの理想の形にはできず、とりあえず、40cm四方間隔で植えて行き、その後、慣行農法と同じく一面に水を張るコトに。
「理想」と「妥協」と「おとん問題」。田んぼをやると言ってから、頭の中でもリアルでも、常にこの3つがぐるぐる悶々し続ける日々である。「土を触れば心身が癒される」という話をネットや書籍でよく見かけるが、あれは嘘な気がしてならない。とりあえず、私とおとんに至っては当てはまらない。

手作業の田植えの理想としては、多勢で一気に植えて1日で終えた方が断然楽である。田んぼお師匠のトコロで、いつも田植えや稲刈りをお手伝いされている常連さんが「むうさんトコも手伝いに行くよ」と言ってくださった。そりゃもう、私としては、めちゃくちゃ来て欲しい! 田植え云々もあるが、自分の育った集落の自然が好きなので、うちの集落に人が来てくれるのは、私はとっても嬉しい。普段から、そういう同じ感覚の人がやっている交流型のゲストハウスを泊まり歩いているので、それが“私の”通常感覚だ。
だが、しかし……! ココにも再び立ちはだかるおとんという壁。それぞれの通常感覚が180度違う私とおとん。田植えのお手伝いに友人知人が来てくれると言うが……結果は、いかに? それは、また、次回のお話で。




