おとんと田んぼの奮闘記 第一回
おとん、田んぼを辞める宣言

「今年の収穫を最後に、米作りを辞めようと思ってます。機械が全部揃っているので勿体無い気もしますが!」
2024年の稲刈り時期。滅多に来ないおとんからのLINEが1通、ピコンと鳴った。
私はスマホを握りしめ、瞳を丸々と見開いてその一文を見入った。思わず口角がクッと上がる。
「……やった! 待つコト8年。とうとう、私が田んぼをできるターンが来た!」
2011年の東日本大震災を経て「将来、自給自足が大事になってくる気がする」と思った私は、2016年に2種類の不耕起栽培の田んぼをちょこっと習っていた。ひとつは、冬も田んぼに水をはったままの冬季湛水不耕起栽培。もうひとつは、水を慣行農法ほどはらず、田んぼに生える雑草も田んぼの土の肥やしとする栽培方法だ。 2種類を学んだ結果、神奈川の家と滋賀の実家を行き来しつつ、合間には全国各地へ取材旅に出かけるという私のライフスタイルに合うのは圧倒的に後者だと思った。なんせ、一番のポイントは苗の育て方である。慣行農法だと、ビニールハウスで毎日様子を見、毎朝水をやり温度管理をし……と、それはそれは蝶よ花よなお姫様待遇を1か月ほどしなければならない。

が、私の教えてもらった農法では、田んぼの中に種籾を直接蒔く。そして、人間は水もやらなければ、温度管理も担当しない。苗は自然界からの恵みの雨と、自力で土の中から探してくる水分だけで約2か月かけて育つ。超スパルタ! かわいい子には旅をさせろスタイルだ。田んぼをしながら、あちこち放浪して取材をしたい私は、この放ったらかし育苗にときめいた。「苗も私も“自由”が多くてなんとステキやないか」と。
翌2107年。実家の1枚だけ使っていない田んぼで、その農法を試してみたいと言ったら農法の細かい話もあまり聞かないうちに「わしの目が黒いうちはあかん!」と、おとんに一蹴された。
今回、おとんの目はまだまだ黒いが、もう田んぼはやらないと言うではないか。しかも、田んぼを誰かに売るわけでも貸すわけでもないという。ならば、6枚ある実家の田んぼのうち1枚くらい私がやろうと、田んぼライフ計画にうきうき想いを巡らせはじめた。
誰がやるんや!? わしはやらへんで!
ところがだ。両親からは、喜ばれるどころかマイナスな言葉しか返って来ない。
「こっち(滋賀県)に住んでへんのに田んぼやるなんて無理や」
「百姓はそんな簡単なもんやない!」
「あんた、クルマの免許も持ってへんのに無理やって」
と、LINEでも帰省して直接に会った時も連呼される日々。
本業として農家になると言うなら、そりゃ大変である。反対されるのも頷ける。が、私がやりたいのは「自分の食べる分を自分で作りたい」という話である。しかも、田んぼは集落内にあるので余裕で徒歩圏内。そして、私が20歳の時にあの世へと旅立ってしまった大正生まれのうちのおばあちゃんもクルマの免許など持っていなかったけれど、農作業はやっていた。だから、免許がなくてもできないわけはないと言うのが私の持論である。おばあちゃんがやっていたコトは、おばあちゃんと性格がそっくりな孫の自分にもできるはずと何故か根拠なく信じている。
一応、クルマの免許を持っていて、実家の2つ隣の街に住む弟にも「田んぼ、一緒にせ〜へん?」と声をかけてみたが、弟の返事も、これまたつれなかった。
「米作りは儲からへんからかなん。やるなら、儲かる榊かレモンや」
だーかーら、私がやりたいのは商売としての米作りではなく、自分の食べる分を自分で作りたいって話なのに、なんでテーマが儲け話になるのやら。
奇しくも、時は令和の米騒動真っ最中。米農家さんが大変なコトや、米農家さんが減っているコトを世の中の人たちが改めて知るきっかけにもなり、自分で米作りをしてみたい、米作りを手伝ってみたいという人が、それまでよりもちょこちょこと増えはじめた頃である。だから、なおのこと、家族に米作りを反対される意味がわからない。
「おとんが田んぼ辞めるって言うから、私が1枚だけ田んぼやろうと思って〜」と、友人知人に言うと「それは、ご両親、喜ばはったやろ?」と言ってくれる人が何人かいたが、現実はその真逆。親には歓迎どころか迷惑がられている状態。
「田んぼ耕したり、刈ったり、誰がやるんや!? わしはやらへんで!」と、怒り気味におとんが言う。
「ほやから、不耕起栽培っていう耕さへん農法をやりたいんやってば。田植えも稲刈りも自分で手作業でするやんか!」と、応戦する私。
「耕さへんかったら、草がすごいコトになるんや!どないすんねん!」と、ぷりぷりカッカ具合が増すおとん。
「だから、この本に書いてある感じでやるんやって。ちょっと、この本見てよ!」と、イラストいっぱいの不耕起栽培の本を見せようとするも、おとんは1ページも見ようとしない。全く話が進まない。

おかん、通訳係になる
帰省中のある日、私が出かけている間におかんが不耕起栽培の本を見たらしく、帰宅したらおかんからおとんに大まかな説明がなされていた。おとんはおかんの話には耳を傾ける。おかん通訳のおかげで、一歩前進。
けれど、今度は、どこの田んぼを使うか問題が勃発。うちの田んぼは集落内の民家があるトコロに小さな田んぼが2枚と、民家のない山の麓に大きな4枚がある。前者は、おとんが雑草対策ですでにトラクターで耕していてふっわふわの土と化しており、後者は雑草も生えていて耕していないので硬めの土でほぼ平ら。私のやりたい不耕起栽培は、土がふわふわしているより硬めで平らな方が理想である。なので、山の方の1枚を使うコトに。
「あそこは水路がすぐ詰まるんや」とか「水路側はマムシがいるんや」とか引き続き、おとんがぶつぶつとつぶやいているが、とりあえず使う田んぼも決まってひと安心。あとは、種下ろしの予習をしに、愛知県の田んぼお師匠のトコロに行けば完璧だ。良し良し♪

そして、4月中旬。愛知県の師匠のトコロで種下ろしの予習をしてから再び帰省すると……。
「やっぱり山の田んぼはあかん。集落の中の方を使え」と、おとんの意見がコロッと変わっていた。帰省してすぐに種下ろしをやる気満々で、田んぼお師匠に種籾も分けてもらって来たのに、半分振り出しに戻ってしまった。はあぁぁぁ……(ため息)。
しかし、「田んぼをやるコトに絶対反対」の時期は過ぎた模様。ふっわふわの土で、かつ、凸凹になっている田んぼで、私がやりたい農法はどうすればできるのやら。師匠にLINEで田んぼの写真を送り、あーだこーだと相談しまくる。
が、最終的に「もうそのまま慣行農法でやってしまったらいいんじゃない?」と言う師匠。
違うのよ、師匠! 私は、あの、水を貼らずに土に鎌で小さな穴を開けて1本1本苗を植えていくあの田植え方法も、放ったらかし育苗と同じくらいやりたいのよ。「スニーカーでできてしまう田植えのなんと楽なコトよ! 泥で汚れたりもしーひんし、便利!」と、初めて体験した時の感動は忘れられない。慣行農法の手作業での田植えだと、泥に足を取られて全く進まないわ、洗い物は増えるわ……面倒くさがり性格の私には向かないのである。

「お父さんが、土をトラクターで平らにするのだけはやってくれるって言うてはるから、そうしてもらったら?」
と、おかんから伝言が入る。おとんと私が話すと言い合いが始まるからか、おとんがおかん経由で話すようになって来た。この歳で、間におかんに入ってもらうのもなんだかなと思ってしまうが、おとんに声を荒げてあれやこれやと言われるのは、精神的にほとほと疲れるので正直助かると思ってしまう自分がいる。
さて、お次の課題は“種下ろしの場所をどこにするか”である。2か月間、苗が自分で水分を探しに行けて、土にもそれなりに栄養分がある場所で、田植えする田んぼに近い場所。そんな最適解な場所は……いずこにすべきか? 種籾はすでに手元にあるのに、なかなかはじまらない私の田んぼライフ。一歩進んで二歩下がる。
米作りで一番の肝となる“種下ろし”と“育苗”の話は、また、次回。




