おとんと田んぼの奮闘記 第二回
自然農田んぼとの出会い

「米作りは、苗作りで7〜8割が決まる」
米作りの際によく言われる言葉だ。子どの頃、春になると毎朝、おとんが仕事に行く前に黄色いBOX型の育苗機の温度を確認したりしていたような朧げな記憶がある。苗がある程度育つとビニールハウスに移して、毎朝、水やりをしていた記憶も。
私は、とにかく朝に弱い。なので、朝から苗に1か月間毎日水をやるなど……正直無理である。そして、春は自分のライフワークである離島巡り、民俗行事巡り、郷土食巡りも活発になる時期だ。あちこちへそれらを訪ね周りもしたい。苗に付きっきりになっておる場合ではない。でも、田んぼはやりたいと言う果てしない矛盾。
しかし、10年前の2016年、そんな矛盾を取っ払う農法に偶然にも出会ってしまった。
私が時折泊まりに行く宿のひとつに愛知県は知多半島の「南知多ゲストハウスほどほど」という宿がある。ほどほどさんはもう10年以上(2026年現在)、小さな自然農田んぼをされていて、ご近所さんや宿の常連さんも一緒に手伝いながら作業をされている。私がその田植えに初めてお邪魔したのは2016年。「はい。」と宿主であり、私の田んぼお師匠であるこっすーさんから手渡された田植え道具は一つのプラスチックの丸皿と1本の鎌。

田んぼに水ははられてなく雑草もちらほらと生えている。足元は、長靴を履いている人もいれば、クロックスの人もいる。田植えをする田んぼの一区画に青々と生えている苗を1本づつ引っこ抜き、鎌で小さな穴を掘り、ひとつの穴に苗を1~2本づつ植えていく。

「この苗の育て方は、苗が自分自身で水分を探して育つ方法なんですよ。だから、強い苗ができるんです。」と、こっすーさん。
私の衝撃たるや! 慣行農法しか知らなかった私にとって、それは、もはや異世界の田植え状態。人間が毎日甲斐甲斐しくあれやこれややらなくてもいいなんて!
「これなら、私も田んぼができる気がする!」
ちょっぴり光が見えた瞬間だった。

種下ろしの場所探し
そう思ってから早10年の現在。当初、私が田んぼをやるコトへの両親の大反対もあったけど、それもやや和らぎ、やっと種下ろしを始められると思いきや……おとんから突然の田んぼチェンジ命令。
理想の硬めで平な土の田んぼではなく、ふっわふわの土の田んぼの方を使えと。私がやりたい種下ろしは、ふわふわではなく硬めの土が希望だとずっと言っているのにその点は全然伝わっていない。
「種下ろしだけ土が硬い山の田んぼでやれば?」と、おかん。同じ集落にある田んぼとは言え、山の田んぼと集落内の田んぼだと集落の真逆の端っこどうしなので、クルマの免許を持っていない私は田植え時にどうやって苗を運ぶか問題がついてくる。
「だから、百姓するならクルマがいるやろ?」と、ココぞとばかりにおかんに言われる。原付ですら身分証明書の役割しか果たしていないペーパードライバーな私なのに。
やはり、種下ろしは田植えをする田んぼのすぐそばでないと物理的に難しい。と、なると、田んぼの脇にあるビニールハウスの中か外である。が、ビニールハウスの奥によそさんの畑があるため、ビニールハウスの外で種下ろしをやってしまうと、その畑に行く人の邪魔になってしまう。そうなると、有無を言わさずビニールハウスの中になる。確かに、私は「硬い土がいい」と言った。が、ビニールハウスの中の土はカチンコチンで草もそんなになく、土に苗を育てられるほどの栄養があるとは思えない。
「何言うてんねん。ビニールハウスの中、草すごいんやで! 見て来い!」と両親が口を揃えて言う。
とりあえず、言われるがままにビニールハウスの草の状態を見に行った。そこで、初めて、両親と私の「草が多い」の基準が違いすぎているコトに気がついた。師匠の不耕起栽培の田んぼの草に比べたら、これは、私の中では草が生えているに値しないレベルだ。むむむ……。これは、私のやりたい田んぼの草の量を見たら、親は卒倒するやもしれぬ。師匠の田んぼ写真は、しばらく親には見せないでおこう。

しかし、この時点で種下ろしの時期がそろそろギリギリである。とりあえず、種下ろしをやってしまいたい。この栄養分があんまりない土に栄養ある土を混ぜてしまうしかないかな? というか、もうそれで進めないと時期的に間に合わないのではと少々焦りはじめ師匠に尋ねてみた。迷うとすぐ師匠を頼ってしまう。とりあえずあるモノでやってみるのはいいと思うとのお返事だったので、その線でいくコトに。ちなみに、うちの実家のビニールハウスは、現在、ビニールハウスとしての機能はほぼ果たしてない。ビニールが張られているのは側面だけであり、天井はフルオープン。つまり、苗に必要な雨はちゃんと降り注いでくれる形である。
「(側面にビニールが張ってあるから)猫とかが入って来うへんからええやんか。」と、おかんが言う。
土に直蒔きする種下ろし
まずは、ビニールハウス内で1.2m×5m四方の土の表面を削る。ちょうど雑草の根っこの長さくらいの3~5cmを鎌でめくっていく感じだ。師匠がやっているのを見た時はマジックか!? と思ったが、やり慣れてくると意外と簡単にめくれる。結構な範囲がいっきにめくれると、これがものすごく愉快痛快爽快! 次第に楽しくなっていく私。楽しすぎたのか、予想よりも早くにめくり終えてしまった。 めくり終えると、そこへ栄養補給分として有機培養土をサラッと敷き詰める。私のやりたい農法ではちょいとイレギュラーではあるけれど。おとんが前に買った土があまっているからそれを使えというので、そこは有難くその土を使わせてもらうコトに。

そして、その上からパラパラと種籾を蒔き、重なっている種籾同士を手でちょこちょこ離れかしてそれぞれの間を開ける。それがひと通り終わると上から全体的に覆土用の土を被せる。これまた、おとんが買って余っていた土をそのまま使うコトに。

ちなみに師匠のところでは、山から採って来た雑草の種子が入っていない土を覆土として被せていた。次の年は私もその形でやってみたい。さて、その後は、さらにその上に乾燥防止として、昨年の実家田んぼから出た籾殻を敷き詰める。師匠は藁を使っていたので、藁でやってみたかった。が、残念ながら、実家田んぼの藁は1本も残っていなかった。そして、最後は鳥除けネット張りである。道向かいの畑で作業をしていたおとんに鳥除けネットが家の倉庫のどこにあるのか尋ねたら、軽トラでどこかかしら竹の棒と一緒に持って来て、おとんがちゃっちゃとネットを張ってしまった。おとんの方が手慣れているから、それはそれでありがたいのだが「自分で覚えたいから自分でやりたかった……。」と、心の中に少し悶々とした気持ちが残る。むむむ……。

だが、とりあえず、不耕起栽培田んぼの第一歩は踏み出せた。このまま約2か月間、つまり6月末頃まで、苗が育つのをコチラはただただ待つのみ。合間に、苗の周りに生える雑草を引っこ抜かないといけないが、ま、それはおいおい様子を見ながら。「私はしばらくあちこち放浪するから、苗も自由に水を探して大きくなっておくれ。」と、苗床に両手を合わせて祈りしばしのお別れである。
苗も私も自由に過ごした2か月間
お別れの間、本当にあちこちへ行った。静岡の井川地区へ神事の一環である焼畑の見学へ行き、高知の端午の節句に飾られる旗・フラフを見に行き、埼玉県の小鹿野へ「つとっこ」という郷土料理を教えてもらいに行き、岩手県へチャグチャグ馬子を見に行き、山形の米沢へ塩引寿司を巡りに行き……もちろん、合間に神奈川の自宅へも帰っている。

種下ろしをして約3週間した頃、おかんから「芽が出たで!」と、鳥除けネットの隙間から撮った苗の写真が送られて来た。「苗の具合を見ておいて」とはひと言も言ってないのに、何気におかんも苗の成長が気になっている様子。そして、苗も苗でちゃんと自分の水を探す日々を過ごしている模様。win-winじゃないか! その後も引き続き、お互いがお互いの道を行くスタイルで1か月ばかり過ごした6月末。再会した苗たちは、超でかくなった子から、ヒョロヒョロ細い子まで十人十色がすぎるけれど、それなりに育ってくれていた。もう、これだけで個人的には万々歳である。種下ろしをした直後、自然農田んぼを見たコトも体験したコトもない両親には「こんなんで芽ぇ出るんか? 出ぇへんのちゃうか?」と、これまたこっちがちょっぴり萎える言葉を言われていたので「ほれ! ほったらかしといてもちゃんと苗は育つんやで(えっへん)!」と、心の中は誇らしい気持ちでいっぱいだった。
さて、お次はいよいよ田植え……の前に、水路の確保である。ココでまた、私の心に小さな「むむむ……」が生まれてしまうのである。そんな水路と田植えの話は、また次回。




