
ラルンでも、村の学校などはお休みとなり、子供たちは午前中、村はずれに作られたスケートリンクで、カザから来たコーチの若者たちにスケートを教わっていました。
【雪豹に会いに、インド・スピティへ 第5回】
2か月前にできたばかりのスケートリンク

このスケートリンクは、州政府の支援で、ほんの2か月ほど前にできたばかりだそうで、子供たちが履いているスケート靴も、二十足ほどは州政府が用意してくれたそうです。余裕のある家では、子供にスケート靴を買い与えた家もあるとか。
これだけ標高の高い土地で、子供の頃からスケートを練習していれば、将来、強靭な心肺能力を持つスケート選手が、スピティから登場するかもしれません。
インド共和国記念日のラルン村での催し

村の中にある公民館のような簡素な建物の屋上では、村人たち全員にふるまわれる炊き出しのごちそうの支度に、調理担当の男性たちが取り組んでいました。僕も後でいただきましたが、パニール(豆腐のようなチーズ)とたっぷりの野菜を煮込んだカレーを白飯にかけたもので、なかなかおいしかったです。

公民館の建物の中で、スピティの歌謡曲に合わせて、しずしずと踊りを披露する村の女性たち。伝統的なえんじ色の長衣をまとい、肩口には、刺繍入りの緑色のマントを羽織っています。このほか、ラダックの歌謡曲やキナウルの歌謡曲、ボリウッド映画の曲など、さまざまな曲に合わせて入れ替わり立ち替わり、踊りが披露されました。
この地域では、こうした歌と踊りの催しのことを、英語で「カルチャー・ショー」などと呼んでいます。この日、ラルンで催されたカルチャー・ショーは、村の若者たちが申し出た企画だったそうです。
ラルン村の小学校を訪問

翌朝、僕はラルンの村にある小学校を訪ねました。昔からの年下の友人の一人が、今、この学校で教師をしていると聞いたからです。小さな校舎の教室にそっとお邪魔してみると、子供たちは、2か月に一度行われるテストの真っ最中。写真だけささっと撮らせてもらって、あとは校舎の外で、友人の話を聞かせてもらいました。

友人がこの村の学校に赴任してきた時、最初は2人しか登校してこなかったそうですが、村の人たちとの話し合いを続けるうちに互いの理解が深まり、今は25人ほどの子供たちが通学しているそうです。
10年以上前、友人が大学生だった頃に、僕は彼と知り合い、彼にガイドをしてもらう形で、スピティの村々をトレッキングで旅して回りました。その旅の途中、彼は「将来はスピティで子供たちを教えたい」と話していたのを思い出しました。まっすぐな思いを貫いて、夢を叶えたのだなあ、と、何だか嬉しくなりました。