
しかし、個人的に最もアイルランドらしいと感じる地域といえば、西部ゴールウェイ沖にあるアラン諸島。岩盤だらけの大地と殺風景で荒涼とした雰囲気に、なぜか心を掴まれます。
アラン諸島へは本土から日帰りで訪れる人が多いのですが、昔ながらの生活や言葉が残り、自然をより近く感じられる場所です。少しでも島民になった気分を味わいたい!と今回、島に一宿することにしました。
木々もなく、石と岩ばかりの不思議な島
フェリーでたったの15分で、最も小さなイニシア島へ
アラン諸島は「諸島」とあるように、3つの島――イニシュモア島、イニシュマーン島、イニシア島からなっています。これらの島々を日本語風に表現すれば、それぞれ「大島」「中島」「東島」といったところでしょうか。
訪れるのはアラン諸島の中で最も小さなイニシア島。島の大きさは3km✕3kmほどで、人口は年間平均で 250人ぐらい。この島には約5000年も前から住人がいたのだとか。
まずアイルランド西部にあるドゥーリンへ行き、その村の港から出発する小さなフェリーに乗り込みました。夏のハイシーズンと異なり、5月になるかならないかという時期は訪れる人もあまりいないのか、我々を含めて20人ほど。
気持ち良い春の潮風を頬に受けること15分、あっという間に船はイニシア島へ到着しました。

港近くの宿を予約していたので、まずはチェックイン。通された部屋から見える景色は、海とどこまでも続く石垣のパノラマ。他の場所で見ないような景色が目前に広がっていて、なんだか自分がどこか未知の国にいるような感覚に。

この島で我々を待つものとは?非日常的な景色の島を探索

島の小さなスーパーで買ったもので軽くランチを済ませ、いよいよイニシア島の探索開始です。島内を自転車で走るのが人気アクティビティの一つでもあるので、自転車でまわることも考えましたが、それだと面白いものを見逃しそうな気もしたので、自分たちのペースで散策することに。
延々と小道に沿って続く石灰岩の岩盤や石壁の間を歩きながら、イニシア島始めアラン諸島での厳しい自然の中暮らしてきた人々のことを想っていました。

アラン諸島は樹木も草も、そして土もほとんどない石と岩だらけの島だったので、ここに暮らす島民たちは何世紀もの長い時間をかけ、岩盤を取り除いては家畜放牧用の草地や農作物を作るための畑を作り、砕いた石を巧妙に積み上げて囲いを築いていきました。考えただけで気が遠くなりそうな、忍耐と根性が必要な作業です。

また、アイルランドでは英語とゲール語(アイルランド語)が公用語となっていますが、アラン諸島ではゲール語が日常的に使用される「ゲールタハト(ゲール語が第一言語として話されている地域)」。
そのため島では英語ではなくゲール語のみの表示になっており、さらなる別世界観を醸し出していました。

道で人とあまりすれ違うこともなく、のんびり歩いていくと分かれ道に来ました。もう一つの広い道を馬車が走っていきます。アラン諸島では本土から車の乗り入れができないため、安全に歩きや自転車で島をまわれるのが良いな、と思いました。

その時少し遠くの方から複数の声が聞こえてきました。大勢の子どもたちの叫び声のよう。
声のする方へ近づいて行くと、子どもたちがハーリングの練習をしています。ハーリングとはアイルランドの国技の一つで、3000年以上も前からアイルランドで親しまれてきた歴史ある競技です。紀元前の文献にも記載されているのだとか。

一見すると野球やホッケー、ラクロスが混ざったようなスポーツで、島の子どもたちは毎週末にこうして年齢も性別も関係なく、一緒に練習しているのでしょう。そんな様子が微笑ましく、しばらく練習を見学させてもらいました。
島の歴史を無言で語るプラッシー号
アラン諸島の中でも、特にイニシア島へ来てみたかった理由が私にはありました。それはこの島のシンボルをこの目で見たかったから。宿泊先から2km以上歩いた場所にそれはありました――難破船プラッシー号です。錆びて茶色になった姿で佇む船は遠くから見ても間近で見ても、圧倒的な存在感を放っています。

その昔、1960年3月8日に荷物を積んで近くを運航していたプラッシー号は、激しい嵐に巻き込まれ海岸沖の岩に衝突してしまいます。それを目撃したイニシア島の少年が他の島民たちにいち早く知らせ、そのおかげで船の乗組員たち11名は、島の海難レスキュー隊により無事全員救助されたのでした。
そしてプラッシー号は数週間後再び襲った嵐によってイニシア島海岸に漂着し、それ以来60年以上もの間、島のランドマークとして大切にされています。
驚くことに、難破船の周りにはフェンスも注意書きの看板もありません。船に触れていく人もいます。つまり各自が常識的行動をし、もし自分の不注意で何か起きてもそれは自己責任…ということのよう。
ところで船の管理をしている島民の方から聞いた話ですが、数年前に何度か来た大きな嵐の影響で、船の位置がずれたのだそうです。このように極力自然な状態で保存されているプラッシー号は、いつか朽ちてなくなるその日まで島を見守っていくのでしょう。

島を半分ほど歩いたところで夕方になったので、いったん宿へ。夕食後に今度は近くのビーチへ行ってみることにしました。時刻は夜7時頃でしたが、日が長くなっていく季節なのでまだ辺りは明るく、ここでも探索が少しできそうです。
アイルランドで私が最も好きな季節が5月から6月。緑の大地に白やピンク、黄色といった色とりどりの野花たちが絨毯のように広がって咲き、眺めているだけで気分が上がります。


夏場だと観光のみならず、ゲール語を学ぶため島に滞在する子どもたちも来てにぎやかになると聞きますが、私たちが来た時は静かでした。

翌朝ドゥーリンへ戻るため、宿で美味しい朝食をいただいた後はすぐに港へ。滞在中に仲良くなったボーダー・コリー犬と遊んでいると船が来たので、イニシア島と犬とはここでお別れ。

そんなのんびり一泊二日の旅でしたが、日本での生活はもちろん、アイルランド本土での生活とも全く異なる時の流れと世界観があり、また初めて来た島のはずなのに、なぜか郷愁感と寂寥感を同時に感じる体験でもありました。
心残りは島を半分しかまわれなかったこと。次回訪れる時は、残りの半分を歩きだけではなく、自転車でも爽快に巡ろうと思います!