現在も5羽の鷹と豪雪の山間部に暮らし、鷹狩りを続けている松原英俊さんが語る「鷹とともに歩む人生」
探検家・関野吉晴さんが、時代に風穴を開けるような「現代の冒険者たち」に会いに行き、徹底的に話を訊き、現代における冒険の存在意義を問い直す──BE-PAL8月号掲載の連載第13回目は、クマタカなど大型の鷹と雪山を歩いて狩りをする“最後の鷹使い“松原英俊さんです。
極点や高峰を目指すことだけが冒険ではありません。常識の枠を超える、誰にも真似のできない行為にも注目すべきだと考える関野さんが、到達を目的としない冒険人生を歩む松原さんの生き方に迫ります。その対談の一部をご紹介します。
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
松原英俊/まつばら・ひでとし
1950年青森県青森市生まれ。1974年慶應義塾大学文学部卒業後、山形県真室川町の沓沢朝治氏に弟子入りし鷹狩りの技術を学ぶ。現在、クマタカで猟をする日本でただひとりの鷹使いである。登山キャリアも豊富で、1995年には中国の未踏峰に初登頂する。
最初の3年半はネズミ1匹獲れなかった
関野 鷹はどのように訓練するのでしょうか?
松原 訓練はまず、鷹を腕に留まらせることから始めます。鷹は警戒心が強いので、最初は暴れて腕に留まってくれません。そこで、真っ暗な部屋の中で腕に留まらせます。暗闇の中では何も見えないため、おとなしく腕の上に乗ってくれるからです。それに慣れたら、ろうそくを1本灯します。そして少しずつろうそくの本数を増やしていき、さらに夜明けの光、日中の明るいときでも腕に留まっていることができるようにします。そして、鷹を腕に乗せた状態で外を歩き回れるようになるまで仕込んでいきます。同時に絶食の訓練もします。鷹は腹がいっぱいだと狩りをしません。狩りのためには何十日もの絶食を繰り返し、空腹にさせてハングリー精神を高めていかなければならないのです。さらに、離れたところに留まらせた鷹に鷹使いがエサを見せて腕に呼び戻す訓練、最後に生きたウサギやニワトリを使って獲物を捕まえる訓練をして仕上げます。こうしてようやく雪山に入って狩りができるようになるのですが、訓練だけでも1か月半から2か月かかります。
関野 独立後、初めて獲物を獲るまで3年半かかったそうですね。
松原 師匠には訓練の初歩しか学べず、実際に鷹と山を歩いて獲物を探すことは教わっていなかったので、自分で失敗を重ねながら経験を積んでいくしかありませんでした。ひとりになって3回目の冬まで、私の未熟さのせいでネズミ1匹捕まえることができませんでした。それでも、いつか自分の手から飛び立った鷹が獲物を獲ると信じていました。何年かかろうと鷹使いになるという決意は揺らぎませんでした。そしてとうとうその日が訪れました。2月のある日、私の手から飛んだクマタカが初めてウサギを捕まえたのです。そのとき、体中から喜びが込み上げてきました。「この日のために生きてきたんだ。この一瞬を追い求めてきたんだ」という思いがあふれ、私は雪の中に立ち尽くしてしばらく声を上げて泣きました。あの瞬間があったからこそ、その後のいろいろな苦労も乗り越えてこられたのだと思います。
この続きは、発売中のBE-PAL8月号に掲載!
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以下の動画で、誌面に掲載しきれなかったこぼれ話をお楽しみください。