以前、主流とされる「フォルターライン(Vorderrhein)」の源流へは行ったことがありますが、ふたつあると聞けば、もう一方も訪ねたくなるのが人情。
そこで今回は、もうひとつの源流である「ヒンターライン(Hinterrhein)」の源流域、そして締めくくりとして、このふたつの川が出会い「ライン川」となる合流地点へと足を運びました。
いきなり、スイス軍の射撃訓練場?!
ハイクのスタート地点まではバイクで到着。秋分を過ぎたばかりとはいえ、山に挟まれた谷にはまだ日差しが届かないうすら寒い朝8時、歩き始めました。
今回のハイキングは、最初の4キロほどが少し変わっていました。そこはスイス軍の射撃訓練場の敷地内なのです。平坦で歩きやすいのはいいのですが、軍用道路と兼用のハイキングコースには、訓練の残骸と思しき鉄片がところどころに転がっています。




「本当に必要な場合はあなたを撃ちます」と書かれています。私が歩いた日も軍用車がパトロールしていました。
基地を抜けると景色もコースの表情も一変します。ここからが本格的な山歩きです。
岩肌に取り付けられた鎖を伝って進む斜面があったり、アップダウンを繰り返し、ポールが活躍するコースになったり。


登る間、左手には常に谷川が見えます。足元に気を配りながら、ときどき立ち止まって耳を澄ますと流れの音が聞こえます。地図上ではその細い流れに、すでに「ヒンターライン」と川の名前がついていて、何やら意地を感じます。
というのも、宿泊したB&Bの女将さんと前日、こんなやりとりをしました。
女将「今回はなんでここを選んだの?」(確かに、Nufenenというかなりマイナーな小さな村です。)
私「以前フォルターラインの源流に行ったので、今回はヒンターラインの源流を見る目的で…」。
女将「いいわねぇ。世間じゃ、あっちが源流って言うけど、“私たち”はこっちだって源流だと確信してるわ」。

ハイキングに戻りましょう。
季節は秋の始まり。斜面にはビルベリーの葉が赤く色づいています。夏とは違ったカラフルな景色がなまった体に喝を入れてくれます。

標高が高まるにつれ深まるその彩りや渓谷の流れに目を奪われ、何度もカメラを構えてしまいました。気づけば標準所要時間の倍近くを費やして、ようやく中継地点のザッポルトヒュッテ(Zapporthütte、標高2276メートル)に辿り着きました。
150年前は氷河の脇だった山小屋
これ以上はないと言える天候に恵まれていたので、外のテーブルで朝食の残りで作ったサンドイッチを開き、ひと休み。小屋の管理人が、電気の機械ではなく、モカポットを使っていれてくれたコーヒーは、まさに絶品。

この小屋が建てられたのは、1872年。当時は今、渓谷になっているところが氷河で埋まっていたといいます。壁に飾られていた1950年代の写真には、小屋の背景に氷河が写っています。約70年前までは、小屋の裏手200メートルほどのところまで氷河が迫っていたというのです。管理人の話に耳を傾けつつ、彼女が指差す方を見ると、氷河はほんのかけらとなり、高い崖の上に残るのみでした。悠然と刻まれる地球の壮大な時間に思いを馳せる一方で、そのペースを狂わせる「温暖化」という言葉が脳裏をよぎり切なくもありました。


見知らぬハイカーに感謝
小屋で短い休憩をとった後、さらに歩みを進めました。ここから先が今回のハイキングの目的地であるヒンターラインの源流域です。コースのマークは、一般登山道を示す「赤白」から「青白」に変わります。これは山歩きの経験や適切な判断力が求められるコースであることを示します。

実際に歩き始めると、傾斜は比較的緩やかで体力的にはむしろ楽でした。しかし、視界が開けるだけに油断は禁物です。氷河が後退しながら残した平らな谷の底に整地された道はなく、コースを見失わないよう神経を使う必要がありました。小屋との往復3時間、他のハイカーとすれ違うことは一度もありませんでした。出会ったのは好奇心旺盛なマーモットの子供だけ。

そんな心細さを和らげてくれたものがあります。過去にここを歩いたハイカーたちが残してくれたケルンです。石を積み上げたケルンは、この場所では単なる遊びではなく、コースを見失うことを防ぐための目印。岩と枯れ色の草地と細い流れが広がる単調な場所で、進む方向を教えてくれるケルンを見つけるたびに、見知らぬハイカーたちとの絆を感じ、思わず「ありがとう」を口にしていました。


川が生まれる場所
視界の開けた堆積地を歩き続けた末にたどり着いた源流域は、氷河が最後に登っていったであろう急峻な山肌に囲まれた岩場。山肌の至るところから清水がいく筋も流れ出し、寄り集まり、何本もの小さな流れを作っていました。

朝8時に出発してから、ここまで約6時間半。よく歩いたご褒美は、座り心地のいい岩。ラインの生まれるせせらぎ。そして足元には手を伸ばせば触れられる澄んだ水があります。冷たい。でも優しい。この流れもやがて一本の川になり、海へと続く…。…地球はデカい。

しかし。秋分を過ぎたばかりのこのあたりの日没は19時半前。時間を考えると、そろそろ戻らなければ闇夜の軍事施設を歩くことになる。あの黄色い注意書きを思うと、それはちょっと遠慮したい。飲むことは控えましたが、源流の水で顔を洗い、帽子を濡らし、下りのエネルギーを頂戴して引き返しました。帰路は小屋を挟んで標準所要時間通り、1時間半+2時間半で暗くなる前に下山できました。
2つの流れが出会う場所へ
翌朝、B&Bの女将にハイキングの報告をし、バイクを走らせ、ライヒェナウ(Reichenau)という小さな町へ向かいました。この町でヒンターラインとフォルターラインが合流し、私たちが知る「ライン川」となって流れ始めます。
合流の様子は印象的でした。ふたつの川が、そこで一度滞留し、緩やかにたゆたう情景は、まるで新しい旅立ちを前に、何か相談をしているようにも見えました。


帰り際、ふたつの流れがひとつになり、「ライン川」となって流れ出していく河原で、丸く削られた小石を一つ拾いました。愛おしいそれは、まだ革ジャンのポケットに入ったままです。
興味本位で大河ラインの源流を訪ねましたが、期待以上のハイキングになりました。普段何気なく橋の上から眺めている身近な川も、溯っていけば、きっと始まりに行き着くはず。
もしそこに歩いて行ける道があるのなら…。




