
イギリスではどんな街にも、その街の社交場ともいうべきパブがあると聞く。イギリスで音楽活動をしていた佐藤学さんが、そんなパブに憧れて開いたブルワリーがカギヤ醸造所(川崎市中原区)。地元ではクラフトビールとハンバーガーのおいしいお店として知られる。麦芽カスや使用済みホップを再利用する研究にも力を入れる。音楽とパブをこよなく愛する佐藤さんにインタビューした。
ロンドンのパブ文化を日本で再現したい
2000年代 、カギヤ醸造所の代表、佐藤学さんはイギリスのロンドンでギタリストとして活動していた。近所のパブによく通い、ビールを飲み、地元の人々と交流し、週末にはよくライブを開いた。
「パブでは外国人にも気さくに話しかけてくれます。おじいちゃんもおばあちゃんも若い人も。演奏者も近所の人が多かったですね。地元の人が地元の人を楽しませている、生活の中にライブがある感じでした。聴いている方も自然で自由で。その雰囲気が私は大好きでした」
佐藤さんにとってロンドンのパブは、さながら日本の公民館のような交流の場。帰国後にこんなパブを開きたいと思うようになった。
2014年、はじめに開いたのは「Cafe CLUB KEY」というお店。場所は川崎市幸区の住宅街。なぜ川崎市? と聞くと、佐藤さんは「私は秋田県出身ですが、東京の大学に進学し、大学時代は川崎市の溝の口に住んでいました。それでなんとなく川崎には馴染みがありまして」とのこと。溝の口は古くからの川崎の繁華街の一つである。
佐藤さんはロンドンのパブでしたようなライブもたびたび開いた。しかし、「難しかったですね。音の苦情とかで……」。住宅街でのライブ演奏は諦めざるを得なかった。

そんな佐藤さんがブルワリーを開くことになった背景には、ある偶然があった。当時、「Cafe CLUB KEY」の近所に風上麦酒製造という醸造所があった。コアなクラフトビールファンの間ではちょっとした噂になっていたマイクロブルワリーだ。ビールの評価は高く、「Cafe CLUB KEY」も仕入れていた。ところが間もなく、醸造長が体調を崩し、やむなく醸造所を閉めることになった。そんな風上麦酒製造の事情が、「Cafe CLUB KEY」でもいつか自家製ビールを造りたいと思っていた佐藤さんの背中をグイッと押した。佐藤さんは風上麦酒製造から醸造設備を引き継ぐことにしたのである。
醸造技術をどのように身につけたのかというと、佐藤さんはそもそも大のビール好き。ロンドン時代はホームブルーイング(自家醸造)を趣味にしていた。近所のホームブルーイングのコミュニティにも顔を出すほど根っからのビール好きある。
「その集まりに行くと、ビールのいろんなアイデアが出てくるんですよ。ビールってこんなに自由なのかと。こんなこともできるのかと。音楽は言葉と音符の組み合わせですが、ビールは麦芽とホップの組み合わせでできる。音楽とビールは近いものがあるなと思いましたね」
「Cafe CLUB KEY」ではライブ演奏は断念せざるを得なかったが、パブにはビールという楽しみもある。地元の人に愛されるパブで、いろいろなビールを身近に楽しんでもらいたい。佐藤さんは風上麦酒醸造からも醸造の手ほどきを受け、「Cafe CLUB KEY」はカギヤ醸造所へと発展していく。
都市部だからこそローカルを大切にしたい
2023年、川崎市中原区にカギヤ醸造所がオープンした。タップルームを併設した、いわゆるブルーバーだ。JR南武線の武蔵中原駅から歩いて5分もかからない。ここに開いた理由を聞くと、「川崎市の中原区にはまだ1軒もブルワリーがなかったから。また、駅から近いことが決定的でした」と言う。

店に一歩入ると、奥の正面に銀色のタンクが並び立つブルワリーが丸見えだ。店内から醸造設備の一部が見えるのはブルーバーの楽しみのひとつだが、これほど全面オープンな店は珍しい。
「タンクを見ながら飲んでほしいからです。都市部でブルワリーをやるからには、地元で造って地元で提供する、これが一番重要です。もちろんフレッシュですし、一番嘘偽りのないビールだと思うんですよね」
ビール醸造の現場を見ながら、タップから注がれるフレッシュなビールを楽しむ。音楽もビールも“ライブ”主義だ。

「吹けば飛ぶような小さなブルワリーです。地元の人に支えてもらわないと」と言う佐藤さんのローカルへの意識は強い。
隔月でブルワリー見学を開催している。日曜の昼にスタートすることもあってか、参加者は比較的近隣の人が多いようだ。佐藤さんが通ったロンドンのパブのように、街の社交場のような店でありたいと願っている。

麦芽カスをキノコの菌床に!「カワサキノコ」開発中
カギヤ醸造所では今、麦芽カスの新しい活用法を開発中だ。
ビールを仕込むたびに出る大量の麦芽カスの処理は、マイクロブルワリーの苦慮するところだ。飼料や肥料として有用でありながら、その扱いの難しさから産業廃棄物として有料で処分しているブルワリーは多い。
難しくしている理由は、麦芽カスを乾燥させる手間とコストだ。水分を含んで100キロ単位の重量になる麦芽カスを広げられる場所まで運び、さらに熱量をかけて乾燥しなくてはならない。小さなブルワリーには負担が大きい。そこで、佐藤さんは「乾燥させなくても使える方法はないか?」と研究を始めた。
大学で農学を専攻した佐藤さんは恩師を訪ねて相談し、キノコの菌床に使えないかというアイデアを得た。キノコの栽培なら水分を含んだ状態で使えるというのだ。また、キノコなら広い土地や日光も必要ない。都市部でも栽培できる作物だ。
麦芽カスの菌床化は現在、サステナブル事業を扱う企業と共同で開発中。栽培手法が確立した暁には、「カワサキノコ」と名づけて商業化する予定だ。さらに、佐藤さんは「菌床に使ったあとのカスはカブトムシの幼虫の巣に使って、その後はコンポストに」と先のことまで考えている。「大麦を育てて麦芽にするまで相当量のエネルギーを消費しているので、これくらい使い倒せばエネルギー収支はトントンかと」と笑う。

「カワサキノコ」が商品化されて、スーパーに並ぶ日はいつか。「その時は、カギヤ醸造所のビールを隣に並べてほしい。どちらも同じ原料から生まれたと知ったら、お客さん、驚くでしょうね」と楽しみにしている。もし、これが成功したら、乾燥させない麦芽カスの再利用法として画期的な一歩になるだろう。
カギヤ醸造所では今年、単純に「もったいないから」という理由で、使い終わったホップの再利用も試してみた。すでに使用後のホップをまとめて食品原料として再生している企業がある。香りの量はもちろん新品より減るがゼロではない。
「うちのビールはホップを数種類使うので、その一つとして再利用ホップを使ってみました」

ビールは自由だ! ホップを使わないビールだってできる
カギヤ醸造所は創業以来、瓶で販売してきたが、2026年秋から缶に切り替えている。缶によって物流の簡素化、さらにはエネルギー消費の削減が見込める。すでにタンクや釜が詰まったブルワリーになんとかスペースを作り、缶詰機を設置する予定だ。
加えて、原料をミクロのサイズにまで粉砕する機械も設置する予定だ。フルーツの実や皮をミクロサイズに砕いてビールの副原料に使うという。
カギヤ醸造所が目指すビールづくりのひとつに「ビールが苦手な人もおいしく飲めるビール」がある。
「ビールにはたくさんの種類があります。既存のビールしか知らず、それでビールが苦手だと思っていたとしたらもったいないじゃないですか。好きなビールが見つかれば、世界も広がると思います。それでジュースみたいなビールも造ってみました」
街中で見かける生オレンジジュースの自動販売機から出るオレンジの皮を再利用してビールを造った。
「皮をできるだけ細かく砕いて入れたら、トロトロのスムージーみたいなビールになりました。皮の苦味があるのでホップは入れずに造ってみました。ふだんビール飲まない方もゴクゴク飲めておいしいと。ホップが入っていないので『ビール』とは呼べませんが」
酒税法上の「ビール」はホップを原料に入れなくてはならないのだが、そんな重要なホップを除外してしまう大胆さを感じる。
「最近はサワーエール(酸味の強いエール)が人気ですが、これにフルーツを組み合わせたらもっとビールらしくないビールができると思います(笑) どんどん造っていきます」
使用済みホップを使うかと思えば、ホップを入れないビールを造る。コアなビール好きからは「なにこれ、ビールじゃないじゃん」と言われるかもしれない。ビールはそうやって進化してきたのかもしれない。ビールと音楽は似ていると佐藤さんは言う。カギヤ醸造所がつくり出す、ビールらしくないビールのこれからが楽しみだ。

●カギヤ醸造所 神奈川県川崎市中原区上小田中6-27-11 小泉ビル1F
https://www.keycorporation.co.jp/craftbeer.html




