半年以上、お休みしていましたが、宮川勉の「中山道のリアル」が再開しました!今回は登場するのは江戸から数えて29番目の「下諏訪宿」。諏訪大社下社の門前で、5街道の内中山道と甲州道中の2つが交差する交通の要所。宮川画伯もさっそく、江戸時代初期に造られた石仏にお参りするも、石仏周辺で若い女性たちによって繰り広げられるお参りの方法に疑問が浮かんだもよう。空気に流されて同じようにお参りするのかどうか、おじさんは躊躇するのでありました。
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嘘から出た実(まこと)
競馬で大損をした某ライターから聞いた話。
ちょうどそのときやりかけていた仕事は、取材した場所の地図作りだったそうだ。岬の名前を書き込むことになって、調べてもいっこうに出てこない。締め切りが迫って焦っていた彼は、競馬の腹いせもあって「ウマデソン岬」と書いておいたのだそう。まあ、記事の本筋ではない地図の片隅の岬なので、と軽く考えたのだろう。
ところが後年、別の用事でその町の観光課を訪れ、地図をもらったところ、堂々と「ウマデソン岬」という名前がある。役場の人に聞くと「以前からそう呼ばれていました」と涼しげに語ったそうだ。
それを思い出させる体験。
「万治の石仏」を見にいく
中山道最大の難所である和田峠を越え、だらだらと続く142号線を歩き、ようやく諏訪の街にはいった。


諏訪大社に詣でる前に、かねてから気になっていた「万治の石仏(まんじのせきぶつ)」を見にいく。
石仏は境内から外れた場所にあった。


巨大なおむすびに頭を乗っけた姿がなんともユニーク。
頭に対して、体が妙に存在感があるので、阿弥陀坐像というよりも失敗したスフィンクスのように見える。
しかしこのアンバランスこそがが最大の魅力なのかもしれない。見る人は頭の中でこれはスフィンクスではなく阿弥陀様なのだ、ましてやおむすびではないと修正する、その想像力が加味されてなんだかありがたい仏様に見えるのだ。これが整った石像だったら、これほど有名にならなかっただろう。
実際に岡本太郎や谷内六郎など、この像を愛する芸術家は多い。
由緒書きによると万治年間(1660年ごろ)に諏訪高島藩主が諏訪大社に大鳥居を奉納するのに、石工がこの巨石にノミを入れたところ、石から血が流れ出したのだそうだ。そこで鳥居にするのをやめ、代わりに阿弥陀仏を彫り、万治の石仏として祀るようになったという。
鳥居にするのを恐れたのに、仏を彫ってしまってよかったのだろうか。
若い女性の奇妙な行動にもやもやする
石仏前には若い女性ふたりいて、順番待ちをしている。
女性の順番が来たときだ、やおらひとりが石仏の周りをスキップし始めたではないか。そのまま三周して、石仏の正面にまわって手を合わせた。
そしてひとりが終わると、もうひとりと入れ替わり、彼女も石仏の周りをまわり始めた。
ええっ、こんなことするの???
たしかに近くにある看板には参拝の仕方が書いてあった。石仏を三周したら「よろずおさめました」と唱えるのだそうだ。
もやもやを抱えながら、すでに三周する心の準備をしている自分がいた。
ふたりが去ったとき、突然「ああ」と、違和感の正体に思い至った。
これって最近、作った儀式だろう。
万治という年号を、訓読みして「よろずおさめました」としたところが、実に怪しいではないか。
「三遍回って」も、パワースポットを演出するために、役場に頼まれた広告代理店あたりが考えそうな儀式に思える。
ちょっとした思いつきが、いつしか権威をもってしまうのはウマデソン岬みたいなものか。
万治の年号を「よろずおさめました」って、それは……
街道を歩いていると、古い由緒があっちこっちにあって、パワースポットに仕立てられている。まあ腹を立てずに面白がれるといいなあと思うけど、おれ、人間が小さいから。
ああ、よかった。あやうく三遍まわってしまうところだった。





