なぜカンボジアで胡椒なのか | 海外の旅 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル
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    2019.04.16

    なぜカンボジアで胡椒なのか

    『KURATA PEPPER』代表の倉田浩伸さん。トゥール・コークのプノンペン本店にて。

    前回はカンボジア南部コッコン州、海にほど近いスラエアンベルの山麓地帯にある『KURATA PEPPER』胡椒農園の収穫イベントの話であった。

    今回はその『KURATA PEPPER』創業者、倉田浩伸さんにフォーカスをあてる。

    なぜカンボジアで胡椒なのか?初めてその理由をお聞きしたのは2013年の暮れ、スパイスジャーナル14の取材の時だった。最初は単純に「胡椒が好きで!」とか「カンボジアが常夏だから!」などとノー天気な答えが返ってくるかと思っていたが、現実はもっともっと深いドラマが隠されていた。

    2019年、プノンペンの新店舗であらためてお話を伺う。

    次第に募ったカンボジアへの関心

    倉田さんは1969年三重県津市に生まれる。

    中学3年の時にお兄さんをバイク事故で亡くし、命の尊さについて考えさせられるようになる。そんな矢先、カンボジア内戦(1)を取材したニューヨーク・タイムズの記者の体験を元に作られた映画『キリング・フィールドThe Killing Fields』(1984年作)』を観て強い衝撃を受けた。

    いてもたてもいられなくなり、映画を観た帰り書店へ駆け込み、元読売新聞記者サイゴン特派員だった小倉貞男氏が書いたカンボジアの「虐殺はなぜ起きたか」(PHP研究所)という本を買った。そして原始共産制とはなにか。同じ国の人間同士がなぜ殺し合うのか。次から次へと噴出する疑問に突き動かされ、貪るように読んだ。これがカンボジアに興味を持つきっかけとなった。

    その後もカンボジアに関する書物を読み漁り続け、大学4年の時、NGO活動を通じてついにカンボジアの地に足を踏み入れる。19928月のことだった。カンボジア和平協定が締結されたことをきっかけに、様々な国が復興援助のために入国しだした時代である。以来、日本とカンボジアを行き来する生活となる。

    かつて内戦で受けた弾痕が今でも残るアンコールワット第一回廊西塔門付近。

    そしてNGO活動を終えた後も、倉田さんはカンボジアに残り個人的に活動を始める。この国が本当の意味で自立できるために必要なこと。それは学校や教育の前に、まず産業ではないかと考えたのだ。農業国なのだから農業からやり直せばいい、そう思い1994年に輸出企業を立ち上げた。これが『KURATA PEPPER』の前身となる。

    「最初はココナッツやドリアンなどをやってみたのですが、気圧の変化に耐えられなくて機内で破裂。それ以来、二度と積んでくれなくなった()。他にも色んなことをやったけど結局どれもうまくいきませんでした」

    日持ちする、軽い、破裂しない

    95年に一度帰国。そして、仕事でカンボジアへ行ったことがあるという親戚とたまたま出会い、19621964年の農業統計資料をもらった。するとそこにポワブル(仏語で胡椒という意味)の文字が載っていた。産地はカンポット州やコンポンチャム州、コッコン州などと記されている。

    「胡椒っ、これだ!と思いましたね。日持ちするし、軽いし、破裂しないし()

    そこで、胡椒農業は今どうなっているのか、2年をかけて各地を調査する。が、やはりどの農地も内戦により3年間放置されたことで、胡椒の苗など残っておらず壊滅状態であった。

    当時はまだまだ不安定な状況で、ポル・ポト派の残党がいるエリアなどでは、地元の人間が運転する車の後部座席の下に身をかがめ、上から荷物を積んで隠れたりしながら農村に入っていったという。

    1990年代半ば、コッコン州スレアンベル川を越えたところで倉田さんは一人の男性と出会った。

    そんな時である。ある農村で、’79年にポル・ポト派から解放され、家に帰ってきたという一人の男性と出会う。彼の農地もまた放置されていたわけだが、奇跡的に在来種の苗が3本だけ残っていて、少しずつ増やしているというではないか。

    そこは代々薬に頼らず伝統農法でやってきた場所。また熱帯雨林気候の豊かな降水量と水はけの良い砂地の土地であることも気に入った。倉田さんは意を決する。

    「よし、一緒にやっていこう。きっといい胡椒が育つはず。もっと農地を広げて日本へ輸出しよう」

    迷わず自社農園としての契約を交わす。当時は200平米ほどの敷地に40本ほどの胡椒が植わっていたという。それをまずは1ヘクタールほどまでに拡張した。1997年、『KURATA PEPPER』の本格始動である。

    右が倉田浩伸さん。左が’79年にポル・ポト派から解放され、家に帰ってきたという男性のご子息ホー・ブッティさん(現在農園主任)。2013年、農園に通じる密林の道にて。

    倉田さんも畑仕事を手伝った。そして徐々に収量を増やし、さてこれからという時に大きな壁が立ちはだかるのであった。

    胡椒が売れない!

    せっかく育てた胡椒を誰も買ってくれないのである。営業先は日本の商社や食品企業など。「たかがカンボジアなんだからもっと安くしろ」と希望価格では誰も相手にしてくれない。もちろん、質を見極めることのできる人もいなかった。

    「僕はカンボジアの生産者の立場に立ってやりたかったんです。カンボジアなんだから日本の何十分の一の価値しかないっておかしな話でしょ。品質がよければ必ず買ってもらえると、ずっとそう信じていました。

    ま、時代もあったと思います。カンボジアと言えば、地雷、内戦、貧困などといったネガティブなイメージがあったから。確かに’977月にはプノンペンで市街戦や空港爆破もありました。’91年に和平協定が締結されているというのに」

    結局どれだけ営業しようともまったく売れず。給料が払えなくなり、一人また一人と社員が辞めていく。挙句の果てには、日本から帰ってきたら事務所のパソコンや車もなくなっていた。

    倉田さんは当時住んでいたシアヌークビル(プノンペンから南西へ230キロほど行った港町)の部屋を出る。同時に営業用に起業した日本の会社も閉じる。2000年のことである。

    その後、借金返済のために、旅行ガイドや通訳、NGOやジャイカなどの現地コーディネートなどの仕事をして何とかしてつないだ。

    「あの時はもう帰国しようかと思いました。単に借金を返すために生きていました。いったい自分は何をやっているのかと。でも”僕からカンボジアを引いたら何も残らない。もう一度頑張れ!”と友人が励ましてくれて」

    1997年、『KURATA PEPPER』が本格始動した場所(2013年撮影)。現在、当時の胡椒は寿命を迎え、畑を休ませている最中。

    そんなある日、思わぬことが起こる。秋篠宮ご夫妻がカンボジアを訪問し、縁あって接見会に参加することができ、なんと胡椒をお土産にご購入したいと言っていただいたのである。実際に秋篠宮さまはご購入され、その数か月後に御礼のメールを頂いた。もまた購入されたというのだ。

    「あれは本当にうれしかったです。自信を得ました」

    そして2003年、由紀さんとご結婚。由紀さんの柔軟でユーモラスな発想で、もっと魅力的なパッケージを、もっと独自性のある加工食品を作って、国外ではなく国内で販売しよう。そんな思いで翌年、プノンペンのど真ん中におそらく世界初であろう胡椒専門店をオープンさせたのだった。

    左はカンボジア人愛用の藁製(地産品)バッグをミニサイズで特注。右はカンポット地方の職業訓練校のカンボジア人たちによるもの。両方とも中に胡椒が入っている。アイデアやラベルのイラストも奥様の由紀さん作。

    砂糖ヤシ製の乳鉢。元来ニスを塗っていたところを蜜蝋に代えて、胡椒用のサイズに特注している。これも由紀さんのアイデア。

    その後着々とファンを増やし、いつしか日本国内でも知られるようになる。当初1ヘクタールほどだった農園は現在約6ヘクタールにまで拡張(東京ドーム約4.7ヘクタール)

    メディアの露出も徐々に増え、最近では人気番組で取り上げられるまでに。タイミングによっては収穫が間に合わず入荷待ちになることもある。日本人ファンたちのお目当ては看板商品の赤完熟の黒い胡椒。

    「ライプペッパー」http://kuratapepper.jp/ca1/2/p-r-s/)だ。日本では20g972円とおそらく世界で最も高級な胡椒である。「カンボジア産なんて要らない」と言われていたころが嘘のようだ。

    左が『KURATA PEPPER』のライプペッパー。右が日本で一般的な胡椒。

    この奇跡の復活劇に刺激を受け、今では続々と他の生産者や企業が立ち上がり、『KURATA PEPPER』の商品にそっくりな商品が溢れかえるほどにまでなった。

    胡椒の生産量もほぼ皆無だったものが、どんどん増えていき、2018年はついに世界6位になったという。

    倉田さんが育んだのは上質の胡椒だけではなかった。まさにカンボジアに自発的産業の道筋を示したのである。

    ところで、倉田さんは常日頃から腰にマイぺッパーミルをぶら下げていて、事務所でもレストランでも農園でも、隙があるとカリカリとやっている。そう、これほどにアウトドアに相応しいスパイスはないのだ!

    倉田さんは常にペッパーミルを腰に装着している。中央の白いシャツ姿が倉田さん。

    脚注

    (*1)カンボジア内戦
    1970年から1993年頃まで、カンボジア人の政治家ポル・ポト派による虐殺、ベトナムの軍事介入、大国間の冷戦が入り交じり、激しい動乱が続いてきた歴史がある。飢餓と虐殺による犠牲者は300万人とも言われている。

    KURATA PEPPER
    1994年創業。カンボジア原種を徹底したオーガニック自然農法で栽培する。最近では人気TV番組でも紹介されるなど、日本国内でもぐんぐん知名度上昇中。現在、国内での販売も可能となり商品も着々と増えている。日本に取扱店あり。業務用等の相談はウェブサイトから受け付けている。
    http://www.kuratapepper.com

    プノンペン本店
    8AM~7PM (休み:クメール正月、盂蘭盆、水まつり)
    #35B Street 606, Boeung Kok 2, Tuol Kouk, Phnom Penh CAMBODIA 12152

    カワムラケンジ プロフィール

    10代の頃から様々な飲食の現場で経験を積み、20代からレシピ開発や飲食業の運営や経営、また物を書くようにもなる。2010年、スパイスをテーマに料理、旅、ヨーガ、科学など多角的にとらえた世界初のバイリンガルミニマガジン「スパイスジャーナル」を創刊(18)。著書に『絶対おいしいスパイスレシピ』(2015年木楽舎)、『おいしい&ヘルシー!はじめてのスパイスブック』(2018年幻冬舎)がある。
    https://www.kawamurakenji.net

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