「止まれ」の標識がある交差点では一時停止。では、ほかのクルマと鉢合わせたら…? アメリカには「止まれ(STOP)」標識のルールが 日本とちょっと違う交差点もあって、最初はちょっととまどうかもしれません。交差点ひとつにも、お国柄や人々の心のありようの違いが表れるのが、クルマ社会のおもしろいところ。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員の金子浩久が、新型のV8エンジンを搭載したマスタングに乗ってLAをドライブしたときに、ふと、こんなことを考えました。
V8マスタングの余裕たっぷりな魅力
フォードが新型マスタングを2014年に発表して、そのメディアイベントをロスアンゼルスで開いたことがあった。
ホテルから走り出し、丘陵地帯のワインディングロードを走り、海沿いを巡って戻ってくるルートで、5.0リッターV8や3.7リッターV6、あるいは2.3リッター直列4気筒など、エンジンや装備の違いなどで何台もの新型マスタングをテストすることができた。
それらの中で最も魅力を感じたのが、やはり5.0リッターV8版だった。V8が生み出す豊潤なトルクによって、ワインディングロードでもフリーウェイでもマスタングを軽々と加速させ、余裕の走りっぷりだった。
道路環境も違うのだけれども、アメリカのスポーツカーとヨーロッパのスポーツカーの違いのひとつは、この“余裕”にあると思う。アメリカで運転すると、アメリカ製のクルマの良さがとても良くわかる。
北米特有の交差点「4-way stop」とは?
ベースとなったホテルに戻るには、サンセットブールバードという大通りを曲がって住宅街に入り、ふたつの一時停止の交差点を越えていかなければならなかった。それらの交差点がふたつともアメリカならではの「4-way stop」だった。
外国でクルマを運転すると日本とは違った交通ルールに遭遇することがあるけれども、4-way stopはアメリカとカナダ独特の交差点の渡り方だ。これほど独特なものも珍しいのではないだろうか。
4-way stopは2本の道路が交わる信号のない交差点で、すべてのクルマが一時停止しなければならない。2本の道路の両方向車線でstopしなければならないから、「4-way stop」と呼ばれる。
日本の信号のない交差点では、一方が優先道路になっていて、交差するもう一方は必ず被優先道路になっているから、一時停止が義務付けられているのは非優先道路を走ってくるクルマになる。優先道路では、停まらずに通過して構わない。アメリカには、こうした“日本型”の交差点もある。
しかし、4-way stopですべてが一時停止しなければならないのだったら、その後に発進する順番はどうなっているのだろうか?
みんな早く走り出したいのだから、信号なり誰かが順番を決めてくれないと困るだろう。危ないし、万が一にもブツかったりしたら、どちらに瑕疵があったのか判断しにくくなる。
4-way stopの交差点で一時停止した後、左右の安全を確認したら走り出すわけだけれども、実はその時には厳然と順番が決められているのである。その順番の決められ方が4-way stopの特徴となっていて、それがとてもアメリカらしいと思うのだ。
一時停止後、走り出す際の優先順位は?
その順番とは、「交差点に到着した順」だ。
ドライバーは眼の前の交差点が4-way stopであることを確認すると、自分が停止線で停まることと一緒に、左右車線と対向車線からもクルマが交差点に差し掛かっていないか目視する。その時に、自分がどのクルマの次に停止線に停まることになるのか、その順番を憶えていなければならない。
想像してみよう。
まず、他のクルマがいなくて自分が運転する1台しか交差点に差し掛かろうとしていない場合。
簡単だ。一時停止して他の3つの停止位置にクルマがいなければ、安全を確かめて交差点を渡ればよい。この場合は、優先道路が決まっているような日本の交差点と変わらない。
次に、すでに自分より先に、交差する道路や対向車線をこちらに向かってくるクルマが先に停まろうとしているか、すでに一時停止している場合。
その場合は、そのクルマが発車してから、自分の番になる。一時停止して安全確認の後に、発車。
さらに、すでに一時停止しているクルマや自分よりも先に交差点に差し掛かろうとしているクルマが2台いる場合。自分の順番は3番目になるので、1台目と2台目のクルマが発車したら、安全を確かめて、こちらも発車すれば良い。
さらに自分以外の3台がすでに一時停止しているか、停止線に差し掛かっているという時もある。その時も、自分は順番通りに4番目に発車すればよい。
4番目に発進するということは、自分は一番最後だと憶えておけば良い。4番目といっても、3台が交差点を渡りきるだけだから、自分の順番はすぐに来る。スッスッスッと次々と走り抜けていくから、待たされているイライラ感もない。交差点の先で渋滞していなければ、次から次へと進んでいくので気持ち良いくらいだ。
信号を設けず、道路を優先と被優先に区別しないことによって、無駄な待ち時間を発生させることなく、安全にも寄与できるところが4-way stopの長所だ。
4-way stopって難しそうだけど…
長々と説明すると、複雑で難しそうに聞こえてしまうかもしれないけれども、そんなことはない。とても簡単だ。一度、体験してみれば忘れない。
次の交差点が4-way stopである場合には、事前に標識で伝えられているし、ふさわしいと思われるような場所にしか設定されていない。住宅街などの、交通量がそれほど多くなく、通過スピードも遅い場所だ。
前方に交差点を認めて、「STOP」の標識の下に「4-WAY」「ALL WAY」と記されているのを確かめた辺りから意識しはじめ、自分よりも先に差し掛かっているクルマや、すでに一時停止しているクルマはどのクルマかを注意しながら見ていればよい。クルマの種類や車種、ボディカラーなどで見分けが付いて、自然と認識するようになる。
僕が4-way stopを初めて体験したのは、1987年にサンフランシスコからソルトレイクシティまでレンタカーで旅した時のことだった。その時は海外運転経験の豊富な知人と一緒だったので、彼から教わった。
その後、アメリカとカナダのあちこちを走っているけれども、数え切れないほどの4-way stop交差点を通過してきている。戸惑うようなことは起きていない。他のクルマが混乱しているような場に居合わせたこともない。つまり、それだけシンプルで使いやすく、安全で、支持を受け続けているシステムだと言えるだろう。
なぜ日本では4-way stopが採用されないのか?
4-way stopの交差点を通るたびに、こんなに優れたシステムなのに他の国では採用されていない理由を推察してしまう。
まず、アメリカやカナダは国土が広く、道路の造られ方にも余裕がある点だ。どこへ行っても建物が立て込んでいる日本や人口密度の高い国だと、交差点を丸ごと見渡せるスペースが、そもそも確保できない。
それと関連して、計画的な都市計画に基づいた町造りや道路建設ができていなければ、4-way stopを実現させるのは難しいだろう。
そうしたインフラ面でのアメリカとカナダの独自性とは違った面からも、4-way stopと日本との親和性の低さが考えられる。それは、ルールや法律というものへ向き合う姿勢だ。
ドライバー相互で運用する自律的交通システム
交差点の停止線から走り出す順番を、みんな頑なに守っている。そのためには手前から自分の順位を意識していなければならない。誰かに強制されたり、誰かが伝えてくれるものではない。ドライバーたちが自分たちでシステムを作り上げて維持しているから機能しているのだ。
交差点にセンサーでも設置されていて、どのクルマが何番目なのか判読して、それをモニター画面で表示してくれたりはしない。あくまでも、ドライバー同士で確認作業を行い、それをお互いに確かめながら順番に従って交差点を通過していくのが4-way stopだ。
4-way stopが重要なのは、ここなのだ。ドライバー同士が確認しながら、ドライバーたちで安全と円滑な交通を実現・維持していく。動作は簡単だけれども、意識を持たなければならない。漫然と走っていてはできない。
そこにいない為政者や誰だかわからない行政官が決めたルールなどに強制されるのではなく、“自分たちのことは自分たちで決めて、実行していく”という、アメリカらしいプラグマティズムに裏打ちされている。
“先に来た者優先”の絶対性もアメリカらしい。メイフラワー号に乗ってイギリスからやって来た百数十人から国が始まったという“物語”がことあるごとに繰り返されるメンタリティとも通じているようにも思える。イギリス人がやってくるはるか前から暮らしていた先住民族の人々がいたのだが……。
たかが交差点、されど社会の縮図
4-way stopは、誰にでもわかりやすく、納得できて、実行しやすいものだ。仮に日本に4-way stopの交差点ができたとして、僕らは活用することができるだろうか?
すでに存在しているルールにただ従っているだけでなく、全員が意識しながら参画していく。
とても抽象的な表現になってしまうけれども、それは自分もクルマ社会を支えているひとりなのだという自覚を持って運転できるかどうかに掛かっているだろう。自分で見て判断して主体的に行動することは、クルマ社会だけでなく社会そのものについても求められていることなのかもしれない。歩行者が待っている横断歩道で一時停止できないドライバーや、追い越しが終わっているのに追い越し車線をダラダラと走り続けるドライバーが減らないうちは、きっと難しいのかもしれない。
外国でクルマを運転しているのにもかかわらず、日本に思いが及んでしまうことが時々ある。