リヤカーに衣食住すべてを積んで1億歩を歩いた吉田正仁さんが語る「最初の1歩を踏み出すまで」
探検家・関野吉晴さんが、時代に風穴を開けるような「現代の冒険者たち」に会いに行き、徹底的に話を訊き、現代における冒険の存在意義を問い直す──BE-PAL3月号掲載の連載第20回目は、足かけ10年を費やしてリヤカーを引いて五大陸を踏破した吉田正仁さんです。
「長距離歩行の経験は学校の遠足ぐらいしかなかった」という吉田さん。体力も経験もなかった吉田さんがなぜ地球2周ぶん、計8万kmを歩く冒険に出たのか――心の内側に関野さんが迫ります。その対談の一部をご紹介します。
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
吉田正仁/よしだ・まさひと
1981年鳥取県生まれ。2009年からリヤカーを引いて五大陸を横断・縦断。その距離は約8万㎞に達し、歩いた国は60か国におよぶ。現在、㈱モンベルに勤務。著書に、『リヤカー引いて世界の果てまで 地球一周4万キロ、時速5キロのひとり旅』(幻冬舎)など。
中途半端な人生だったから、何かひとつをやり遂げたかった
吉田 僕はもともと旅が好きで、大学卒業後、就職せずにザックを背負ってアフリカや中東などの国ぐにを巡っていました。親には、「就職前の社会勉強。世界を見てみたい」といっていましたが、人生を懸けたいと思える仕事は見つからず、自分は何のために生きているのかといった思いが頭の中でグルグルと渦巻いていました。
でも、あるとき自分の人生を振り返ってみたら、すべてが中途半端だと気づきました。勉強もスポーツも何もかも中途半端で、世界一周を目指していた旅でさえも途中でやめて日本に帰ってきていました。何かひとつのことをやり遂げたい――そこで頭に浮かんできたのが、徒歩で世界を巡ることでした。
ただ、スタート時は世界一周とまでは考えていなくて、目標は中国からポルトガルまでのユーラシア大陸横断でした。実際に歩いてユーラシア大陸最西端のロカ岬に近づくにつれ、「これからどうしようかな」と考えるようになりました。ひとつのことをやり遂げるという当初の目標は果たせる状況で日本に戻るという選択肢もあったのですが、継続して何かしたいという気持ちが芽生えてきたんです。そこで、アメリカを横断してスタート地点の上海に戻る世界一周を新たな目標にしました。
関野 北米横断のあと、オーストラリア縦断もしていますよね。
吉田 それを決めたのも北米大陸横断中です。「どうせ世界一周に挑戦するなら、地球1周ぶんの4万㎞を歩いてみよう」と思い浮かんだんです。さらに上海にゴールした後、「どうせなら5大陸全部を踏破しよう」と思って、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸を縦断することにしました。
関野 なぜ移動手段として徒歩を選んだのですか?
吉田 学生時代にヨーロッパを旅したとき、飛行機の窓からシベリアの広大な針葉樹林帯の中に小さな町が見えたんです。そこで初めて自分の知らない場所で暮らす人びとの存在を強く意識しました。「こういう土地にも人間は暮らしている。いつか訪れてみたい」と。その思いが根底にあったので、旅のテーマは、列車やバスでは素通りしてしまう小さな村を訪れて「人と出会う」ことでした。だから、時速5㎞で移動したいと思ったんです。
関野 体力には自信があったのですね。
吉田 いえ、全然。計画を立てたのはいいけれど、長距離歩行の経験は学校の遠足ぐらいでした。もともと大雑把な性格なのですが、さすがにまずいと思って家の近所で歩くトレーニングをしました。1日20㎞から始めて、最終的には40㎞歩けるようになりました。でも、それを毎日継続できるかどうかはスタート地点に立ったときにも不確かでした。
実際、上海を出発して10日目ぐらいに足首が腱鞘炎になって腫れあがりました。靴ひもを結ぶだけでも激痛が走りました。でも、ここで止めるわけにはいかないと思って痛みに耐えながら歩き続けていたら治りました。
関野 旅の資金はどうしたのですか?
吉田 約2年間、旅の資金を作るために仕事をしました。タバコも止めて、酒の誘いも全部断わって400万円貯めました。一方で、リヤカー、テント、寝袋といった装備品については企業にお願いしようと思って、飛び込み営業をしました。
関野 リヤカーを使った理由は?
吉田 衣食住すべてを背負って歩くのが難しいからです。ルート上には水や食料を補給できない無人地帯があります。そこで何日分もの水や食料を全部背負うのは現実的ではありません。馬やロバなどの動物も考えましたが、国境の検疫の問題がありますし、途中で逃げられたり死なれたりしても困ります。というわけで、リヤカーに決めました。
この続きは、発売中のBE-PAL3月号に掲載!
公式YouTubeで対談の一部を配信中!
以下の動画で、誌面に掲載しきれなかったこぼれ話をお楽しみください。