「ヒマラヤの辺境の今を記録し、伝えていくために」 【稲葉香×山本高樹のヒマラヤ辺境対談4】 | 海外の旅 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル

「ヒマラヤの辺境の今を記録し、伝えていくために」 【稲葉香×山本高樹のヒマラヤ辺境対談4】

2021.12.24

20世紀初頭に日本人で初めてチベットに潜入した僧侶、河口慧海の足跡を辿って、西ネパールのドルポ地方を中心に精力的に踏査を続け、2020年植村直己冒険賞を受賞した、登山家・写真家・美容師の稲葉香さん。

インド北部のラダック・ザンスカール地方での取材を十年以上にわたって続け、昨年刊行した『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』で第6回斎藤茂太賞を受賞した、著述家・編集者・写真家の山本高樹さん。

それぞれ異なるヒマラヤの辺境の地に心惹かれ、活動を続けてきた二人によるオンライントークイベント「ドルポとラダック 私たちはなぜヒマラヤの辺境に惹かれるのか」が、下北沢の本屋B&Bの主催で開催されました。ヒマラヤのチベット文化圏の知られざる魅力を、スペシャリストの二人が余すところなく語り尽くしたこのトークイベントの抄録を、全4回にわたってお届けします。

対談抄録の最終回は、稲葉さんと山本さんが、それぞれの土地に対して抱いている思いと、これから目指そうとしていることについて、語り合います。

ロワー・ドルポの僧院の跡

ロワー・ドルポにある、断崖に埋め込まれるように建てられた僧院の跡。 ©Kaori Inaba

ドルポとラダックに刻々と押し寄せる、変化の波

山本:今回のトークの打ち合わせでも稲葉さんと話してたんですけど、似てますよね、ドルポとラダック。

稲葉:本当に、そっくりですよね。

山本:「兄弟姉妹みたいな土地ですよね」と稲葉さんもおっしゃってましたが、地理も気候も似てるし、宗教や伝統文化にも共通するところが多い。そうなってくると、遠く離れたインドとネパールでも、生活様式やものごとの考え方は似てくるのかなあと。

稲葉:ラダックはインドに属しているので、駐留している軍隊の存在が大きいですよね。だから、軍用機やヘリも飛ぶし、道路も整備されるのが早いのかな。

山本:インド軍の存在はすごく影響していると思います。西ネパールでは、どうなんですか?

稲葉:道路は、できつつありますね。ただ、ドルポは周囲を5000メートル級の山々に囲まれているので、まだ難しい部分はあります。でも、徐々には伸びてきてるんですけど。

山本:国境の北の、中国側は?

稲葉:中国側は、もうユンボが入ってきてるんです。河口慧海さんが国境を越えたところには、2018年にユンボが入ってきてる写真を見ました。切ないなあ、と私は正直思ったんですけど。現地の人たちに聞いてみたら、食料とかがすぐ入ってくるから便利にはなったけど、荷運びなどの仕事がなくなるかも、という不安は持っていました。

ラダックの中心地レーのバザール

ラダックの中心地、レーのメイン・バザール。 ©Takaki Yamamoto

山本:ラダックやザンスカールでは、第二次世界大戦後にインドに属することになって、だいぶ時間はかかったんですけど、学校や教育体制が整備されて、若者たちが教養を深められるようになりました。インドの他の地域にある大学に進学して、ラダックに戻って近代的なビジネスを営んだり、あるいはそのままラダックの外で就職したりする人も増えました。そういう傾向自体は悪いことではないですけど、その一方で、村では人手が減って、家畜も維持できなくなっていて。

稲葉:難しい問題ですよね……。

山本:だから、外部からもたらされる急激な変化に対しては、現地の人たちには、用心深く、慎重に検討してほしいなあ、と僕は思っています。なくなってしまうと元に戻せないものが、ラダックにもドルポにも、たくさんあると思うので。あと、「それ、なくしちゃうとちょっともったいないよね」という意見をちょこちょこっと言ってあげることは、むしろ僕たちのような外部の人間の方ができるんじゃないかと。

稲葉:そうそう。今は、Facebookとかあるじゃないですか。昔はネットすらなかったけど、最近はFacebookを見れば、私がドルポが大好きな日本人であることは、会ったことのないドルポの人でもわかるそうなんです。たとえば、私はドルポの伝統的な織物が大好きなので、それを使っていろいろやってるのをFacebookに載せてたら、「自分たちの土地の織物を使っている外国の人を見るとすごくうれしい」というメッセージをドルポ出身の人からいただいたり。その人は、ドルポの伝統的な織物を活かしたビジネスができないかとがんばっているそうです。私はたまたま彼らの織物が好きでアップしてただけなんですが、あ、これって彼らの役に立つんや、と。そういうことが、Facebookのおかげで最近見えてきましたね。

山本:SNSで、人と人とがそういう風に効果的につながることって、ありますよね。

稲葉:私には何もできないのかなと思っていたんですが、できること、もしかしたらあるかも、と。

山本:ラダックやドルポでの近代的な変化というものが、一概にすべて悪いわけではないんですよね。SNSなどによって人と人のコミュニケーションを新しく生み出せるなら、それはうまく活用していくべきなんじゃないかなと思います。ただ、何から何まで全部受け入れてしまうと、今まで大切に受け継がれてきたものをうっかりなくしてしまう可能性もあるので、そのあたりは、現地の人々の間でよく相談してほしいですね。

稲葉:現地で若い子たちと話していて、私が「昔と今とでは全然変わってしまったね。正直、私は昔の方がよかったと思うけど、自分のような外国人が思うことだけを言ってもダメだと思ってる」と伝えたら、その子たちは「実は、私たちもそう思ってる。伝統的なものを大事にしていきたい。けど……」と言っていて。わかっている人たちもいるんですよね。でもその一方で、カトマンズやデリーのような都会に出て、故郷に帰ってこない人もいる。そこは日本とかと同じですね。

ヒマラヤの山岳地帯を移動する遊牧動物

ありのままの姿を記録し続けることの大切さ。 ©Kaori Inaba

ドルポとラダックのために、何ができるのか

山本:稲葉さんはかれこれ10年以上、ドルポとその周辺の地域に関わり続けているわけですが、現地に通いはじめた頃の動機やモチベーションは、その後、今に至るまでの間に、変わってきていますか?

稲葉:あー、変わってきましたね。最初は、とにかくドルポが好きすぎて、行きたい行きたい、自分の目で見てみたい、という思いがあって。大西さんたちと一緒に行かせていただけるチャンスが来て、それから自分でも行けるようになって。そうしているうちにだんだん、記録するということが大事だな、と思いはじめましたね。私自身は本業が美容師なので、最初は別に文章や写真で記録するつもりはなかったんですが、好きすぎて写真を撮ったり、好きすぎていろいろ話を聞いてきたりしたことが、実はとても大事なことだったんだな、と今になってすごく思います。以前、渡辺一枝さんにも「記録してね。写真に撮ってね。残しておいてね」と言われたんですけど、どーん、と来ましたね。大事だなと。

山本:そうした記録は、現地の人々にとっても貴重な財産になりますよね。

稲葉:本当に。この間現地に行った時、私よりももっと前、1950年代にドルポで撮影された写真をデータで持って行って、彼らに見せたら、ものすごく感動してたんですよ。「この人、知ってるよー!」と言って、すごく喜んでました。

山本:やっぱり、残すって大事ですね。僕が『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』という本で書いたチャダルの旅も、本当にぎりぎり間に合って見届けることができた、という感じでした。一緒に旅してくれた友人のパドマ・ドルジェも、わかっていたんです。もうすぐ、このチャダルの旅自体が、なくなってしまうと。彼は、物心ついてから今まで、毎年々々、何往復もチャダルを旅していて、その旅の時間を愛していた部分もあったと思うんです。でも、それも何年か後には、なくなってしまう。「だからタカ、ちゃんと記録しておいてくれよ」という彼の思いは、直接言われはしなかったですけど、一緒に歩いていて、すごく感じました。センチメンタルに嘆くのは簡単ですけど、とにかくちゃんと記録しておかないと、人に伝えることもできませんから。

稲葉:もっと伝えたいですね、現地の彼らに。すばらしいところだよ、ドルポは、と。でも彼ら自身は、「こんなに寒い時期に、ここまで何しに来てるの? 何が楽しいの?」みたいな感じでね(笑)。いや、めちゃめちゃ楽しいよ、あなたたち、ものすごくかっこいいよ、と、そういう気持をもっと伝えたいなって思いますね。

山本:同じ土地に長い間関わり続けることで生まれるモチベーションも、お互い似てきますね。僕は、自分が手がけた文章や写真によって、自分自身が世間でどう評価されるかということには、昔も今もあまり興味がなくて。自分はどう見られてもいいから、ラダックやザンスカールのすばらしいところを、日本の人たちにも、現地の人たちにも伝えたい。そしてちゃんと記録を残していきたい。ただただそういう思いでやってきたので、これからもずっとそのスタンスで、見守り続けていきたいなと思います。

稲葉:本当にそうですね。私も、美容師やったのに……(笑)。これからは「ヒマラヤに通う美容師」ということで、やっていこうと思ってます。

山本:じゃあ、これから国と国との行き来が元通りになれば、準備をして……。

稲葉:今後の大きなテーマとして、河口慧海さんの歩いたルートの調査を続けていきたいと思っていて、そのためのプロジェクトも立ち上げちゃったんです。私の頭だけでは追いつかないので、いろいろな先生方を巻き込んで。

山本:楽しみですね。そういうお話も含めて、また何か機会があったら、こういうトークのような場を作れるといいですね。次はお客さんにも直接ご覧いただけるような形で。その時はまた、ぜひよろしくお願いします。

ヒマラヤの住宅内の居間 薪ストーブ キッチンで働く女性

いつか失われてしまうかもしれないものを、忘れないために。 ©Takaki Yamamoto


稲葉香(いなば・かおり)
1973年、大阪府東大阪市生まれ(現在、千早赤阪村在住)。ヒマラヤに通う美容師。ヒマラヤでのトレッキング・登山を続ける。東南アジア、インド、ネパール、チベット、アラスカを放浪し、旅の延長で山と出会う。18歳でリウマチを発症。登山など到底不可能と思われたが、同じ病気で僧侶・探検家の河口慧海(1866~1945)の存在を知り、彼のチベット足跡ルートに惚れ込み、2007年、西北ネパール登山隊の故・大西保氏の遠征参加をきっかけに西ネパールに通いはじめる。2020年植村直己冒険賞を受賞。2021年に初の著書『西ネパール・ヒマラヤ最奥の地を歩く ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)を上梓。

山本高樹(やまもと・たかき)
1969年生まれ。著述家・編集者・写真家。2007年から約1年半の間、インド北部の山岳地帯、ラダックとザンスカールに長期滞在して取材を敢行。以来、この地方での取材をライフワークとしながら、世界各地を飛び回る日々を送っている。著書『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』(雷鳥社)で第6回斎藤茂太賞を受賞。2021年に新刊『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』(産業編集センター)を上梓。

西ネパール・ヒマラヤ最奥の地を歩く
『西ネパール・ヒマラヤ最奥の地を歩く ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』
稲葉香 著 彩流社

冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ
『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』
山本高樹 著 雷鳥社

インドの奥のヒマラヤへ
『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』
山本高樹 著 産業編集センター

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