「河口慧海の足跡を追って、西ネパールを500キロ以上歩いた日々」【稲葉香×山本高樹のヒマラヤ辺境対談1】 | 海外の旅 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル

「河口慧海の足跡を追って、西ネパールを500キロ以上歩いた日々」【稲葉香×山本高樹のヒマラヤ辺境対談1】

2021.12.03

20世紀初頭に日本人で初めてチベットに潜入した僧侶、河口慧海の足跡を辿って、西ネパールのドルポ地方を中心に精力的に踏査を続け、2020年植村直己冒険賞を受賞した、登山家・写真家・美容師の稲葉香さん。

インド北部のラダック・ザンスカール地方での取材を十年以上にわたって続け、昨年刊行した『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』で第6回斎藤茂太賞を受賞した、著述家・編集者・写真家の山本高樹さん。

それぞれ異なるヒマラヤの辺境の地に心惹かれ、活動を続けてきた二人によるオンライントークイベント「ドルポとラダック 私たちはなぜヒマラヤの辺境に惹かれるのか」が、下北沢の本屋B&Bの主催で開催されました。ヒマラヤのチベット文化圏の知られざる魅力を、スペシャリストの二人が余すところなく語り尽くしたこのトークイベントの抄録を、全4回にわたってお届けします。

対談抄録の1回目は、稲葉香さんによるドルポの旅の様子をお届けします。

ドルポのツァルカ村。川がの中州に城壁のような街並みがある

1958年に日本の調査隊が訪れた、ドルポのツァルカ村。©Kaori Inaba

標高4000メートルの「世界の屋根」に憧れて

山本:僕が稲葉さんにお会いしたのは、つい先日、稲葉さんが所用で上京された時に、このトークイベントの打ち合わせをした時が最初だったんですが、実は、共通の知人も多くて。もう何年も前から、「ドルポにずーっと通い続けてる、すごい女性の方がいるんだよ」という噂は、いろんな人から聞いていました。

稲葉:ああ、そうだったんですね(笑)。

山本:なので、今回こういう場でご一緒できて、とてもうれしいですし、僕の知らない西ネパールのお話を伺えるのを、すごく楽しみにしていました。

稲葉:ああ、それは私もです。

山本:ではさっそく、トークに入らせていただければと思います。「ドルポとラダック」……ドルポもラダックも、たぶん日本人の9割以上の人は知らない土地ですよね(笑)。僕たちはそういう土地にそれぞれ10年以上通っているわけですが、なぜそこまで惹かれるのか、僕たちが今までやってきたことをふりかえりながらお話しできればと思っています。まずは西ネパールから……。

稲葉:ネパールの北西部には、東から、ムスタン、ドルポ、ムグ、フムラといった地域があります。このあたりの標高は、2000〜3000メートルくらいですが、ドルポはとりわけ高くて、平均標高が4000メートルはあります。私、ドルポの全域を歩いた時、それぞれの村でGPSで標高を測ったんですよ。全部足して割って、ジャスト4000でした。

山本:気候もかなり厳しいんでしょうか?

稲葉:そうですね。ダウラギリから北は、チベット高原の気候とすごく似ていて。

山本:雨はあまり降らなくて、冬はものすごく寒い、と。

稲葉:そんな感じですね。ラダックとも似ていると思います。

山本:このあたりには、どんな人々が暮らしてるんでしょうか?

稲葉:フムラの一部では、国境の近くにボディアというチベット系の人々が暮らしています。ムスタンやドルポもチベット文化圏ですね。特にドルポは、チベット系の文化が一番濃いです。

山本:このあたりの人々は、短い夏の間に畑で大麦や蕎麦を育てたり、家畜を飼ったりして、生活を営んでいるという感じでしょうか。

稲葉:そうですね。ただ、地元だけでは一年分の食料は作れないので、ほかの地方との交易で補っていたんです。昔は、チベット側からもたらされた岩塩を、南のヒンドゥー教圏に運んでいって、そこで穀物とかと交換していたそうです。でも今は、だいぶ変わってしまって。最近は夏になると、国境に市場みたいなのができて、中国側から運ばれてきたものが、何でも買えるようになっています。

山本:現地もどんどん変わっていってるんですね。稲葉さんが西ネパールに通うようになったのは、どんな経緯で?

稲葉:私は2007年から西ネパールに通っているんですが、当時はまったく情報がなくて。いろいろ調べ尽くして辿り着いた方が、今は亡くなられているんですが、当時、河口慧海プロジェクトの隊長を務められていた大西保さんでした。大西さんは西ネパール踏査の第一人者だった方なんですが、私はそうとも知らないまま、自分の暑苦しい思い(笑)をメールに書いてお送りしたところ、2007年の夏、ドルポの未踏峰調査の遠征隊に入れてくださったんです。だから、大西さんは私の師匠のような方なんですが、大西さんはじめ、先人の方々の西ネパールでの長年の取り組みは、本当にすごすぎて……。私は、ぎりぎりの時代にその方々にお会いできたのかなと思います。それで、大西さんの遠征隊に2回参加してからは、自分自身で遠征を計画するようになりました。

ターコイズ・ブルーのドルポのポクスンド湖を崖上の道から見下ろすふたり

ターコイズ・ブルーの湖水が鮮烈な、ドルポのポクスンド湖。©Kaori Inaba

12年に一度しか行なわれない仮面舞踊の祭礼

稲葉:2012年は、ドゥネイという場所からドルポを歩きはじめました。ドルポでおすすめの場所の一つが、ポクスンド湖です。湖に着くまで、何度か川を渡渉したり、きわどい山道を歩いたりするんですが、湖はきれいなターコイズ・ブルーで、本当に絶景でした。

山本:おすすめの場所にしては、辿り着くまでが大変そうですね(笑)。

稲葉:ドルポへは、どこから入るにしても標高5000メートル級の峠を越えなければならないので、本当に大変ですが、ポクスンド湖はロワー・ドルポからアッパー・ドルポに入る手前にあって、標高4000メートル弱なので、まだ行きやすいですね。ポクスンド湖を越えたら、アッパー・ドルポになります。(注:入域には特別許可が必要)

シェー・フェスティバルの仮面舞踊

12年に一度の祭礼、シェー・フェスティバルの仮面舞踊の儀式。©Kaori Inaba

稲葉:この年は、12年に一度しか行なわれない仏教のお祭り、シェー・フェスティバルがあったので、必ず行きたいと思っていました。シェー山(水晶山という意味)の周囲に3つの僧院があるんですが、そこで盛大なお祭りが行なわれるんです。

山本:僧侶の方々による、仮面舞踊の儀式も行なわれたんですね。

稲葉:そうです。それが見たくて。そのお祭りの時、シェー山の周囲にある巡礼路も歩いたんですが、思いのほか雪がたくさん降ってきて、ちょっと大変でした。巡礼路の一番高い場所には、タルチョ(5色の祈祷旗)がたくさん祀られていました。

山本:西チベットの聖山カイラスの周囲にある巡礼路と似ていますね。

稲葉:次にシェー・フェスティバルがあるのは2024年ですが、また見に行きたいと思ってます。行く気満々です(笑)。

河口慧海が滞在したムスタンのツァーラン村

河口慧海が10か月滞在した、ムスタンのツァーラン村。©Kaori Inaba

河口慧海が旅したルートを追いかけて

稲葉:2016年にドルポに行った時は、ムスタンのジョムソンから歩きはじめて、2カ月で500キロ以上歩きました。その中で5000メートルの峠を10か所以上、4000メートル以上の峠は数えきれないほど越えました。

山本:500キロって、平地じゃなくて、険しい山の中でですよね? すごいなあ。

稲葉:すごくやせました(笑)。この時の遠征のテーマが、河口慧海さんの歩いたルートを自分の感覚で歩きたいというものでした。

山本:河口慧海さんは、このあたりからチベットに入ったんですか?

稲葉:そうです。ドルポから国境を越えて、カイラスまで行って、そこからラサを目指すという、ものすごく遠回りなルートで。

山本:外国人とバレるとやばいので、言葉を覚えて、素性を隠して……。当時、このあたりから国境を越えたらしいことはわかっていたけれど、正確なルートが明らかになったのは、つい最近だそうですね。

稲葉:そうです。2004年に発見された日記に当時のルートが記録されていて。それを手がかりに、大西さんたちが河口慧海プロジェクトを立ち上げて、現地の踏査を始めたんです。

山本:この写真の村は?

稲葉:ムスタンのツァーラン村というところで、河口慧海さんが10か月滞在したところです。ムスタンは砂漠のように乾燥しているところが多くて、東のエベレスト街道のあたりとはまったく違う風景です。

河口慧海が歩いた「百丈余の橋」。断崖絶壁の上に小さな橋

河口慧海のルート上で有名な「百丈余の橋」。©Kaori Inaba

山本:この断崖と、橋は?

稲葉:谷から入るとドルポの入り口になるところですが、河口慧海さんのルートでは有名な「百丈余の橋」という橋で。百丈は300メートルくらいになるので、言葉通りであれば橋から川までそのくらいの高低差があるはずなんですが、師匠の大西さんが本気で測ったら、23メートルだったというオチがありまして(笑)。今は橋に手すりがついてますけど、数年前まではなかったです。渡る時、結構怖かったですね。

山本:ドルポの村と村の間には、道はあるんですか?

稲葉:大きな道もあれば、人や家畜が行き来してるうちにできた感じの細い道もあります。村から村まで、1日では行けない距離のところもありまして、現地の人は、夜中に出発して、1日で行っちゃうんです。目的地まで着かなければ、洞窟とかで寝泊まりして。

石で作られたドルポの民家。青白赤緑黄色の旗

伝統的な造りのドルポの民家。©Kaori Inaba

山本:村の家々は、石と木材とで作られていて……。

稲葉:木材は、ロワー・ドルポから運んできたものです。

山本:屋根の上には、冬に備えて、薪や干し草が積まれていますね。

稲葉:屋根にたくさん積まれてるほど、お金持ちなのだそうです。ホンマかな? と思いましたけど。

ドルポのシェー山にある僧院、ツァカン・ゴンパ

ドルポのシェー山にある僧院、ツァカン・ゴンパ。©Kaori Inaba

山本:これは、僧院ですか?

稲葉:ドルポのシェー山の麓にある、ツァカン・ゴンパです。こういう崖にへばりつくような形の僧院が、西ネパールにはたくさんあります。シェー山の山頂に旗竿が立っているのを見た時は、びっくりしました。人間が登ってはいけない聖なる山だと思っていたので。よくよく聞くと、麓で僧院を守っている若い僧侶が、経典とかを担いで登って、旗を立てたんだそうです。

山本:西ネパールには、登ってはいけない聖なる山がいくつもあるそうですね。

稲葉:一つの村につき、一つの聖なる山があるほどです。あの山と言われなくても、存在感があるのでわかります。

山本:もともと、チベット文化圏の人たちには、山は登るものという認識自体がほぼないんですよね。神様が住んでらっしゃる場所という意識があって。

稲葉:カトマンズで登山許可を取っていても、現地の住民に反対された、という話はよく聞きますね。

ツァカン・ゴンパの僧侶と稲葉香さん

ツァカン・ゴンパの僧侶と稲葉さん。©Kaori Inaba

山本:これはどなたですか?

稲葉:ツァカン・ゴンパの僧侶の方なんですが、何十年もここで越冬しながら僧院を守っているそうです。「冬にドルポに来てもいいですか?」と聞いてみたら、「自分の分の食料を持ってくるのならいいよ」と。

山本:それで、実行に移そうと。

稲葉:実行するまで、時間がかかりましたね。

山本:資金を集めたり、準備をしたり……。

稲葉:あと、覚悟が必要でした(笑)。いろんな覚悟が。心の準備が。


稲葉香(いなば・かおり)
1973年、大阪府東大阪市生まれ(現在、千早赤阪村在住)。ヒマラヤに通う美容師。ヒマラヤでのトレッキング・登山を続ける。東南アジア、インド、ネパール、チベット、アラスカを放浪し、旅の延長で山と出会う。18歳でリウマチを発症。登山など到底不可能と思われたが、同じ病気で僧侶・探検家の河口慧海(1866~1945)の存在を知り、彼のチベット足跡ルートに惚れ込み、2007年、西北ネパール登山隊の故・大西保氏の遠征参加をきっかけに西ネパールに通いはじめる。2020年植村直己冒険賞を受賞。2021年に初の著書『西ネパール・ヒマラヤ最奥の地を歩く ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)を上梓。

山本高樹(やまもと・たかき)
1969年生まれ。著述家・編集者・写真家。2007年から約1年半の間、インド北部の山岳地帯、ラダックとザンスカールに長期滞在して取材を敢行。以来、この地方での取材をライフワークとしながら、世界各地を飛び回る日々を送っている。著書『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』(雷鳥社)で第6回斎藤茂太賞を受賞。2021年に新刊『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』(産業編集センター)を上梓。

西ネパール・ヒマラヤ最奥の地を歩く
『西ネパール・ヒマラヤ最奥の地を歩く ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』
稲葉香 著 彩流社

冬の旅 ザンスカール、最果ての旅へ
『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』
山本高樹 著 雷鳥社

インドの奥のヒマラヤへ
『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』
山本高樹 著 産業編集センター

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