マウンテンバイクでジョムソン街道を行く!
ジョムソン街道はチベットとの交易路で、歴史もあり多くのトレッキング愛好家が憧れる聖地だ。
旅の誘いは父からだった。10年前に道路が整備され車両通行ができるようになった。若い頃に同じ場所を歩いた父が今度は自転車で旅したいという。そこでマウンテンバイクを使い、ジョムソン街道の終点、ムクティナートを目指すことにした。
ツーリング1日目、出発のベニという街に着いたのは日本を出てから3日目のこと。途中入域許可証を取るために足止めをくらったとはいえ、長すぎる道程と旅の始まりに対する安堵感が相まって期待が高まった。
タクシーから自転車を降ろし、組み立て始める。バスターミナルの大通りの脇、皆の視線が集まり、ジロジロ見られる。顔の距離が間近で何か言われるかと不安だったが、何人かがどこまで行く? と聞いただけ。「ムクティナートまで」というと、にっこり笑顔で「Good luck」と返答した。結局服装含め、納得いくツーリングスタイルに変身するまで30分以上かかってしまった。
初日は夕暮れ時の出発で、足慣らし程度のツーリングを2時間走り、宿に着いた。
だいたい数キロごとに集落が点在し、必ず宿がある。ちょっと遅い時間でも宿のオーナーは快く僕らと自転車を宿内へ招いてくれた。外では自転車を珍しく思って近所の子供達が集まってきた。つかの間、ボール遊びや僕の自転車に乗せてあげたりして時間を過ごす。
そういえば5年前、学生時代ネパールを訪れた際もこんな雰囲気だった。場所は違っても街は静かで、人々は旅人慣れしている。居心地いい雰囲気とはまさにこのことで、久しぶりの空気感に懐かしさを感じた。
2日目、標高差1500メートルを登りきった。旅のハイライトで間違いなく一番きつい日だった。徐々に勾配が上がり足や腕に負担がかかる。最初は自転車から降りてたまるかと根性張っていたが、すぐに見栄っ張りは損だと気付いた。一番軽いギアにしたところで、タイヤはスリップする。道半ば下りを颯爽と降るマウンテンバイカーとすれ違う。
トレッキング客の姿を見ては「あー、自転車がなかったらどんなに楽だろう」と不純な思いになった。
砂埃と暑さの影響で、後半ほとんど自転車を降りてひいてしまうのは仕方ない。宿に着く頃には腕がぱんぱんで疲れきってしまった。
ひたすら腕を揉みほぐしながら反省した。まずネガティブ思考に陥ったことを。午後休憩後、疲労で「まだ着かない」という焦りが生まれ、「先に見える道の角を曲がれば登り坂は終わるだろう、でもまだ着かない」、そんなことの繰り返しが精神的に辛かった。楽しいことはあっという間の逆で、脳に不安や焦りを考えさせてしまったことが疲労の原因だった。教訓として、まだか?という精神を捨て、残り半分以下となった道程をもう一度楽しもうと想いを新たにしたのだった。
3日目、それまでの渓谷沿いの道を抜け、標高は2500mを超えた。荒涼とした大地に追い風を受け、颯爽と漕ぎ続けた。気持ち良かった。遠くには雪を纏った山脈が連なり、息をのむ絶景を目の当たりに。写真でしか想像できなかったチベットの風景そのものであった。
途中のマルファ村は日本人に縁ある地で、石畳の道が映える綺麗な村だ。
チベット入りを果たした初めての日本人、探検家であり僧侶の河口慧海が滞在していたからだ。河口さんはチベット仏教の教えを乞うため、鎖国状態のチベットへ中国人と偽って潜入した経歴を持ち、マルファ村へ3ヶ月滞在していたという。彼が寝泊まりしていた場所は記念館として開設され、展示品を見て回れる。僕達が河口さんと全く同じルートを辿っていることに感動し、過去の偉人に想いを馳せた。
探検家、旅人があらゆる手段で世界を旅している今、先駆者河口さんの功績を振り返る機会を大事にした。カフェでマルファの特産、リンゴを使ったパイに舌鼓を打ちながら360度のパノラマを堪能したのだった。
時間に余裕を持ちジョムソンへ着いた。飛行場もある大きな街だ。大通りにホテルが並び飲食店も充実している。ポカラからのバスやジープはジョムソンが起点だ。だから観光客も増える。欧米人ツーリストも多かったが、日本人には出会わなかった。元々の顔立ちが似ていること、それと日焼けと髭の伸び具合が拍車をかけ、ネパール人と間違われることもしばしば。なんだか土地に風化しているみたいで嬉しさを感じた。
ジョムソンから聖地ムクティナートをめざす
4日目最終日。この日はジョムソンの宿に連泊するため大きな荷物を降ろし身軽になってムクティナートへ日帰りツーリングを敢行した。道は途中から舗装路に変わり昼前に目的の聖地ムクティナートへ到着した。
標高約3700メートルは富士山とほぼ同じ。前日喉と鼻が痛くうまく寝付けなかったが、体力に問題はなかった。常備薬を日本から持参したが、幸いそれらを使用する機会はなかった。慣れない土地だと風邪をひきやすい体質で高山病含め一抹の不安もあったが、元気にゴールできたことで自信を持った。
ムクティナートが聖地と言われる所以はチベット仏教、ヒンドゥー教の聖地だから。ネパールはもとよりインドからの参拝者も多いことで知られている。しかし最近はインフラの整備で、観光客が増加。ラフな格好で、スマホを手に写真を撮る観光客も多く、神聖的要素が薄れているようにも思えてきた。
とはいえムクティナートのゴンパ(僧院)からの景色は圧巻で、タルチョ(チベットの旗)がはためき僕らの旅のゴールを祝福しているようだった。自転車で行ける道の果て、達成感もひとしおだった。
ムクティナートで充分時間を過ごし、ジョムソンへ戻る。帰り強烈な向かい風で下りでもペダルを漕がないと前へ進まない。案の定、泥だらけの格好で帰還した。
その夜は軽い宴があった。もともとお腹が強い方ではなく海外でよく下痢していたので、例え体力を使っても必要以上の食料摂取、水分補給は控えていたのだった。もう走らなくていいという安心感から、久しぶりに満腹感を得た。
ネパールの代表的な料理はダルバート・タルカリ、ワンプレート料理で中心にライス、周りにオカズが配置されていて混ぜて食べる。インド料理に近いが、匂いも気にならず食べやすい。そして手を使って食べなくても良い。他に水餃子のようなモモ、麺料理のトゥクパといずれもチベット料理を多くの集落で食べることができ、基本薄味でハズレがない。文化の交錯する土地の料理は美味いと実感できる。
自転車旅を終え、バスで下界に戻った。ネパール第二の都市ポカラまでの距離は100キロ弱。行きのポカラ、ベニ間のタクシーが約60キロで3時間かかった。それを踏まえるとガイドブックに記載の所要10時間はにわかに信じ難かった。ただ登ってきた道を下るなかで車同士すれ違えない場面や悪路を見ると時間がかかるのは納得で、何より乗務員さんのキャッチ、途中で席もないのに乗客を乗せようとする行為や終わりの見えない休憩が時間を間延びさせた。
幾つかトラブルはあっても、車窓から「あんな道もあったね」と振り返ることができるのは、頑張って登った人の特権だと思う。
道中マウンテンバイカーの同志と何度かすれ違ったが、バスまたはタクシーで先にジョムソンへ行き、下り道だけを楽しむダウンヒル派のライダーだった。僕は人力で登ったからこその充足感に胸を張っている。
本音はビビリ症でスピード感あるものが苦手。じっと耐えて汗をかく方が、僕の性に合っているような気がしてならない。
旅を終えて
帰国した。やっぱりネパールは旅人にとって極上の地だった。
2002年にムクティナートを訪れた父が「以前はもっと静かな街だった」と口にした。ハードな峠越えを終えた後だっただけに思い入れも強いという。
wifiの有無を宿決め基準にするような時代でも、街の様相、景色は変わって欲しくないうえ、旅で得た感動はいつでも不変だと願っている。
10日間の旅で「時間をお金で買うか」はよく議論の対象だった。例えば、ジョムソンからポカラまでの帰り道。飛行機かバスどちらを利用するかで悩んだ。飛行機ならお金はかかるけど所要30分、バスなら運賃安くて所要10時間だ。結局自分達の漕いできた道を振り返りたいという思いと、ネパールの庶民的な交通手段に乗るべきという理由でバスを選んだ。
時間はあるけどお金がない、お金はあるけど時間がない、難しい選択で時間がないという制約はついお金で片付けようとする傲慢さを同時に生みだす。
ネパールのように歴史あり、多様な民族が文化伝統を重んじる国において、リッチな旅は不向きだと思う。ツーリストだからと威張らず、庶民に寄り添うことで、旅の魅力をもう一段上げてくれるような気がする。会社員になって初めての大型連休、今回のネパール旅は久しぶりに昔の若い時代の旅感覚を思い出させくれた。
今ではジョムソン街道の地図が僕の宝物だ。
小さい頃からよく地図を眺めてはその土地のことを想像し、紙面上で空想旅を続けた。学校の休み時間もそうやって過ごしてきたから、変人と思われても旅への魅力は尽きなかった。ジョムソン街道、ムクティナートは神々の領域とさえ思っている。日常生活に戻った今、次はどこへ行こうかと模索中。是非多くの方に非日常を味わってもらいたい。
文/斉藤一歩 写真/斉藤一歩・シェルパ斉藤