奈良井宿から鳥居峠を越えてたどり着いたのは、37番目の宿場町、福島宿。木曽十一宿(贄川〜馬籠)の真ん中に位置しており、入り口には関所が設けられていた。温泉宿に泊まり、資料館などを巡る宮川画伯の心をとらえたのは、歴史的資料ではなく、街中を我が物顔で走り回るアレだった。
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かつて関所が設けられていた福島宿へ

鳥居峠を越えてから、国道19号を歩く。いい加減歩き飽きたころ、国道から分岐して37番目の宿場・福島宿へ入る。この宿場の入り口には昔、関所があって、今は車道に関所を模した大きな門を構えている。疲れているのでどうでもいい。福島宿は木曽十一宿(贄川〜馬籠)の真ん中に位置しており、中山道全体でもほぼ中央である。関所を設けられていたことでもわかるように、ここは木曽の政治的経済的中心の宿場なのだ。

温泉宿で一泊

今晩の宿は、温泉宿。客は3組。まずは風呂へ。夕方のまだ明るい時間。あとから若者がふたり入ってきた。ふたりとも背中に刺青を入れている。なかなか緊張する瞬間だが、会話は小声で、こころなしが私に遠慮して湯に浸かっていた。
翌朝は薄曇り。宿から旧中山道を通ってJR木曽福島駅まで行く。宿場の風情を残している一画で、木造に白壁の建物が並んでいる通りだ。ちょうど何軒かが修繕中で、連子格子を渋柿色に塗り直していた。歴史的建造物も手入れを続けないとすぐに痛んでしまうのであろう。駅まで来て、昨日、疲れて素通りしてしまった関所跡に戻って見学してみようかと思った。いくら興味が持てなくとも、人生で二度と訪れることはないだろうと考え直したのだ。
商店街を走り回る招かれざる客
関所跡へ行く間、商店街の屋根にニホンザルの群れが現れた。屋根を走り、電柱を降り、中にはすごいスピードで電線を移動する親子猿もいる。地上に降りて、道路を渡って来る猿もいる。ちゃんと青信号で横断歩道を渡っていた。 近くの住宅から男性が現れ、傘を振り回して猿を脅かしていた。猿はなにも悪いことしていないのになあ、そう思って聞いてみる。
「襲ってきますか?」
「襲いますよ。気をつけないと」
おじさんは至極真面目な口調でそう言った。どうもこのあたりの人たちは、サルをだいぶ嫌っているようだ。商店のおばちゃんは怖がっていたし、通りがかりの女性は怖がる、というより度を越すほど憎んでいた。彼女に「襲われたことがあるのですか?」と聞いてみたら「それはない」とのこと。「親子ザルが多いですね」というと「そのうち人間よりもサルのほうが多くなるんじゃないかしら」とうんざりという口調で言っていた。
空砲が散発的に響いていた。こんなもので、どれだけ猿の群れを追い払えるのかは疑問だ。
それにしても子どもはお母さんのお腹にしがみつき、お母さんはその状態で器用に電線を移動している。たいしたものだ。しかし商品を盗ったり、襲ったりするから地元の人から嫌われるのだろうな。
関所跡資料館のおばちゃん

関所跡資料館は、想像を超えるような展示は見当たらない。しかし切符売り場のおばちゃんがこの町の歴史や木曽代官のことを話してくれて、相槌をうっていたら、ますます熱を入れて説明してくれた。
木曽代官は大名ではなく、江戸期を通して尾張徳川家の代官を代々つとめた山村家のことで、木曽谷を支配するとともに関所番も兼ねた。「木曽の殿様」とも呼ばれる。
おばちゃんは戦国時代から始まり山村家歴代の功績まで詳しく教えてくれた。そしてここ福島宿は代官屋敷もあるので、ぜひ見てくださいと、言いながら、地図を広げ詳しく道順を教えてくれた。さらにまだ足らぬと見たおばちゃんは観光スポットを赤いマークをつけてくれた。講義20分、そのあとの見学5分。
いい講義を拝聴した。

●福島関所資料館
https://www.town-kiso.com/facility/100024
隣は島崎藤村にゆかりの資料館だった

隣の高瀬奇應丸資料館は、島崎藤村のお姉さんの嫁ぎ先だ。住戸の縁側まで来ると、障子が開いて、「ご覧になりますか」と女性が出てきた。廊下の端には「奇應丸」と浮き彫りされた巨大な木の看板が鎮座していた。
高瀬家は、山村代官の家来で、江戸中期に奇應丸という薬を開発して名を知られるようになった。その後、明治時代に、島崎藤村の姉がここに嫁ぎ、『家』という小説はこの高瀬家が舞台であったためにさらに有名になった名家である。昭和2年に大火でほとんど焼けたのだが、白壁の土蔵だけは残り、そのために当時の資料がいろいろと残っているらしい。
資料館を女性の案内で拝見した。藤村直筆の書や木曽街道絵図などがガラスケースに陳列されている。
●高瀬家資料館
おばちゃんイチオシの代官屋敷へ

資料館のおばちゃんがイチオシの山村代官屋敷跡へ行く。
ここも私には想像を超えるものがありませんでした、ごめんなさい。
お爺さんがひとり受付にいた。
展示を見ていると、ガラスケースに中山道を通る大名たちへ饗応した料理のレプリカが展示されていた。ちょうどその部屋にストーブの火をつけにきたお爺さんに「豪華ですねえ」と言うと、参勤交代でお金を使わせなくてはならないから料理はすごいのだと教えてくれた。山の中なのに鮑や鯛などがついている。
その一方、朝廷から派遣される貴人のほうはお金をもらえないから、「まあ少し格の下がる料理だわな」と言っていた。貴人からはお金をもらうどころが、お金を巻き上げられるのが当時の常で、街道筋の本陣などはとても頭が痛かったという。それでもレプリカを見ていると、やはり豪勢であることには変わりはない。
●山村代官屋敷
https://www.town-kiso.com/facility/100025
危なかしい家並み

早々に代官屋敷を出て、木曽川に向けた民家の背が趣のある一角へ出た。崖屋造り(がけやづくり)というらしい。関所跡受付の講義で知ったスポットだ。写真を撮影して、駅へ。
また空砲が鳴っている。猿の群れは今頃どこにいるのかしら。




