今回は東京都港区、東京タワーの近辺をめぐる「芝公園GREEN WAY」です。
- Text
31st ルート:芝公園GREEN WAY
前々回のFILE.29「虎ノ門・赤坂GREEN WAY」、前回のFILE30「裏神谷町GREEN WAY」とめぐって、あらためて気づいたことがあります。港区内の有名スポットはわりと狭いエリアに固まっている、ということです。「区内」なのだから当然といえば当然ですが、公共交通に頼らず、自らの足で歩くことで、いろいろ発見できることもあると思った次第です。
ということで、今回も港区を歩きます。東京タワーに隣接する芝公園をめぐる「芝公園GREEN WAY」です。早速ターミナス(=トレイルの起点や終点となるアクセスポイント)である都営三田線の御成門駅から歩き始めます。

と思ったのですが、そもそも「御成門」って何の門なのでしょうか…?
御成門
増上寺の裏門としてつくられたそうです。もっぱら、お忍びで将軍が参詣する際にこちらの門が用いられたので、御成門と呼ばれるようになったとか。この門はもともと現在の御成門交差点付近にあったそうですが、1892年(明治25年)の東京市区改正計画で内幸町の増上寺の三門(さんもん)から芝公園に至る道路が新設工事された際に、現在地に移築したそうです。
東京都心で「門」が付く地名などは江戸城(皇居)に関係していることが多いのですが、ここは皇居からも距離があります。そこで何の門か疑問に思ったのですが、お寺の裏門だったんですね。納得して御成門駅A3a出入り口から地上に出ると、すぐ目の前に「日本近代初等教育発祥の地」の碑がありました。
日本近代初等教育発祥の地
日本における近代的な初等教育は、明治初期に始まります。東京府(当時)は全国に先駆け、1870年(明治3年)に6つの小学校を開校。その中で最初にできたのが、この芝にあった「小学第一校」だったそうです。

「日本近代初等教育発祥の地」の碑のすぐ近くには、もう一つ「発祥地」の碑がありました。
伝染病研究所発祥の地。
1892年(明治25)、現在の芝公園に建坪10坪ほどの小さな建物ができました。それが、ドイツ留学から帰国したばかりの北里柴三郎が、福沢諭吉などの支援を受けて開設した、日本初の私立伝染病研究所です。
北里柴三郎は研究所に住み込んで研究に没頭し、ペスト菌を発見。他にも、志賀潔による赤痢菌の発見など、この研究所で多くの成果が残されたそうです。

御成門駅A3a出入り口を出てわずか数10メートルの間に2つの「発祥地」の碑がありました。
御成門駅に降り立った人の大半は東京タワーや増上寺に向かうのか、日比谷通りを挟んだ反対側の歩道は多くの人が行き交っています。でも、2つの「発祥地」の碑があるこちら側はそれほど歩行者がいません。のんびり歩くにはこちら側が最適です。と言いつつ、僕も多くの人でにぎわう場所、芝公園に向かいます。
芝公園
1873年(明治6年)の太政官布達第16号(日本初の公園制度)によって誕生した、日本最古の公園の一つです。当初は増上寺の境内を含む広い敷地の公園でした。戦後、政教分離で境内の部分が切り離され、増上寺を取り囲むような環状の公園になりました。
園内には、東京都内で最大規模の前方後円墳である丸山古墳があります。僕は以前、都内の低山をめぐった連載でも紹介しているので、良かったら読んでみてください。
芝公園内を進んでいくと、急に園路が石畳に変わり、庭門や竹垣など和のテイストのものが目に留まりました。何だろうと思ったのですが、案内板によると「おもてなしの庭」だそうです。
おもてなしの庭
2020年の東京オリンピックで国内外から訪れる人々を花と緑で迎えようというコンセプトでつくられた場所。都市緑化機構などが主催する緑の環境プラン大賞を受賞した5つの緑化プランが「おもてなしの庭」として都内各地で作庭され、芝公園にあるのもその1つだそうです。
芝公園 のおもてなしの庭では、江戸の伝統技法を用いた日本庭園などが整備され、主に下記のようなものを目にすることができます。
臥龍垣
真っ直ぐな1本の竹を64等分し、また合わせることで龍のような曲線を表現している臥龍垣(がりゅうがき)。逆立つ龍のうろこを表現するため、あえて継ぎ目が見えるよう竹を繋いだそうです。
日本庭園
富士山を模した小さな築山(つきやま=人工の山)の裾野には、黒ぼく石を使って溶岩を表現しています。
石積とよろい垣
既存の庭門の両脇に設けた、石積とよろい垣。よろい垣は竹の表と裏を交互に並べることで色の違いを楽しめるデザインになっています。

先述したような経緯から、芝公園は輪っか状にいくつかの敷地が点在しています。おもてなしの庭からいったん日比谷通りの歩道に出て、南に進んでいくと記念碑と胸像がありました。
万延元年遣米施設記念碑・ペルリ提督像
「万延元年遣米施設記念碑」も「ペルリ提督像」も、日米修好通商条約100周年(1960年)の際に建立されたものです。「ペルリ提督像」については、建立に先立って1953年の「開国百年祭」のときに提督の出身地であるアメリカ・ロードアイランド州ニューポート市に石灯籠を贈り、その返礼として同市から贈られたものだそうです。
言葉の響きが面白いので何回も書いてしまいましたが、「ペルリ」は「ペリー」のオランダ読みです。なぜ、胸像がオランダ読みで名付けられているのでしょうか。また、ニューポート市と港区や東京都との間に姉妹都市などの関係はないそうです。では、何で芝公園にこういった胸像や記念碑があるのでしょうか。いろいろ「?」だらけです。


ペルリ提督像からさらに南に向かって芝公園内を進むと、「見えない貯水池」という案内板がありました。書かれていた説明をざっくりまとめると、急激な大雨で川が増水するのを防ぐため、芝公園の地下に貯水施設がつくられているそうです。日本最古の公園の一つでありながら、そんな機能も備えているなんて、芝公園、奥が深いです。

「見えない貯水池」の案内板の目と鼻の先には、都営三田線の芝公園駅がありました。今回は、ここでフィニッシュとします。

今回歩いた距離は、およそ850m。でも、そのわずかな距離の間で、発祥地の碑を通じて芝エリアの歴史を学び、数年前につくられた日本庭園で心和ませ、謎の胸像に戸惑い…と、なかなか濃い時間を過ごすことができました。
地下鉄に乗ればわずか1駅ですし、ちゃっちゃと歩けば15分もかからない距離です。でも、何にめぐりあえるのかワクワクしながら、じっくり噛み締めるように歩けば、心から楽しい時間を過ごせます。有名な公園だからといって知ったかぶりをせず、ぜひ自らの足で「芝公園GREEN WAY」の面白さを感じてください。
■今回歩いたルートのデータ
|距離約0.85km
|累積標高差約3m
今回のコースを歩いた様子は動画でもご覧いただけます。
●芝公園GREEN-WAY









