参勤交代のサムライたちが歩いた街道の道幅は?
まだ初日の午前中が終わりません。
このまま行ったら牛のように進まない紀行になります。
でもご安心ください。途中で牛が馬になりますから。
さて、ビジネス街の日本橋から、神田駅周辺、昌平橋を通って東大赤門をかすめ、たどり着いた先は「おばあちゃんの原宿」でした。
おばあちゃんの原宿は、正確には「巣鴨地蔵通り」と言います。JR巣鴨駅の近くにある商店街で、とげぬき地蔵尊が有名です。
狭い道沿いには食べ物屋、生活雑貨、洋品店、お土産屋が並んでいて、おばあちゃんのみならず、たくさんの老若男女がぶらぶら歩いています。
で、中山道を忠実に歩こうとしたら、必ずこのおばあちゃんの原宿を通ることになるのです。
そう、ここはまごうかたない旧中山道です。
かつては庶民はもちろん、参勤交代の侍たちも、和宮降嫁の行列もここを通りました。天下の基幹道路といえども、このくらいの道幅だったのです。
この人混みの中に紛れてみると、数時間前に出発した日本橋が遠い幻のように感じます。
はるけくも来つるものかな。
通りの先には「とげぬき地蔵」があります。正式名称は「高岩寺(こうがんじ)」。
境内に入ると、露店が出て、参拝客でごった返しています。本尊とげぬき地蔵は秘仏で見ることができません。
そのかわり「洗い観音」なる黒光りしている聖観音像が境内にあります。水をかけて自身のよくない箇所をタオルでごしごしとぬぐうと効験あらたかだそうです。そのめに長蛇の列ができていました。
昼から堂々とビールを飲んでもいいのだ!
境内の人混みから抜け出ると、空腹に気づきました。朝からいろいろに変化する町の雰囲気にあてられ、空腹を忘れていたのです。
ちょうど目の前に蕎麦屋があります。
店内もとげぬき地蔵の境内くらい混んでいます。席にありつき、二八そば大盛りを頼みます。
ふと隣のテーブルを見ると、熟年夫婦がビールを飲んでいました。
そうか、私はいま仕事で歩いているわけではない、ダイエットで歩いているわけでもない、車で来たわけでもない。歩いて来たのだ。だから堂々とビールを飲んでもいいのだ! だってゴールデン・ウイークじゃないか。
というわけで、私も生ビールを注文。
ああ、なんて幸福なのだろう。
しみじみと五臓六腑にしみわたるビールと自由の味。
以前、大雪山麓の林道でひとり、昆虫採集をしていたとき、ふと「自分は今自由だ」ということに気づき、腹の底からふつふつと喜びが湧き上がったことを思い出します。
誰もいない、仕事も家庭も約束も何もかも遠くに置いてきて、孤独と自由な瞬間。
それがいま、「おばあちゃんの原宿」で蘇ってきたのです。
そんな思いに浸っていると、目鼻立ちの涼しい妙齢の美人が蕎麦を持ってきました。
すぐに違和感を感じたのは、あれ、視界の端にもうひとり同じくらいの年恰好の美人がテーブルを縫って立ち働いているのです。
一方はすっきりとした細面の美人で、もう片方はふくよかな可愛らしい美人。美しさの方向こそ違うが、こんなふたりが店員で揃うのは珍しい。
会計のとき、レジを打っているその片割れに「ごきょうだいですか?」と訊いてみました。
「ええ。似てますか」と笑う。「いやあ、きれいな人たちだなあって」。
蕎麦を打っている親父さんが爆笑。
ああ、頭の中も自由になってきたようだ。やはり昼間の酒はまわりも早い。
いざ、埼玉へ!
その日の午後のスタートは、ほんわかと酔いにまかせて歩を進めます。
しかしやがて空がどんよりと曇り始めると、酔いもさめてきました。国道17号の橋を渡って埼玉県に入るころには気持ちがかえって沈んでしまいました。
旅の初日は蕨(わらび)宿までです。
宮川 勉
中山道のリアル: エッセイのある水彩画集
5年かけてちんたらと中山道を歩き通しました。中山道というのは、東京の日本橋から京都の三条大橋までをつなぐ旧街道です。東海道は有名ですが、中山道はその山道版とでもいうロングトレイルで、信州や美濃といった山がちな場所を歩きます。そのときに心に残った風景を水彩画として描き、まとめたものが本書です。