探検家・関野吉晴さんが、時代に風穴を開けるような「現代の冒険者たち」に会いに行き、徹底的に話を訊き、現代における冒険の存在意義を問い直す──BE-PAL2月号掲載の連載第31回は、世界的渓谷探検家・田中彰さんです。
日本にキャニオニング文化が入ってきた黎明期、「こんな遊び方があるのか!」と感動したという田中さんは、それまでの探検の経験を活かしてのめり込みます。田中さんの探検の原点とは何か、関野さんが迫ります。
ヒマラヤ・アンナプルナ山群に深く狭く切れ込んだ未踏の谷セティ・ゴルジュの谷底に
人類として初めて降り立った田中彰さんが、キャニオニングにはまった理由
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
田中彰/たなか・あきら
1972年兵庫県淡路島生まれ。関西大学探検部時代、マダガスカルの樹上で1か月半一度も木から下りずに暮らす。四国・吉野川でラフティングガイドをしながら、キャニオニングを実践。2017年、世界に9人しかいない国際キャニオニング協会認定インストラクターになる。
大学時代は探検部で木登りを極めた
関野 キャニオニングのどんなところに惹かれたのですか?
田中 僕がキャニオニングと出会ったのは、日本に入ってきてまだ間もない2000年ごろのことです。最初から険しい渓谷の探検をしたわけではなく、ちょっとかじった人に誘われて、現在各地で行なわれている商業ツアーのようなキャニオニングに行きました。やってみると、滝が出てきても迂回せずにずっと水線通しに下りていくのが新鮮でした。跳べるくらいの高さだったら一気に滝つぼに跳んじゃいますし、どんなに難しいところでもロープで下りられる。沢登りしか知らなかったので、「こんな遊び方があるのか」と感動しました。しかも自分のそれまでの経験を活かせたんです。僕は大学の探検部時代に木登りをやっていて、懸垂下降、チロリアンブリッジ、ユマーリングといったロープワークをものすごくやっていました。そのテクニックがキャニオニングで使えました。また、大学卒業後はリバーガイドとして激流を下る仕事をしていたので、水の知識もありました。だからわりとすんなりとキャニオニングに入っていけましたし、のめり込む背景にもなりました。
関野 探検に興味を持ったのは?
田中 関野さんがきっかけです(笑)。高校生のとき、関野さんがギアナ高地を探検するテレビ番組を見て、「地球上にこんなところがあるのか!」と驚きました。すぐにギアナ高地を調べると、関野さんの本と早稲田大学探検部の恵谷治さんの本があって、どちらにも探検部のことが書かれていました。それを読んで、「部活でこんなことしているの? 俺もやりたい!」と思ったのが始まりです。ところが、大学に進学して探検部に入ったのはいいけれど、自分が何をしたいか、したらいいのかがわかりませんでした。探検部では登山、ケービング、激流下りなど、ひととおりのことをやるのですが、それぞれのジャンルを突き詰めていくと、すごい人が世の中にはいて、学生の4年間ごときでは全然歯が立たないことを知ったんです。僕は、他の人がやっていない新しい何かをやりたいと思って、必死に調べました。それで、とうとう見つけたのが木登りでした。
この続きは、発売中のBE-PAL2号に掲載!
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以下の動画で、誌面に掲載しきれなかったこぼれ話をお楽しみください。