1987年に世界文化遺産に登録されたトルコ東南部(アナトリア地域)のネムルト山(ネムルート山)。山頂には謎の石像が立ち並び、そこから望む夕暮れは世界屈指の絶景といわれています。かねてより登ってみたかったその山に念願かなって登頂してきた金子浩久(日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員・BE-PAL選出)が、歴史とロマンに満ちたネムルト山の魅力をリポートします。
ネムルト山を知ったきっかけは絶景DJの動画だった
トルコ東南部(アナトリア地域)のネムルト山には、いつか行ってみたいと思っていました。
ネムルト山のことを知ったのは、YouTube。Cercleというフランスの音楽レーベルの数々の投稿の中で、ネムルト山を舞台に撮った2時間ものの1本がありました。
Cercleの投稿は、どれも大掛かりなものです。世界中の大自然の中で、たまたまコロナ禍ということもあり、DJがたった一人でプレイします。もちろん、撮影や音響、ドローン操縦などのスタッフはたくさんいるはずですが、極力、映らないように撮られています。
エジプト・ギザのクフ王のピラミッドの前で撮られているものもあれば、ボリビアのウユニ塩湖、フランス・シャモニーの山の雲海の中、モルディブのビーチなどで、それぞれ違ったDJたちが演奏を繰り広げています。
その中の一本に、Be Svendsen(ビー・スヴェンセン)という男性DJがネムルト山頂上で撮っていたものがあったのです。
それまで、僕はネムルト山のことを知りませんでした。スヴェンセンが繋ぎ続ける心地良いビートとメロディに惹き付けられて視聴し始めたら、次第に映像のほうが気になってきたのです。
どこかの山の頂上の手前の少し下の平らになっている場所にテーブルを置き、機材を並べてプレイしています。そして、スヴェンセンと山の間には大きな岩がゴロゴロと転がっていて、良く見ると、それらの中には人間や鳥、ライオンなどの頭部が彫られた大きな彫像がいくつも立っているではありませんか!
ライブ用のディスプレイなのか?
誰かが彫ったものには間違いないのですが、そんな山の上で、誰が彫ったのでしょうか?
映像が切り替わって、ドローンによって山全体や周囲の土地を撮影し始めました。大きな山ではありませんが、周囲から独立したひとつのきれいな峰です。周囲には建物もないわけではなさそうですが、大きな集落やビルなどの人工物は見当たりません。なだらかな山々が連なっているだけです。木々や草などもあまり生えておらず、褐色の岩と土に覆われた荒寥としたところのようです。
トルコ東南部にそびえる世界遺産
Be Svendsen live at Mount Nemrut, in Turkiye for Cercle
投稿のタイトルを確認してみました。トルコにあるのか!
地図で探すと、トルコの東南部(アナトリア地域)です。トルコはイスタンブルにだけしか行ったことがありませんでした。イスタンブルは西にあり、ヨーロッパとアジアを隔てているところにある大都会でしたが、ネムルト山はアジア側のだいぶ東の山間部のようです。南へ行けばシリア国境、ずっと東に進めばイラン国境です。
そのあたりで聞いたことのある地名といっても、ノアの方舟で知られているアララット山ぐらいしか見当たりません。しばらく地図を眺めてみましたが、他に目的でもないと、なかなか訪れる機会もなさそうなところです。アララット山はネムルト山からさらに東北に進んだイランとアルメニア国境に近いところにあります。
ネムルト山の縁遠さを再認識しながらも、いつかはきっと訪れてみたいと願いながら地図を閉じ、スヴェンセンのプレイを聞き続けたのでした。
それが2年前のことでしたが、偶然のきっかけからネムルト山に行くことができたのです。“願い続けていれば、いつか訪れることができる”という言い伝えは本当でした。YouTubeを確かめると、スヴェンセンの回は、すでに665万回も視聴されていました。
ネムルト山の標高は2150m。登山時間は?
イスタンブルから国内線でマラティヤまで飛び、そこからバスで約2時間でネムルト山に到着し、山の中腹から道が細くなるためにミニバンに乗り換えて上がっていきました。最後はミニバンも降りて、徒歩で山道を上がっていきます。およそ10分の上り道は整備されているので心配要りません。
山頂部分は、明らかにそれよりも下の部分と様子が違っています。まず最初に、そこに眼を奪われました。下の部分は、整備されているとはいえ、さまざまな形の大小の岩や複雑な稜線などによって山の全体が形作られているのに対して、山頂部分は一転して拳大かせいぜい片手で持ち上げられるぐらいのサイズの石だけが積み上げられているのです。
大きな岩が歳月とともに割れ砕けていくのではなく、まるで麓の採石場にある石をトラックに積んで何百何千往復させて、ここに積み上げたかのように見えます。あるいは、巨大なカップに石を詰めて、逆さにして置かれたようにも見えます。光の反射の仕方も違うのか、山頂部分だけ明るく柔らかく見えます。
山頂に並び立つ石像群。アンティオコス1世の墳墓か?
近付いていくと、スヴェンセンのビデオで見た石像群が立っていました。山に近いところに胴体だけが立っていて、首から上の部位だけなぜか手前に転がっています。不思議なのはそれだけでなく、首から上の像はみんな登ってきた者を歓迎するかのように、同じ方向を向いているのです。
解説プレートによると、これらの像は19世紀後半にオスマン帝国軍が行軍している最中に偶然に発見され、その後に本格的な発掘調査が行われました。
山頂全体が、紀元前1世紀にこの地域を支配していたコンマゲネ王国の王、アンティオコス1世の墳墓ではないかと議論されていますが、墓自体はまだ発掘されていません。
そこから回って、反対側の西側に歩いて行けるように道も整備されています。西側にも東側と同じような石像群があり、同じように首から上と下で分かれて転がっています。すべての石像の顔がこちらを向いているのも変わりありません。
チグリス川もユーフラテス川も東トルコが源流
周囲に高い山などはなく、視界が360度開け、地平線に向かって山の稜線が幾重にも重なって見えていました。幸いに好天に恵まれたので、地平線まで見渡せます。
南南西の方角には、トルコ最大、世界でも7番目の大きさのアタテュクルダムが見えました。このダムはユーフラテス川を堰き止めて造られたものです。古代文明の源となったと中学校の歴史の授業で教わったユーフラテス川とチグリス川の両方がトルコには流れていると聞かされると、時代は違っていてもネムルト山の山頂にこのようなものが造られていても不思議はないなと納得してしまいます。
標高は2150メートルですが、風が吹くと急に寒くなってきます。太陽が西に沈み掛け、色を濃くした陽光が石像群を照らし始めます。遠くの山々も刻々と変化し始め、自然のダイナミズムを全身で受け止める瞬間です。
こうした体験は久しぶりのことでした。絶景を称えられる場所は少なくありませんが、ネムルト山には加えて歴史とロマンがありました。おそらく、トルコにはこうしたところが他にもたくさんあるのでしょう。