砂漠、北極圏、山、シーカヤックなどさまざまなジャンルの冒険を続けている若き冒険者、関口裕樹さんが語る「僕の冒険の根っこにあるもの」
探検家・関野吉晴さんが、時代に風穴を開けるような「現代の冒険者たち」に会いに行き、徹底的に話を訊き、現代における冒険の存在意義を問い直す──BE-PAL10月号掲載の連載第27回は、高校卒業を機に「冒険家という人生を選んだ」という関口祐樹さんです。
図書館に通ってあらゆるジャンルの冒険関連の本を読むことから始めたという関口さん。どんな冒険に惹かれ、どのような冒険を目指しているのか、関野さんが迫ります。その対談の一部をご紹介します。
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
関口裕樹/せきぐち・ゆうき
1987年山形県生まれ。高校時代に冒険家に憧れ、卒業後就職せずに冒険の道へ進む。18歳で徒歩日本縦断したのを皮切りに、これまで北極圏、オーストラリア、知床など過酷な自然環境に挑み続けている。2020年第10回「モンベル・チャレンジ・アワード」受賞。
冒険は意味がないからいい
関口 僕が冒険家になろうと決意したのは20年前、高校1年生のときです。それまではアウトドアや冒険とはまったく無縁で、小学校でサッカー、中学で空手をやっていました。空手は将来プロになろうと思うぐらい真面目に打ち込んでいて、山形県大会で優勝もしました。でも、挫折してしまい、中学の終わりから高校に入るころまで何の目標もない状態が続きました。そこで何かしたいともやもやしていたときに、冒険という言葉への憧れが浮かび上がったんです。とはいえ、キャンプすらしたことがありませんでした。
関野 漠然とした冒険への憧れをどうやって具体化していったのですか?
関口 まず近所の図書館に通って、冒険の本を片っ端から読みました。そのときに初めて植村直己さんや関野さんの存在を知りました。他にもクライマーの山野井泰史さん、平山ユージさん、ヨットの堀江謙一さんの本なども読んだのですが、何の技術もない自分に彼らのような冒険ができるとは思えませんでした。自然とリヤカーマンの永瀬忠志さんや南北アメリカ大陸を徒歩縦横断した池田拓さんのようなシンプルな歩き旅に惹かれていきました。それなら僕でもできそうだと思ったし、ナンセンやアムンセンをはじめとする英雄譚よりも惹かれました。なぜ惹かれたのか? 永瀬さんや池田さんの冒険には意味がないからなのだろうと最近になってわかってきました。たとえば永瀬さん。車が走っている道を泣きながらリヤカーを引いて歩くって意味がないですよね。でも高校生の僕はそれにめちゃめちゃ熱くなったんです。冒険は意味がないからいい、そういう冒険をやりたいというのが、僕の根っこにあるのだと思います。そして、本を読み漁っていくうちに、冒険を「やってみたい」が、「やりたい」、さらに「やる」に変化しました。僕は、高校を卒業したらまず歩いて日本を縦断すると決めました。
関野 冒険の第一歩を踏み出したのですね。
関口 18歳の5月から9月にかけて、北海道の宗谷岬から沖縄本島最南端の喜屋武岬までの2715㎞をザックを背負って109日かけて歩きました。
関野 楽しかった? それともつらかった?
関口 つらかったですね。足がマメだらけになって大変でした。でも、それ以上に問題だったのが夜。生まれて初めての野宿が怖すぎて、テントの中で果物ナイフを握りしめて横になりました。最初の1週間ぐらいは怖くて眠れませんでした。
この続きは、発売中のBE-PAL10号に掲載!
公式YouTubeで対談の一部を配信中!
以下の動画で、誌面に掲載しきれなかったこぼれ話をお楽しみください。