中山道の旅は山岳部を歩く木曽路を終え、中山道と東海道をつなぐ美濃路へと続く。今回は52番目の宿場、鵜沼(うぬま)宿を出て、55番目の美江寺(みえじ)宿までの出来事。道中、のっぴきならない事態におちいった宮川画伯だが、前向きに解決しつつ、旅を進めるのであった。
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映画のセットのような宿場を歩く

中山道の白眉ともいえる「木曽路」を経て、美濃路を歩いている。
私の中山道歩きは、一回ごとに進む距離を設定して、そこまで行ったら帰宅し、次回は前回の到着地点から歩き始めるというやり方だ。1日に20キロ〜30キロ歩いて、当初は日帰りで、家から遠くになるに従って、一泊の予定になり、やがて二泊に、最終的には四泊しないとならなくなる。この方式なら、会社員でも中山道を完歩できる。
というわけで今回は12回目の中山道行。季節は2022年師走。出発地点は52番目の鵜沼(うぬま)宿から。

この宿場は映画のセットのようだ。造り酒屋、町屋、脇本陣、観光案内所など木造二階建の建物が並び、川端の鰻屋には大きな柳まで植わっている。「ザ・宿場」とでもいうべき町並みが復元されている。しかも中部地方では珍しい火の見櫓がある。でも若干高過ぎないか。これだけ高いと、はしごを登るだけで大変だろう。
避けては通れない問題

歩いていて、ちょっと尿意を催してきた。
まだ緊急性はないのだが、気になりだすと膀胱への溜まりが早まるようだ。季節のせいか今回の旅はこの件で悩まされる。考えてみると日本橋からここまで、よくこの問題に悩まされなかったものだと思う。
山の中は言わずと知れた方法で、緊急対応ができる。大きな声では言えないが、その点、男性は気楽なものだ。一方、町ではコンビニやスーパーがある。公園には公衆トイレがあるし、駅があれば借りられる。問題は、同じ町でも商店のない住宅街だ。公園もコンビニもない昔ながらの住宅街、旧街道沿いには思いのほか多い。
いま、私はそんな住宅街を歩いている。膀胱が黄色信号になったので、すこし真剣にトイレを探す。小さい神社があったので、参拝客用のトイレがあるかと、境内をさがしたが、猫が胡乱げにこちらを見ているだけだった。
地図を見て「これから住宅街に入る」と先んじてわかれば対処もできようが、そういうわけにはいかない。だから街道歩きの鉄則としては、早め早めに、チャンスがあれば、出なくても絞り出す習慣をつけておいたほうがいい。特に女性。
つれない態度の駅員

一度、トイレを探す行動を始めると、赤信号が点滅し出す。
ふと名鉄細畑(ほそばた)駅という案内板が目に入る。駅ならトイレを貸してくれるだろう。なんだったら入場券くらい買ってもいい。このあたりの名鉄線は高架になっている。案内に従って街道を右に逸れ、国道を早歩き、高架下の自転車置き場の脇を抜けて、駅に着いた。
ここは無人駅で券売機と自動改札があるだけだった。壁には「駅内の施設を利用する人は入場券を買ってください」と書かれた紙が貼ってある。さらに「入場券を買う人は、ボタンを押してください」とある。ボタンを押すとすぐに若い男の声がした。「すみません、トイレを貸していただけませんか」と丁寧にお願いした。男がインターフォン越しに言葉をつまらせたのがわかった。そして一言「トイレはありません」と木で鼻をくくるとはこういう態度かと思わせる口調で言う。
むっとした私は、「そうですか。はい、どうも」それ以上、問答する気もなくした。
この旅は〇〇とのふたり旅

トイレのない駅なんてあるのだろうか。ましてや駅内の施設を利用するのにボタンを押して話せと書いてあるではないか。トイレ以外いったいなんの施設が駅にあるのか。ベンチに座らせてください、なんてことでインターフォンを押すのかい、ばからしい。 自分ならどうするだろう。切羽詰まった人に、もう少し同情的な言葉をかけるだろう。もし周辺の地理を知っていたら、どこそこならあるかもしれません、くらい言うかもしれない。まあ、年齢を問わず、余計なことをしないのが自分の生きる道と考える輩が増えた。
もう膀胱は完全に赤だ。腹立ちもあって高架下の自転車置き場でしてやろうかとも思ったが、あまりに大人気ないので思いとどまった。ほうほうの体で街道に戻り、ようやく見つけた公園に、トイレがあった。
この旅はまるで膀胱とのふたり旅のようだ。膀胱二人(ぼうこうににん)か、はは……。
ちなみにこれは何が面白いかというと(初代三平風に)お遍路の網代笠に書かれた「同行二人」のシャレなのだが、調べると「どうこう」ではなく「どうぎょう」と読むことを知った。膀胱だけにしまりのないしゃれになってしまった。
コミュニケーションの手段なのだ、たぶん

翌朝7時に岐阜市街〈加納(かのう)宿〉のホテルを出発。今日は河渡(ごうど)、美江寺(みえじ)、赤坂、垂井(たるい)と四つの宿場、30キロほどの距離を歩く。河渡は名前の通り、長良川を渡った先にある。
昨日からセンシティブになっている膀胱は、川を渡ったあたりから私にちょっかいを出してくる。住宅街に迷い込み、中山道をどうも外れているようだけど、確認する余裕もない。
公園を発見。だけど入口が閉鎖されている。ちょうど公園の木の剪定をしているお爺さんがいたので「中山道はどこですか」と聞きながら、トイレを使ってもいいか聞いてみた。「ああ、どうぞ」。老人たちは植栽の管理をしたりゲートボールで遊んでいたりしている。小走りにトイレに向かうとき、ベンチに座っていたお婆さんに軽く頭を下げると、「どうぞ」とやさしい。
ふとこれは膀胱コミュニケーションというのがあるな、と思う。本当に切羽詰まった人を目の前にすれば心を許す。トイレを貸してもらいながら土地の情報もついでに得られるのではないか。用を足しながら考えた。
次の美江寺宿の神社でも神社のトイレを拝借した。

広い境内の奥に、子どもたちを集めて勉強を教えている教室があった。どうも塾というより集落の大人が子どもたちを集めて宿題を見てあげる寺子屋みたいなものだ。少年がひとり教室を抜け出して、境内で盛大に焚き火をして、もうもうと煙を出していた。年配の先生がやってきて注意していた。怒るでもなく、しょうがねえなあ、というような、やはり近所のおじさんという感じ。境内には綺麗に色づいた紅葉が抜けるような青空に映えていた。
こんないい天気に宿場町を歩けるのは幸せだ。
千躰寺(せんたいじ)という寺の境内の外に二基の墓石があった。街道沿いで、しかも往来に向かって立っているのに違和感を覚えた。墓の文字を読むと、一基は伍長、もうひとつは上等兵の階級が名前の下に書いてある。死んでまで生前の階級を墓に刻むのもわからない。墓の側面に回ってみて、目頭が熱くなった。戦死享年二十三、戦死享年二十二。そして死んだ場所なのだろう、それぞれにカタカナで私の知らない島の名前が彫られていた。
美濃の旅では、このような若者の墓を他にも見た。膀胱とは関係がないが、これは書いておきたかった。
〔追記〕名鉄各務原(かがみはら)線「細畑」駅に本当にトイレはなかったのか、帰ってから調べてみた。本当にないこと が判明しました!近代的なこんな駅にトイレがないとは思いもよらず、名鉄の駅員さん、疑って、ごめんなさい。貼り紙にあった「構内の施設」も、どうやら車椅子を階段で昇降するための装置のことのようです。
2021年12月10日〜12日

