須原宿 木曽山中の忘れがたい一夜、福助のいる宿 | 日本の旅 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル

日本の旅

2026.09.30

須原宿 木曽山中の忘れがたい一夜、福助のいる宿

須原宿 木曽山中の忘れがたい一夜、福助のいる宿
連載第17回。
今日の行程は、中山道37番目の福島宿から上松宿(あげまつじゅく)を経て39番目の須原宿(すはらじゅく)まで。須原宿の一棟貸しの民宿を運よく予約できた宮川画伯。「おかげで中山道完歩が達成できる」と安堵したのもつかの間、元旅籠というその宿には画伯が苦手な要素がそろっていたのだった。
Text

 

木曽の名所を巡りながら須原宿唯一の宿へ

須原宿は商店や観光施設もない、落ち着いた風情がある。

私の歩きのペースを考えると、今晩は須原宿で泊まるのがいいだろう。

その当時(といっても5年ほど前のコロナ期)、ネットの大手宿泊サイトでは、須原にホテルも旅館も見つからなかった。それでも地元のサイトにあたってみると、やたら外国人の投稿のある宿を見つけた。
「民宿すはら」だ。
サイトからの予約はできないので、電話をした。長いコールのあと、おじさんが出てきた。そして宿は一棟貸しであること、そこに住んでいるわけではないから、直前のJR倉本駅に着いたら電話が欲しいと言われた。

予約できてよかった!というのは、この宿が営業しているおかげで中山道完歩ができる、それほど貴重な宿なのだ。

木曽の桟(かけはし)。福島宿と上松宿の間にある有名な歌枕。かつては蔦や石でつくられた危険な橋だったが、いまはトラックも通れるように補強されている。

「木曽の桟(かけはし)」や「寝覚めの床」「小野の滝」といった木曽路の名所を見ながら歩いた。倉本駅にたどりついたのは15時45分。電話口で、民宿のおじさんは「そこからならふつうに歩いて1時間かからないです」と言う。
しかしそれは「ふつう」の人の歩みのことで、疲れがピークに達している私は、気は急いても牛がのんびり道草を食って歩くようなスピードになってしまう。

寝覚めの床。白い角状の岩がごろごろ出ている木曽川の勝景。唐突に浦島伝説を説いた説明文があって笑える。

民宿の玄関を開けるとおじさんが待っていた

「民宿すはら」は、中山道完歩に欠かせない貴重な宿。

民宿のあるJR須原駅に着いたのは17時15分だった。ひと駅といえども地方のひと駅はつくづく長い。
駅前といえども商店もなく、人も歩いていなかった。考えてみればここは木曽山中の村。昨日泊まった福島や通過した上松などとは違う。福島はかつて関所があり、いまでも木曽路の中心地だし、上松は木曽檜の集積地として栄えた名残があった。しかしここは日本中どこにでもある山の過疎地だ。

ただ通りには、丸太を抉って作られた水槽があちらこちらに置かれてある。かつて茶碗や野菜などを洗う共同の水場「水舟(みずぶね)」を復元したものらしい。井戸端会議の花が咲いたこともあったのだろう。この涼やかな装置だけが、在りし日の中山道のよすがになっていた。

かつての洗い場を復元した水舟(みずぶね)。通りのあちこちにある。

「民宿すはら」の前にも水舟が置かれ、入り口にある行燈の光が水面に反射していた。

玄関を開けると、おじさんは上がり框に座って、私を待っていた。
着くや、すぐに「さあ上がってください」と促されるが、足が痛くてほんのわずかな段差が上がれない。やっと上がると倒れるように畳に尻を着く。早く宿泊システムの説明をしたいおじさんを抑えて、とりあえずコップ一杯の水を飲ませてもらう。

広い空間にひとり取り残された

さて、おじさんの説明では、ここは元旅籠だったそうだ。たしかに囲炉裏や神棚、摩耗した階段の手すりなどに旅籠の趣が感じられる。外国人にはとくに喜ばれるだろう。そしていま私とおじさんが座っているのは、囲炉裏の間。ホテルならばロビーといったところか。ちゃぶ台があり、天井からは蛍光灯が下がっている。籐椅子、湯沸かしポッド、テレビ、冷蔵庫などなど。新旧混然とした調度品が並んでいる。

ここがホテルでいえばロビーにあたる囲炉裏の間。かつての旅籠の風情はたしかに感じられる。

ロビーの隣に八畳間があり、その奥にもうひとつ八畳間がある。奥の間にはすでにふとんが敷かれていた。枕元の床の間には、掛け軸と時代がかった福助人形が置かれいてる。おじさんは建物内を案内してくれた。風呂の入れ方や洗面所台所などの説明をひと通りし終えると、「明日は8時に来ますから」と言い残して去っていった。

ちなみに洗面所も台所も新しくて広い。案内はなかったが、さらに二階もあるようで、ひとりで泊まるには贅沢なほど広い。ウエブでの評価はこの広さと清潔さが高評価になっている。  

おじさんが去ると、しんとして広い空間に取り残されたような気分になった。
そうだ、夕飯を食べに行こう。たしかおじさんは国道19号線のドライブインに台湾料理屋があると言っていた。              

夜、静けさが体に覆いかぶさってくる

床の間。到着時には、すでに布団は敷かれていた。

台湾料理屋のカウンターで焼きそばを食べた帰り道、須原宿自体がひっそりと静まり返っていた。
どうも人の気配がないのだ。
民宿の扉をあけても、当然ながら誰もいなくて静かだ。
とりあえず風呂に入ろう。檜風呂はまだ新しいようで檜の香りがした。湯船に湯を溜め、ひとりなので出る時には、湯を全部落とさなくてはならない。もったいないなあ、だけど玄関の水舟はずっと水を流しっぱなしなので、少なくとも水は豊富な地域だと思えば、罪悪感はないか。

さてさて、風呂から出て、次はどうしよう。
古い旅籠の静けさが身体に覆いかぶさってくる。
私は静かな広い空間が得意ではない。われながら呆れるが、この齢まで苦手なのだから、一生このままだろう、
はは……実家ですらひとりでいると妙に落ち着かないものだ。

あまり階段の上の暗闇に視線が行かないようにした。
テレビをつけてみた。ヴァラエティ番組の軽薄なやりとりに救われる。
昼間あれほど歩いたのにちっとも眠くない。
やがてテレビにも飽きたので、横になれば眠れるだろうと、布団に入る。
電気はつけたままにしよう。さらにスマホを耳のそばに置いて「ラジオ深夜便」を聴く。眠れないときは眠れないものだ。枕元の福助も気になるなあ……見ないようにしよう、まるで小学生。

白々と夜が明ける

二階から囲炉裏の間を見下ろす。

朝。それでもいつの間にか寝ていたらしい。
まずは白々とした外の明かりのなか、囲炉裏の間でテレビをつけ、NHK7時のニュースを見る。
一夜を過ごしてみれば、旅情をしみじみ味わえる快適な宿だ。
ふと気になっていた二階に上がってみた。がらんとして板の間に衣紋掛けがぽつんと置かれていた。

がらがらとガラス戸を開いておじさんが「おはようございます」と現れた。
鍵を返却してすぐに出発!

時代ものだと思われる福助。

と、ここで思いついて、最後に床間の福助を至近距離で撮影してやった。
福助は昨晩からずっと微笑んでいた。

宿場について振り返ったときの夕焼け雲。

                                    (2021年10月8日)

 民宿すはら https://kiso-nagano.ne.jp/suhara/

著者画像

宮川 勉

水彩画と本づくり

元BE-PAL編集部員。ライターときどき画伯(笑)。なんちゃって虫屋。中山道を歩いた記録として『中山道のリアル~エッセイのある水彩画集~』(私家本)がある。ご購入は本人のFBのメッセンジャーで直接ご連絡ください。アマゾンでは電子書籍のみを販売しています!



NEW ARTICLES

『 日本の旅 』新着編集部記事

須原宿 木曽山中の忘れがたい一夜、福助のいる宿

2026.09.30

夏の終わり。落ちアユの味と香りをきっかけに愛宕山から「アユの道」を歩いた

2026.09.23

百人一首に歌われる「由良の門」。京都の「由良」に旅して恋の恐ろしさを考えた

2026.09.22

番外編・熊谷宿のスズメ〈後編〉―塩名田宿(しおなだしゅく)へ―

2026.09.05

ここはホントに新宿!? ワイルドな自然と団地のギャップに萌える戸山公園【鈴木みき「都立公園へ行こう!」4】

2026.09.04

「そのとき」はあっけなくやってきた! 戸山公園“山手線の内側最高峰”登頂記【鈴木みき「都立公園へ行こう!」3】

2026.09.03

“あの最高峰”の前に古墳に登頂! 戸山公園は都電駅からの寄り道がおもしろい【鈴木みき「都立公園へ行こう!」2】

2026.09.02

アユと日本人の深いつながり。さまざまな伝統漁法が残る「清流・長良川の鮎」が世界農業遺産に認定

2026.08.22