昨年、バリ島のイスラム教徒の家に嫁いだ友人を訪ねた。その時の友人のこの言葉がずっと頭の
片隅に残っている。
宗教が違っても伝え合う「おめでとう」
バリ島があるインドネシア共和国はほとんどの国民がイスラム教徒。そんな中、バリ島だけは異例でほとんどがバリヒンドゥー教徒である。なので、イスラム教で食べるコトを禁止されている豚肉料理がバリ島の郷土料理と思われるほど豊富にある。インドネシア語で豚は「バビ」という。豚にさまざまなスパイスを詰めて丸焼きにしたモノはバビ・グリンと呼ばれ地元民にも観光客にも大人気だ(ちなみに、私はスパイスが合わなかったのかバビ・グリンを食べて腹を壊しました……悔しい……)。

豚の串焼きサテ・バビなどは鶏の串焼きサテ・アヤムと一緒に道端の屋台等でせっせと焼かれては、みんなせっせと買っていく。もちろん、購入するのはバリヒンドゥーの人たちだけれど、その横をイスラム教徒の人たちも日常の風景として通りすぎていく。

私がバリ島の友人を訪れたのは、ちょうどバリヒンドゥー教のお正月とも言える「Nyepi(ニュピ)」の頃だった。ニュピの前日は「オゴオゴ」と呼ばれる日本のねぶたにも似た巨大ハリボテが街中を練り歩くという行事がある。

友人とそれに出向いた際、流暢なインドネシア語で友人がバリの仲間たちに声をかけていた。
「Selamat Hari Raya Nyepi(スラマット ハリ ラヤ ニュピ)!」
「ニュピ、おめでとう!」というような意味である。日本でいうところの「あけましておめでとう」に近いかも。
「バリヒンドゥーの行事だから、本来、イスラム教徒は関係ないんだけど、インドネシアではお互いの宗教を尊重し合うから、それぞれの宗教の行事のお祝いの言葉をお互いにかけるんだよね」と、友人。

バリヒンドゥー教のお正月的行事でもある「ニュピ」は、朝6時から翌朝6時まで、家から出てはいけないし、基本、煮炊きもしてはいけない。仕事もしてはいけないので、店も何もかも閉まり、道路にはクルマもバイクも誰一人出歩いていない。テレビ局やラジオ局も休むため放送は皆無。空港すらも完全閉鎖され入出国もできない。電気も点けてはいけないので、夜は真っ暗! ニュピは必ず新月の日と決まっているので、正真正銘の暗闇なのである。別名「サイレント・デイ」と呼ばれるのも頷けるほど、24時間、島内全域が静寂に包まれる日なのだ。それを、バリヒンドゥー教徒だけではなく、イスラム教徒の人たちも、その日、観光やビジネスでバリ島を訪れている人たちもすべての人たちが行う。
私が訪れた年は稀有な年で、ニュピの翌々日がイスラム教徒の断食明けの大祭「Eid al Fitr(イドゥル・フィトリ)」がある年だった。ちなみに、ニュピもイドゥル・フィトリも、各宗教独自の暦で行うため毎年行われる日が変動する。

ラマダン明けのお祝いといえば、それはそれは豪華な料理を親戚縁者で頂く日である。が、バリヒンドゥーがこの時期、ニュピで長期休みなため、全店が閉まっている。イスラム教徒の人が営んでいる店も閉めているので、料理の準備がまったくできない年だった。自分たちはニュピと関係ないからと言って、自分たちの大祭のために店を開ける人がいないコトにも驚いた。日本なら、きっとこっそりやる店も出てくるような気がするが……。

インドネシアで大切な五原則
「インドネシアにはね“Pancasila(パンチャシラ)”っていうモノがあって、その中のひとつにお互いの宗教を尊重し合わなきゃいけないっていう決まりがあるんだよ」と友人が教えてくれた。
「パンチャシラ」とはインドネシアの建国五原則。「パンチャ」は数字の「5」を表し、「シラ」は「原則」を意味する。
①唯一神への信仰
②公正で文化的な人道主義
人種、宗教、性別等の違いで区別をせず、皆、平等であるというコト。
③インドネシアの統一
個人の利益よりも、国や民族の共同利益を優先するコト。
④合議制と代議制における英和に導かれた民主主義
多数決ではなく全員が賛成するまで話し合いを続ける等。
⑤全インドネシア国民に対する社会的公正
国民すべてが平等であり、格差のない公平な社会をつくるコト。
第二次世界大戦最中だった1945年6月1日にジャカルタで行われた「インドネシア独立準備調査委員会」において、後に初代大統領となるスカルノ博士が提言したモノが今のパンチャシラの元となっているのだそう。
このパンチャシラの一番目にくるのが宗教の話である。インドネシアの国民は、国が公認する宗教のいずれかを信仰しなければいけないコトになっている。イスラム教、キリスト教(プロテスタント、カトリック)、ヒンドゥー教、仏教、儒教がそれに値する。そして、それぞれの宗教を尊重し合うコトが記されているのだ。

パンチャシラは、インドネシア国内の学校でも授業で習うらしく、友人の子供も学校のテストに出ると言う。また、バリ島内には、これらの宗教の祈りの場が同じトコロに集結している場所がある。「フロジャ・マンダラ寺院」と呼ばれるそこには、仏教寺院・キリスト教会・ヒンドゥー教寺院・イスラム教のモスクが揃っているのだそう。3つの宗教が揃っているトコロは世界にも何か所かあるようだけれど、5つが揃っているトコロは世界中探してもなかなかないんじゃなかろうか? 今回、時間がなく、訪れられなかったコトが非常に悔やまれる……。

争いごとがなくなる世界へ

ニュピの翌日、イスラム教にとってはイドゥル・フィトリの前日。友人一家たちが通うモスクにイドゥル・フィトリのお祝いの一環として、バリ島内のハーレーダビットソンチームが子供たちをハーレーに乗せて周辺を走ったり、子供たちにお小遣いとバリ島内で人気のフライドチキンチェーン店「ACK」のセットをプレゼントしに来ていた。日本でいうところのお年玉的なモノらしい。

そのハーレーチームには、イスラム教徒もいればバリヒンドゥー教徒もいるが、メンバー全員が、モスクに集まった人たちとこんな挨拶していたのだ。
「Assalamu alaikum(アッサラーム アライクム)」
「Walaikum salam(ワライクム サラム)
「あなたにも平安がありますように」
という、イスラム教徒の挨拶をバリヒンドゥーの方も行い、その後に、
「Selamat Hari Raya Eid al Fitr(スラマット ハリ ラヤ イドゥル・フィトリ)!」
つまりインドネシア語で「イドゥル・フィトリ、おめでとう!」と。
相手の宗教に合わせてスッと挨拶とお祝いの言葉がかけられる光景。その一言だけで、相手へのリスペクトが伝わって来る。自分の身近にいる他宗教の人への小さな挨拶から、きっと何かが変わっていくのだろうなと。私が訪れたバリ島のその場では、それが日々の中でも自然と当たり前のようになされていた。子どもから大人まで。
個人的には、唯一神だけでなく八百万の神も入れてほしいな〜とは思うものの、このパンチャシラのようなコトを世界中の人が一人一人ほんのひとかけらでも心に留めるコトができたら、世界の争いごとがもう少し減るんじゃないかなと思ってしまうのは私だけだろうか?




