京料理に欠かせないサンショウの香りに誘われて、鬼の子孫が住まう八瀬の里を歩く | アウトドア・外遊び 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル

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2026.05.22

京料理に欠かせないサンショウの香りに誘われて、鬼の子孫が住まう八瀬の里を歩く

京料理に欠かせないサンショウの香りに誘われて、鬼の子孫が住まう八瀬の里を歩く
京都では高級料亭から庶民の食卓まで、サンショウが欠かせないという。とりわけ春の「花山椒」。雄株の蕾を鍋料理に添え、春冷えの夜にしっぽり温まりつつ清涼な香りを楽しむそうだ。しかし、こちらは高級品だ。そこで、筆者は若芽で鍋料理を思い立った。5月の京都は祭りの季節でもあり、祭り囃子の音色を聞きながら比叡山の麓の里、八瀬を歩いてサンショウを手に入れ、晩の宴の準備に取り掛かった!

叡山電車のレトロ列車で八瀬比叡山口へ

比叡山(848.3m)。古くは「都富士」とも呼ばれた。山頂直下には世界文化遺産に登録される延暦寺がある。

5月5日の京都は、前の日の春嵐が嘘のように見事な五月晴れとなった。朝、外を歩き始めると、お囃子が聞こえてきた。修学院の界隈の氏神さまの鷺森神社の例大祭で、早くも神輿渡御が始まったらしい。5月の京都は祭りの季節だ。葵祭もある。夏の祇園祭、秋の時代祭と並んで「京都三大祭」に数えられ、上賀茂神社と下鴨神社の例祭で平安時代から続く帝の勅使が派遣されて執り行われる勅祭だ。こちらは500人もの行列が練り歩いて壮麗な絵巻となるが、市中から離れた里では、屋台も出ず、ひっそりとお社での神事と神輿渡御だけの小さな祭りが粛々と行われる。お囃子を遠くに聞きながら叡山電車「修学院」駅へ向かった。

叡山電車の「ひえい」は平成30年(2018)に運行開始された観光列車。座席はバケットシートだ。

叡山電車は大正14年(1925)、出町柳から八瀬を結んで開通した。バスがまだない頃、左京区北部の日常の足を考えながらも、当初から休日の比叡山観光を想定していた。当時の京都の財界人は、阪急電鉄による遊園地と歌劇団を合わせた宝塚の成功を見て、八瀬遊園を作り、八瀬から比叡山を駆け上がるケーブルカーとロープーウェイも開通させたのだ。さらに、比叡山の山頂の台地にも行楽施設を作ったのである。拙宅の近隣の人にも八瀬の観覧車を覚えている人がいる。その頃は比叡山も雪が今より豊かだったのだろう。山腹には小さなスキー場もできたそうだ。

叡山電車は、八瀬までを本線とし、その後に貴船、鞍馬へ向かう支線ができた。こちらは鞍馬線という。「修学院」駅で叡山電車を待った。本線と鞍馬線の両方が来る。どちらも混雑時は2両編成で平日の昼間などは1両で運行だ。ひとつ北の「宝ヶ池」駅を過ぎて本線と支線が分かれる。大型連休で鞍馬線は混んでいた。やはり貴船や鞍馬は観光名所である。一方、本線は乗客もまばらだった。ちょうど「ひえい」がきた。たった1台だけ作られたレトロなデザインの列車で、本線だけに運行しているのだが、わずか約5.6kmを休みなく往復運行しているので、けっこう当たる。これに乗って3つ先の終点、「八瀬比叡山口」駅で下りた。

叡山電車の開通当時に建設されたまま現在まで残る。昨年は開通100周年だった。
駅に近い「八瀬もみじの小径」の「青もみじ」。約3700㎡にモミジが群生している。

角のない鬼の子孫たちが、八瀬八幡宮社の祭りを守り続ける

駅舎は開通当時のまま「八瀬驛」と掲げた鉄骨構造の古い格納庫のようだ。八瀬遊園の痕跡はもうない。集落は駅から20分ほど北に歩いた山裾だ。八瀬は江戸時代まで「矢背」といった。壬申の乱(672年)の際に矢で背を打たれて逃げ込んできた大海人皇子を、この地の人々が竈風呂を提供して癒したのが由来だという。そんな心優しい故事とは裏腹に、八瀬の人々の祖先は鬼だとされる。人々もそう自認してきた。鬼は鬼でも角のない鬼だと伝えられている。鬼とされたのは、縄文時代から土着してきた民だと考える学者もいる。王朝を築いた渡来人たちが、鬼として社会の隅に追いやったというのだ。

八瀬八幡宮社の例祭は「八瀬祭」とも呼ばれている。毎年5月5日に執り行われる。

集落に入ると、太鼓の音が聞こえてきた。この日は八瀬天満宮社も春の例大祭だった。全国約1万2,000ともいわれる菅原道真(845~903)を祭神とした天満宮社の総本社は、京都市中の北野天満宮だ。八瀬では、八瀬八幡宮社のほうが北野さんより早く建立されたと信じられている。道真は九州に流罪となり、その地で死んで怨霊となって都へ戻ってきた。まず向かったのは、仏教学を学んだ尊意という高僧のいる比叡山延暦寺だった。これは北野さんの縁起にもある。誰よりも頼った師のお膝元である八瀬に、最初の道真を鎮魂するお社が建ったというのは自然な筋書きに思える。しかし、八瀬天満宮社が総本社になることはなかった。

参道まで行くと、ちょうど神事が終わり、男たちの担ぐ2基の神輿が境内を出て、石造りの階段を下りるところだった。威勢のいい掛け声など発することなく、静かに下りていく。他所から見物にやってくる人はほんのわずかである。後世に伝わるのは、勝者の歴史だ。敗者は脇役に追いやられる。それどころか鬼にまで仕立てられることもある。道真の怨霊を鎮魂する総本社は、鬼の住まう地は避けたかったからかもしれない。だが、人々は集落に伝わる伝承を守ってきた。八瀬の男たちは江戸時代も髷を結うことなく、ザンバラ髪で通したそうだ。神輿は静かに集落へ入っていった。

八瀬八幡宮社を出て、神輿は参道から集落へ入っていこうとしている。

サンショウは京都の暮らしに欠かせない。春の「花山椒」は高級食材

サンショウはミカン科サンショウ属の低木。古くは生薬となった。若芽は「木の芽」とも呼ばれる。

神輿渡御から取り残され、歩きながらサンショウを探した。京都の人は料理にサンショウをよく使う。というより、京料理に古くから欠かせないものになっている。府内には各地にサンショウ農園がある。葉を昆布で和えて炊いたり、じゃこと合わせて炊いたりする。さらに実は粉にして薬味になる。京都の人は緑の山椒粉を鰻重だけでなく親子丼や衣笠丼にも掛け、うどんにまで七味唐辛子でなく山椒粉でいく人もいる。山里では自生しているし、家飯のためにひとつまみ取れるよう、庭木にしたり鉢植えをしたりしている家もよく見かける。

京料理には季節を問わずサンショウの葉がなにげなく添えられる。

北山の奥で料理屋を営む若い友人がいる。彼は仲間たちの獲ったシカを捌いて市中の料理屋に卸してもいる。珍しい山の幸を届けることもある。4月の初め、電話があった。山菜の様子などを話してくれたのだが、今はサンショウを集めているという。「花や! 花山椒とゆうてな、高級料亭が使うんや。黄色い花が咲く前の蕾を採る。若芽に比べて香りが優しいんや」と、かなりの入れ込みようだ。「花を採ってしまったら実がならんだろう?」と返したら、せせら笑われた。「知らんのか! サンショウは雄株と雌株があってな、花を採るのは雄株や。雌株は実を採るためにちゃんと花を残すねん」。

なるほど。京都では、4月はもとより、5月に入っても夜に薄ら寒くなる日がある。真夏日に近い日中に油断するとたいへんだ。祇園の料亭では鶏の水だきや牛鍋などに花山椒を入れ、2万円、3万円で出すそうである。花街は季節の先取りで競い合う。花の季節はなおのこと。姐さんたちも張り合う。この時期、姐さんたちの帯にも花がはんなり乱舞する。5月が近くなるとフジが終わり、ボタンとカキツバタになる。「フジはもう町中に咲きますやろ。まだ町に咲かない花を少し早めに。自然の花にはかないまへんからな。ふふっ」。美しさ比べで負けは許さない。腰が座っている。やはり高嶺の花だ。あきらめよう。花山椒は店先にあったが、大福が6つぐらい入るパックで花山椒を買おうとすると1万円ほどになる……。

祇園甲部歌舞練場にて。

横高山をよじ登って回峰行の道を歩いて帰る

祭りの日の5月5日は、八瀬では花山椒が終わっていた。神輿を見送った人が「少しならええよ」と門前のサンショウを採らせてくれた。若芽が両手いっぱい。それを袋に入れてザックにしまい、山に入った。比叡山の北にも上部に「京都一周トレイル」の東山コースが延びている。比叡山の周辺は回峰行の道だ。延暦寺の修行僧が古くから日々歩いてきた山道である。そこをたどれば拙宅の近くに下りていける。ただ、トレイルに出るまで登らなければならない。八瀬の集落から近い横高山の西面は地図に登山道が点線で描かれていた。しかし、ほとんど使われなくなった登山道だった。取り付いてすぐに踏み跡すらなくなった。そこからは難儀した。地図を見ながら尾根を外れないように急勾配を藪漕ぎである。

八瀬の集落の東側にそびえる横高山。山頂付近の東はなだらかで広々としていた。だが、そこから下は急勾配の藪だった。
延暦寺の西塔から東塔へ向かう回峰行の道。「京都一周トレイル」でもある。
トレイルは見晴らしのきくところが点々とあり、京都市中が見渡せる。

八瀬の人々は、延暦寺が開かれた後も比叡山で獣を獲ることや山菜を採ることは許されたそうだ。横高山は比叡山の北隣だから、その領域だったはずである。相当な健脚だったのだろう。わたしの山登りは2時間半ほどの格闘となった。山頂に出た後、トレイルを見つけてほっとした。そこからはいくつか緩やかな登りとなる箇所はあるものの、ケーブルカーの駅まで行けばあとは下りだ。延暦寺は広く東塔、西塔、横川と3つのエリアに分かれている。横高山からほどなく西塔に入り、石段を歩いて再び山道になる。そして東塔の手前から下山だ。夕暮れ直前、ようやく帰宅した。すぐに友人が来た。危なかった。晩の宴を約束していた友人を待たせるところだった。

銭湯で汗を流して晩の宴に八瀬のサンショウ若芽鍋

ふたりで銭湯へ行った後、宴の準備にかかった。その晩は、鶏の水だきにした。京都の人は「かしわ」といって鶏肉も愛している。鶏肉を専門にする肉屋もある。水だきは鶏ガラをじっくり煮込み、アクをとりながら白濁スープをこしらえる。それができたところで、サンショウの若芽を山盛り入れ、いったん蓋をした。そして、葉がしっとりしてきたところで蓋を開けると、爽やかな香りが立ち上がった。春冷えの夜に花山椒の鍋でしっぽりとはさぞや、と想像は高まった。しかし、5月の薄ら寒い夜に若芽鍋も決して負けていないと思おう。何より初夏にふさわしい清涼感だった。サンショウは目立つことはないがピリッとした辛味のうえ香り高い。八瀬のものだからか。八瀬の人々は鬼として社会の隅に追いやられても誇り高い。見習わなければならない。

サンショウの若芽を水菜と同じぐらいの量で入れてみた。炊き上げると清涼な香りが部屋中に広がった。

経路/叡山電車「修学院」駅→「八瀬登山口」駅→徒歩→八瀬の集落→徒歩→横高山→回峰行の道→延暦寺西塔→徒歩→「ケーブル比叡」駅→徒歩→水飲対陣跡→梅谷登山道→修学院

著者画像

藍野裕之

ライター・編集者

あいの・ひろゆき 1962年東京生まれ。東京と埼玉を転々としてきたが、50歳を過ぎて京都に移住。現在は京都の山に遊び、京料理に耽溺し、ときどき京都学を紐解く。著書は『梅棹忠夫』(山と渓谷社)、『ずっと使いたい和の生活道具』(地球丸)など。編集作品はビーパル本誌連載をまとめた山極壽一著『森の声、ゴリラの目』(小学館新書)、『出西窯と民藝の師たち』(青幻舎)など。

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