今回は東京都千代田区〜中央区にかつて存在した川の跡を歩く「龍閑川GREEN WAY」です。
- Text
21th ルート:龍閑川GREEN WAY
前回はこちら↓
この連載のFILE.6「末廣・笠間・暗渠GREEN WAY」で、浜町川の跡地=暗渠を歩きました。浜町川の暗渠もそうでしたが、川を埋め立てたり埋設したりした跡地は公園や緑道として整備されているところが少なくありません。
その一方で、暗渠が単なる細い道、路地となるケースもあります。もちろん、公園や緑道は歩いていて気持ちいいのですが、個人的には暗渠の路地にも得もいわれぬ魅力を感じます。
浜町川の暗渠を歩いて以降、街で路地を見かけると「ここって川の跡地…?」と考えるようになりました。地図で妙に真っ直ぐな路地を見つけると、「ひょっとして暗渠か…?」と思うようになりました。何かの症状なのでしょうか…?
今回は、そんな僕が見つけた神田周辺の暗渠をめぐります。題して「龍閑川GREEN WAY」です。
今回のターミナス(=トレイルの起点や終点となるアクセスポイント)は、神田駅南口です。駅から外に出て、写真を撮るために駅名標を見上げたら「南口(アースジェット口)」と記されていました。というか、「神田駅(アース製薬本社前)」となっています。
調べると、文字通りアース製薬の本社が神田駅のすぐ近くにあることから実現したコラボ企画で、南口以外にも同社の商品名がつけられている他、同駅の山手線の発車メロディがおなじみのCMソング「お口クチュクチュモンダミン♪」になっているとか。気づかずにぼんやり降り立ってしまったので、次の機会にちゃんと注意して聞くようにします。ちなみに、Googleマップでも「北口(モンダミン口)」などと表示されます。

早速、今回の目当てである龍閑川(りゅうかんがわ、竜閑川とも)の起点を目指し、「神田駅(アース製薬本社前)」から日本橋川方面へ歩いていきます。徒歩3分ほどで鎌倉児童遊園に着きますが、ここに龍閑橋の親柱(おやばしら)と橋桁が残されています。親柱とは、欄干や手すりの端っこの柱のことです。
龍閑川
1657年(明暦3年)に発生した明暦の大火の後、江戸市中は大規模な防火対策が敷かれ、当地には長さ八丁(約870m)の防火堤防が築かれました。さらに、1691年(元禄4年)には堤防の周囲に浜町堀(後の浜町川)と繋ぐ掘割が造成されます。新しくできた堀は「神田八丁堀」「白銀町堀」とも呼ばれ、日本橋と神田の境界になっていました。
この堀は幕末にいったん埋め立てられましたが、明治時代に水運の発展とともに浜町川を神田川まで延伸させるとともに、再び掘割されます。そして、この堀(川)の付近に井上龍閑という人の屋敷があったことから、龍閑川と呼ばれるようになったそうです。
龍閑川は、昭和20年代に再び埋め立てられます。その暗渠は、緑道などに再整備されているわけでもありません。それでも、かつての川沿いに痕跡がいくつか点在しているようです。今回は、70年以上前に姿を消した川の名残を求め、いつにも増してじっくり歩きたいと思います。

先述した通り、鎌倉児童遊園には龍閑橋の遺構があります。この橋は、1926年(大正15年)に造られた日本初の鉄筋コンクリートのトラス橋だそうです。そう説明されると、柵に囲われた古いコンクリート製のものが、急に立派に見えてきました。ともかく、龍閑川の痕跡を求めて出発します。

龍閑橋の橋桁のある公園からは、今川小路という細い路地がまっすぐ伸びています。ここに、かつて川(堀)が流れていたようです。気のせいかもしれませんが、何となく川の名残のようなものを感じます。

この路地をずんずん進み、JRの高架をくぐった先をさらに行くと、気になるお店がありました。「さくら」という自家製燻製料理のお店です。パッと見は小料理屋のようなお店構えですが、ワインなども豊富にそろっているそうです。さすがは神田、他にも路地裏においしそうなお店がたくさんありました。

「さくら」の少し先に、いかにも都会の神社といった感じの小さな祠が鎮座していました。
両社稲荷神社
創建は定かではありませんが、ここから徒歩2分ほどの場所にある福田稲荷神社とともに当地に鎮座したという両社稲荷神社(りょうしゃいなりじんじゃ)。江戸時代初期から、日本橋本町界隈の商人や町人に家内安全、商売繁盛の守り神として広く親しまれてきたそうです。こうした小さな神社がひっそりしっかり残されていると、その地域の懐の深さのようなものを感じます。

そのまままっすぐビルの谷間の路地を進んでいくと昭和通りにぶつかるのですが、その脇に龍閑川の名残を示すものがありました。地蔵橋公園の一角に建つ龍閑川埋立記念碑です。
碑には、なぜ龍閑川が再び埋め立てられたか、事情が説明されていました。防災や水運のために造成された龍閑川ですが、時代が進むと汚水が流れ込んで悪臭を放ち、ごみが捨てられるなど衛生的に好ましくない状況になってしまいます。
そこで、東京都は第二次世界大戦直後から、川底に下水管を埋設するとともに戦災焼残土を利用して埋め立てる計画を立案。1950年(昭和25年)に埋め立てが完了し、川の跡地は地域の人々に払い下げられたそうです。川に感情移入するなんておかしな話ですが、何だか悲しい結末に思えてなりません…。

龍閑川埋立記念碑から歩道橋を渡ると、地蔵橋南東児童遊園と地蔵橋東児童遊園が隣り合ってあります。地蔵橋東児童遊園の前には、神田八丁堀跡の碑がありました。そうです、龍閑川のベースになった神田八丁堀の碑です。案内板には、先述した神田八丁堀が造成された時代背景などが記されていました。

地蔵橋東児童遊園の先も龍閑川(の暗渠)を歩こうと思っていたのですが、一部が工事中で通れない様子でした。そこで、龍閑川から離れ、近くの十思(じっし)公園に向かいました。
十思公園
十思公園のある一帯には、江戸時代に伝馬町牢屋敷がありました。そのため園内には、ここで最期を迎えた吉田松陰の石碑、処刑の合図を知らせた「石町時の鐘(こくちょうときのかね)」などがあります。


実は、この連載のFILE.4「椙森・小網・茶の木GREEN WAY」でも十思公園に関連する伝馬町牢屋敷などについて説明しましたが、スタート直後で先を急いでいたこともあってサラッと触れただけでした。
そこで、あらためて十思公園に立ち寄ったのですが、もう十分に龍閑川の痕跡をめぐったし、今回のGREEN WAYの終点である小伝馬町駅もすぐそばです。十思公園に隣接して銭湯があったり、近隣にいくつか寺院があったりするのですが、それらはまた別の機会にします。

今から75年前の1950年に姿を消すことになり、しかも残念な事情で埋め立てられた龍閑川。でも、その流域には遺構や記念碑、案内板がまだちゃんと残されていました。
僕も歴史にあまり興味のなかった若いころは、記念碑なんて何の意味があるんだろうと生意気にも思っていました。でも、記念碑や遺構があると、その地域に積み重ねられてきた歴史を知ることができます。歴史を知ると、初めて龍閑川の跡を歩いた僕のような人間でも、その地域に愛着や思い入れを持てるようになります。何より、ただ漫然と散策するよりも、歴史的な奥行きを感じながら街歩きをした方がグッと面白さが増します。
…などと、いつになく真面目なことを考えたりしましたが、やっぱり暗渠の路地を歩くことにゾクゾクするような興奮を覚えます。うまく説明できませんが、何かの症状なのでしょうか…。
■今回歩いたルートのデータ
|距離約1.8km
|累積標高差約4m
今回のコースを歩いた様子は動画でもご覧いただけます。
●龍閑川GREEN-WAY









