
アユ、そして固有種のビワマスである。食材としては、いずれも夏が旬。甲乙つけがたいが、希少性ではビワマス。この魚、琵琶湖固有種とされてきたが長い間学名がなかった。それが今年、ようやくついた。この不可思議な物語を解説する!
希少性と濃厚で上品な味から「琵琶湖の宝石」と称えられる

琵琶湖・夏の味覚といえば、ビワマスである。琵琶湖の初夏といえばアユ、という異論もあるはずで、年間を通してアユは琵琶湖全体の漁獲量の4〜5割を占める。しかし、日本各地の清流にアユの名産地はいくつも数えることができ、いずれも甲乙つけ難い。その点、ビワマスはなんといっても琵琶湖固有種である。
成長すると体長50〜60cm、鮮やかな朱色の身で、上品な脂と濃厚な旨味をもち、その希少性もあって「琵琶湖の宝石」と呼ばれる。今年6月にビワマスに関して、注目すべきニュースが流れた。ビワマスに「新種」として新しい学名がつけられたというのだ。琵琶湖博物館6月27日付のプレスリリースを参考にして、ビワマスとは何者かを少し詳しく説明してみたい。

オホーツク海沿岸から朝鮮半島と日本にかけて、サクラマスというサケ科の魚がいる。富山で有名な鱒寿司の材料となっているマスといえば、ピンとくるだろうか。学名はOncorhynchus masouである。
学名とは、世界共通の命名規約にしたがってラテン語で生物種につけられる唯一の正式名である。学名は属名と種小名で構成され、必要に応じてそのあとに亜種名がつく(正確にはそのあとに、さらに著者名が続く)。サクラマスでいうと、Oncorhynchusが属名でタイヘイヨウサケ属、masouが種小名でサクラマスを示す。
後述のように他にも亜種がいるので、サクラマスと呼ばれる亜種であることを強調するときには、Oncorhynchus masou masouと書く。このサクラマスは、川で生まれた稚魚が海に降って回遊し、大きいものでは体長70cmほどにまで成長し、産卵期に川に遡上する降海型と呼ばれる生活史をもつ。
「渓流の女王」とも呼ばれるヤマメは、このサクラマスが海に降りずに川に留まる河川残留型あるいは陸封型という生活史をもつタイプである。ヤマメはサクラマスの亜種ではなく、まったくの同種であることに注意されたい。

ビワマスの近縁はサクラマス、サツキマスという降海型のマス
サクラマスの仲間で、西日本に分布する日本固有亜種がサツキマスOncorhynchus masou ishikawaeであり、属名と種小名まではサクラマスと同じだがishikawaeという亜種を示す名前がついている。
サクラマスよりは小型で、体長は35~50cm程度まで成長する。長良川河口堰問題で、反対運動のシンボルになったのがサツキマスである。河口堰がサツキマスの降海と遡上の大きな障害になることが、建設反対の大きなポイントになった。
このサツキマスの陸封型がアマゴである。陸封型のヤマメもアマゴも、降海型のサクラマスやサツキマスほどには大きく成長せず、比較的小型のまま一生を川で終える。
ヤマメとアマゴは姿かたちが似ているが、アマゴは神奈川県酒匂川静岡県側支流以西の本州太平洋側、四国全域、大分県大野川以北の九州瀬戸内海側の各河川に分布し、脇腹に小さな赤い朱点があることでヤマメと区別できる。



タイプ標本の間違いから学名がない状態になってしまった
さてビワマスであるが、ビワマスはサクラマスやサツキマスのように降海する代わりに琵琶湖に降りて成長し、川を遡上して産卵する生活史をもっている。1925年に米国のジョルダンとマクレガーによってOncorhynchus rhodurusと新種として命名されたものがビワマスだと信じられてきた。
そのいっぽうで、1930〜1960年代にはサツキマスと同種であると考えられて、ビワマスにはアマゴと同じ学名が適用されていた。
しかし、1970年代後半からアマゴとビワマスの比較が進んで、形態や生態、生理などに大きな違いがあることがわかってきた。さらに1990〜2010年代にかけて、遺伝分析によってビワマスが他のサクラマスの地域個体群と異なることが示された。
そんななかで1990年に木村晴朗博士の分類学的な研究で、O. rhodurusを記載するのに使った標本(タイプ標本という)がビワマスではなかったという指摘があって、ビワマスには学名がない状態になってしまっていた。
琵琶湖博物館の藤岡康弘・特別研究員らの研究では、近縁種のサクラマス(ヤマメ)、サツキマス(アマゴ)、ビワマスの新しい標本から核ゲノム分析をおこなって、交雑関係がない、つまりそれぞれの標本が正真正銘のサクラマス(ヤマメ)、サツキマス(アマゴ)、ビワマスであることを確認のうえ、詳細に形態を比較分析した。
その結果、ビワマスが他のサクラマスの地域個体群とは明確に区別されることから、琵琶湖固有の新種としてOncorhynchus biwaensisと命名・記載されたというわけである。
取材協力/滋賀県立琵琶湖博物館 ひさご寿司