
日本で唯一のプロハイカー・斉藤正史さんは、そんなシーニックトレイル全11ルートの踏破に挑戦中です。2024年9月から10月にかけては、アメリカ東部の「ポトマックヘリテージトレイル」と「ニューイングランドトレイル」に挑みました。斉藤さんによるアメリカのトレイルの最新レポート第31回をお届けします。
[New England Trail Day 6]
最後の最後までトラブルはありつつ着実にゴールへ
(前回のvol.30からの続き)
ティンバーランドとイーストリバーという2つの自然保護区を抜けると、トレイルもアスファルト舗装された道路に変わります。結局、イーストリバー保護区から1時間も歩かないうちに、ニューイングランドトレイルの起点、今回の僕のゴールであるギルフォード(Guilford)という街に着きました。
ギルフォードは、コネチカット州南部、ニューヘイブン郡のロングアイランド湾に面した街。ニューヨークから、列車で3時間ほどの距離にあります。
1639年にピューリタン(清教徒)が入植したことが、この街の始まり。入植者にイギリスのギルフォード出身の人が多かったことから、この街の名がついたのではないかと言われています。かつてのギルフォードでは花崗岩の採石が盛んで、自由の女神像やブルックリン橋の基礎にも使用されているそうです。

ゴールに向かってギルフォードの街を歩いていると、自転車に乗ったおじいさんに話しかけられました。彼はわざわざ自転車を降り、僕に向かってきます。今日でニューイングランド・トレイルを歩き終えることを伝えると、「そうじゃないかと思ったんだよ。おめでとう!」と自分のことのように喜んでくれました。
おじいさんは、ゴール後はどこで休むのかなどと質問を重ねてきます。そして、ゴールから僕が予約しているモーテルまで車で送っていくよと申し出てくれました。
ゴール近辺でのんびりしたいし、モーテルもそれほど遠くありません。僕がそう伝え、気持ちだけで十分ですというと、おじいさんは笑顔でOKといい、最後はハイタッチで別れたのでした。おじいさんのおかげで、晴れ晴れとした気分でゴールを迎えられそうです。
実は、ゴールに向かう途中のトレイル沿いに、宿泊予定のモーテルがありました。まだチェックインには早かったし、そこからゴールまで大した距離でもありません。でも、可能なら荷物を預けたいと思い、モーテルに立ち寄りました。
モーテルのフロントに行くと、愛想の悪いおじさんがいました。今夜の宿泊予約をしていて、荷物を軽くしてトレイルのゴールに向かいたいので余分なものを預かってほしい。
僕がそう伝えると、フロントのおじさんは「まだ早いけど部屋を使っていいよ、20ドルで」といいます。僕が「別に部屋は使わない、ただ荷物を預かってほしいんです」というと、おじさんは「じゃあ、10ドルでいいよ」といいます。
え〜と、少しの間、荷物を預かってほしいだけなんですよ。僕がやや強めの口調で繰り返すと、おじさんは「そこに置いといて」と告げ、どこかに姿を消しました。
…先ほど街中でおじいさんに優しい言葉をかけてもらい、温かい気持ちになったのですが、すっかり心が冷えてしまいました。このモーテルに泊まるのをやめようかとも思いましたが、キャンセル料を払うのも腹立たしいし、周辺にめぼしい宿泊施設もありません。
何の痕跡も残さずに立ち去るのもシャクなので、いわれた通りの場所に必要のない荷物を置き、再びゴールを目指すことにしました。

ところで、アメリカのロングトレイルは、それぞれ色の異なる長方形のマークがあります。vol.14で紹介したように、3大ロングトレイルのひとつであるアパラチアン・トレイルは白い長方形のマークです。また、vol.24で書いたように、LAUREL HIGHLAND HIKING TRAIL(LHHTトレイル)は黄色の長方形のマークでした。
そして、僕が間もなくゴールするニューイングランド・トレイルのマークは、青(水色)の長方形です。ギルフォードは、アメリカの郊外にある典型的ともいえるような雰囲気の街です。そんな街のあちこち、電柱や壁などに、やたらとニューイングランド・トレイルを表す青い長方形のマークが掲示されています。
僕が知る限り、いくらトレイル上にある街とはいえ、ここまで長方形のマークを目にするのは珍しいかもしれません。地図など見なくても、この青いマークを頼りに進んでいけば自然とゴールにたどり着けるほどなのです。

ゴールに向かって進んでいくと、住宅街に風格のある建物がありました。ヘンリー・ホイットフィールド・ハウスという建物です。
ヘンリー・ホイットフィールドは清教徒の牧師です。彼は、イギリスからの入植者を受け入れるため、ギルフォードの街が開拓される直前の1639年に、この家を建造しました。コネチカット州どころか、ニューイングランド地方でも最古の石造りの家だそうです。
ヘンリー・ホイットフィールド・ハウスは、1899年にコネチカット州初の州立博物館としてオープン。1997年に国定歴史建造物に、 2006年には州立考古学保護区に指定されました。何度も改修されているのでしょうが、築380年超の建物が住宅街に、それもトレイルのルート上にあるのも不思議というか驚きです。


ヘンリー・ホイットフィールド・ハウスから少し歩くとギルフォード駅があり、その先には高級住宅街がありました。住宅街を抜けると、チッテンデン・パークという公園の入り口が見えてきます。園内に進むと、ニューイングランド・トレイルの起点がありました。

2023年にコロナウイルスにかかって中断を余儀なくされたので、2年越しでのニューイングランド・トレイル全踏破の瞬間です。でも、先ほどモーテルで感じの良くない対応をされたからか、何となく気分が高まりません。
ゆっくりとトレイルのモニュメントを1周してみたり、記念写真を自撮りしてみたりした後は、特にやることもなくなりました。手持ちぶさたになり、そろそろモーテルに戻るかと思いつつ、見るともなしにモニュメントの柱の側面に目をやると、小さな看板がありました。ん?

その小さな看板には「ニューイングランド・トレイルのボードウォークはこちら」といった意味の英語と矢印が記されています。危ない…まだトレイル続いてる。帰らなくて良かった…。

本当のトレイルの終点であるボードウォークを案内する看板。もっと目立つものを設置しないと、気づかずに帰ってしまう人が多いと思います。
看板の矢印に従って少し歩くと、確かにボードウォークがありました。そこには、モニュメントも何もなく、ただベンチがぽつんとあるだけです。
そして、目の前には海が広がっています。つまり、その先はありません。まさしく、ここがトレイルの起点であり、終点です。
風に吹かれ、ぼーっと海を眺めていると、ようやくニューイングランド・トレイルが終わるんだという感情がこみ上げてきました。これで、シーニックトレイル6ルート目の踏破となります。
今回は2つのロングトレイルを連続して歩いたこともあり、大変な道のりでした。それもこれも、この美しい海辺にたどり着き、最後を迎えるために歩いてきたんだと感じました。いろいろなことが無駄ではなかったと心から思え、ボードウォークを後にしました。

この後、モーテルに戻る前にスーパーマーケットに寄り、いつもより少しだけ贅沢な食事と、いつもよりかなり上等なクラフトビールを買いました。そして、宿に戻ると、さっきの感じの良くないおじさんとは別のスタッフがいました。
洗濯しようと思ってスタッフに聞くと、「コインランドリーは隣町にしかありません」との答え。3日間も着続けて汗臭い服を、もう1日着なければならないのか…。
どうもギルフォードという街、というか、このモーテルとは相性が良くないのかな…。結局、「ゴールしたんだ」という思いにしみじみとひたることもなく、ニューイングランド・トレイル最後の夜はTシャツを手洗いしながら更けていくのでした。
◇ ◇ ◇
日本に帰国する飛行機は、渡米したときと同じボルチモア・ワシントン国際空港を利用します。トレイルを歩き終えたらワシントンDCに戻って観光でもしようかとも思ったのですが、アメリカの首都は宿泊料が軒並み高く、こちらはそんな贅沢をする余裕がありません。
そこで、ポトマックヘリテージトレイルを歩き終えてニューイングランド・トレイルに移動する際に1泊した、フィラデルフィアの安いバンクハウスで過ごそうと同じ宿に予約を取ったのでした。
フィラデルフィアからボルチモア・ワシントン国際空港まで電車やバスで2時間弱です。前回は街が明るくなる前にバタバタと移動しただけなので、あらためて少し観光しようと思いました。
ニューイングランド・トレイルを歩き終えた翌朝。フィラデルフィアに移動するため、予定の時間に合わせてギルフォード駅に行ったものの、目当ての列車が来ません。
特に遅延などのアナウンスもないし、駅の案内にも何も表示されていません。もしや間違えたのだろうかと不安がよぎります。
なすすべもなく、やきもきしていると、予定から1時間遅れで列車が到着。相変わらず、なんで遅れたのかといったアナウンスもありません…。時間に正確な日本の鉄道やバスのありがたみを感じていました。
ナショナルシーニックトレイル踏破レポのバックナンバーはこちら
※vol.26〜28で紹介したトレイルの様子は、下記の動画でもご覧いただけます。