【前回までのお話】
世界最高峰での鍋料理と「ホットサンドメーカー」の万能さに唸り……。
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三浦豪太の朝メシ前 最終回 BBF仲間がそれぞれ新天地に

プロスキーヤー、冒険家 三浦豪太 (みうらごうた)
1969年神奈川県鎌倉市生まれ。祖父に三浦敬三、父に三浦雄一郎を持つ。父とともに最年少(11歳)でキリマンジャロを登頂。さまざまな海外遠征に同行し現在も続く。モーグルスキー選手として活躍し長野五輪13位、ワールドカップ5位入賞など日本モーグル界を牽引。医学博士の顔も持つ。
"鳥のクチバシ"のような砂の半島=野付をMTBで走る
ある日、道北・道東を旅してきたというタンナカ君とS氏に呼び出され、札幌市内のとある焼き鳥屋で21時過ぎに待ち合わせをすることになった。僕はすでに夕食を終えていたので、軽く飲むつもりで店へ向かった。
ふたりは席に着くなりいった。
「道東はすごい! ラストフロンティアだ」
ラストフロンティアとは〝未開の最果て〟といった意味で、彼らは北海道に広がる無限の可能性を、興奮気味に語りはじめる。
見せてくれた写真には、遥かに広がる雪原。未開のフィールド、手つかずの自然、そこに自分たちの手で道をつくるというスケールの大きな話に、僕はただただ引き込まれていた。そんな話の最中、突然タンナカ君がいう。
「じつはゴウタさんに伝えなければならないことがある」
急に話の方向が変わる。
「今年の夏からベースを中川町に移そうと思っている」
「中川町???」
その地名の響きから、札幌の隣町かなと思い「それどこ?」と聞くと、
「道北にあって、稚内の少し南くらいっす」
「えぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜!!!!」
自分でも驚くほど間抜けな声が出た。
「それって、すっごく遠いじゃん!
どうすんの? 札幌のアパートは? ここでの活動は? BBF(朝メシ前)クラブは?」
矢継ぎ早に質問をぶつける。
聞けば、中川町の町おこしに誘われ、タンナカ君自身も中川町の魅力に強く惹かれたという。広がる原野、無限のトレイル、そこでつくる新しいフィールド。彼の目には、もう次の景色が見えているのだ。
タンナカ君の移住についてのショックが冷めやらぬまま、さらにS氏からも衝撃の告白があった。
「じつは僕も、6月から某スポーツ店の本社勤務になり東京に行く」
「えぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜!!!!」
まさに青天の霹靂とはこのことだ。僕は完全にパニックになった。
「もうこれでBBFは終わりだ〜〜」
BBFは、コロナ禍中に僕が札幌に引っ越してきたタイミングで結成された。夏の北海道で日の出前に集合しマウンテンバイク、トレイルランニング、滝スライダー、サーフィン、SUP、卓球など全力でアウトドアアクティビティーを行ない、その後それぞれが一日の仕事に向かう。なんの生産性もない活動だがこんなことを3年も続けているうちに、それがいつの間にか僕の生活の一部になっていて、次に何をしようと考えるのが楽しみになっていた。
それが、突然終わりを告げようとしている。
心にぽっかりと穴が空いたようで、しばらく下を向いていた。
するとS氏がいった。
「そこで提案だけど、BBF最後の思い出として中標津に行かないか?」
ひと晩考えた。彼らが札幌を離れるのは確かにショックだった。だが、そもそも3人は出身地も札幌にいる理由もそれぞれ違う。なのに3年間一緒にいられたことが奇跡に近いのかもしれない。そう考え、そして最後に北海道をみんなで旅したいとも思った。
目的地は道東・中標津町にある佐伯農場、その二代目、農場主の佐伯雅視さんに会いに行くというもの。なんでも佐伯さんは農場と牧場を経営しながらも独自のアウトドアフィールドをつくり上げているという。3月中旬、北海道はまだ肌寒い季節。タンナカ君の軽自動車に3人で乗り込み、意気揚々と出発した。
道東道をひたすら東へ。白糠町で降り、そこからは下道で中標津を目指す。ゆっくり昼食を摂り、白糠の海岸で記念撮影し、時折車から降りて雪解けの地面から顔を出したフキノトウを摘む。
「これ、佐伯牧場のバーベキューに加えよう」と、道草を多分に食いながら丸一日かけて、佐伯牧場にたどり着いた。
すでに宴会の準備は整っていた。農場主の佐伯さんと十数名は、巨大なバーベキューグリルを前に僕たちを歓迎してくれた。そこに大量の殻付きホタテ、食べきれないほどのジンギスカンが豪快に放り込まれ、地元のおいしいお酒まで準備してあった。
佐伯農場は1953年、先代の柾次さんが岡山県から入植。単身で中標津を開拓し、牛一頭から牧場を始めた。苦労を重ね、いまでは100頭規模にまで拡大。レストラン経営や美術館も手がける行動力のある人だ。
佐伯さんの活動の中で最も目を引いたのは「北根室ランチウェイ」というもの。北海道の魅力を歩いて伝えようと、自治体と交渉し、なんと70㎞以上のトレイルを個人でつくってしまった。山を切り開くための機材も自らそろえた。スケールが違う。
細長い野付半島の”端っこ”を目指す
翌日、佐伯さん所有のファットタイヤ付きマウンテンバイクを車に積み、野付半島へ向かった。
北海道の東端にあるこの半島は地図で見ると今にも消えそうな細く、まさに〝線〟といった風情。だが実際に足を踏み入れると、意外なほど広い。木一本すらない、吹きっさらしの荒野が広がり所々に池のような湿地が見られる。そこに白鳥の群れが羽を休めている。道の途中には小屋があり野鳥の観察小屋がある。湿地はラムサール条約登録地で、コクガンやオジロワシやオオワシなどが観察できるという。
途中の駐車場に車を停め、そこから自転車で走り出す。細長い半島ゆえに、両端に海をたたえる道はまるでモーゼが海を割る聖書の一説のようだ。自転車は野付半島の道路の終わりまでで、そこからは歩いて先端まで行った。
海と、緑ひとつない荒涼とした景色。ここは日本ではない。アラスカの海岸地帯といわれても信じてしまうだろう。北海道の魅力はまだまだある
帰路についたとき、「これが最後のBBFになるのか」と寂しさが押し寄せるかと思った。だが不思議と違った。道東を見て、まだまだ僕たちの知らない世界が北海道にはあると再認識したからだ。
BBFは、コロナ禍の中で燻っていた僕の冒険心を満たしてくれた。そして教えてくれた。冒険は独占するものではない。共有してこそ、その価値が輝くのだと。BBFの仲間たち、距離は離れても、それぞれがこれからも自分の冒険を続ける。そしてその道は必ずどこかで交わるだろう。
このコラム「三浦豪太の朝メシ前」は、ひとまずここで閉じることにする。いつか再開されるであろう……次の連載では、それからの冒険について書いてみようと思う。これまで当コラムをご愛読いただき感謝する。また会おう。

北海道の別海町と標津町にまたがる野付半島は、全長約26㎞の砂嘴。写真は湿地で羽根を休める白鳥たち。

野付半島をマウンテンバイクで走るBBFメンバーと佐伯さん(先頭)。

佐伯農場の農場主・佐伯雅視さん。
(BE-PAL 2026年4月号より)




