ここでは山登りや牛の乳しぼりができて、農場でとれたおいしいジャムとチーズまで堪能できると聞いてさっそく行ってみました。
どうして、アフリカの山奥にこんな町が?
今回はそんな知られていない「タンザニアのスイス」を現地在住ライターである筆者が紹介します!
赤土の大地から緑いっぱいの山々へ
「ここタンザニアに、まるでスイスのような体験ができる町があるよ」。
タンザニアに住むヨーロッパ人の友達からよく聞いていたこの「タンザニアのスイス」。アフリカにあるスイスっていったいどんなところ?スイス人がたくさん住んでいるの?町の住民の民族衣装がスイスのそれと似ているの?それとも、スイスのようにチョコレートとチーズがとてもおいしいの?と多くのハテナを抱えながら、興味しんしんでこの町を訪れてみました。
「ルショト(Lushoto)」と呼ばれるタンザニアのスイスは、タンザニア北東部のウサンバラ山脈の麓に位置する人口3万人ほどの小さな町。標高約1,400メートルの高地にあるため、年間を通して涼しい気候で過ごしやすく、この気候がここタンザニアで「スイス」と呼ばれる所以なのです。
なぜなら、タンザニアは赤道直下に位置するため、1年を通して月ごとの気温の変化があまりなく、年間を通じて蒸し暑く、最高気温が 32℃まであがることもよくある、そんな国だからです。
このルショトは、筆者が住むタンザニアの大都市ダルエスサラームから車で6時間ほど北上したところにありました。タンザニアらしい赤土が広がる荒野の風景から、だんだんと山が見え始め、あっという間にアルプスの中を走っているような緑色の景色が広がります。
早朝からの冒険
今回、タンザニアのスイスを訪れた私たち家族の一大イベントは、子供たちと一緒に牛の乳しぼりをすることでした。というのも、タンザニアでの暮らしでは牛との距離がとても近いからです。ビーチを歩いていたら牛の群れが散歩していたり、車を運転していたら信号ではなく、通りを横断する牛の群れに止められたりと、タンザニアでの生活において牛はとても身近。子供たちが毎朝飲むミルクが、普段の生活で目にするこの牛から届くいうことをぜひ見せたかったのです。
さっそく、宿泊先の宿に牛の乳しぼりをしたいことを伝えてみましたが、朝6時と午後4時の2回行われる本日のイベントはもう終了していました。ルショト滞在は1泊の予定だった私たち。明日の午後には出発しなければいけないため、ちょっと早いけれどもがんばって朝6時の乳しぼりにトライすることになりました。
「明日の6時ね、OK!場所はわかるよね」
「え?ここでできるんじゃないの?」
「ここから歩いて5分のうちの農場よ。すぐ近くだよ」
「行き方わからないし、宿のスタッフが連れて行ってくれないの?」
「じゃあ、明日の6時にここのレストランに誰かいるはずだからその人に伝えて。その人に行き方を詳しく聞くか、運が良ければ、その人が農場まで一緒に歩いて連れて行ってくれるかもよ」
運が良ければ!? 宿とこんなやりとりをして明日に備えます。翌日、朝が弱い夫を部屋に残し、子供たちを起こして眠い目をこすりながら、宿のレストランに行ってみました。すると、案の定レストランはまだオープンしてもいないし、スタッフは誰ひとりとしていません。
こんな森の中を小さな子供と3人だけで大丈夫かしら?と不安にもなりましたが、その心配をかき消すくらいの、緑いっぱいの景色と鳥の声に、気持ちを奮い立たせます。「歩いて5分なんて、あっという間につくよ」こう言い聞かせて、農場を探すプチハイキングが始まりました。
「こっちでいいのかな?」と子供たちと冒険を楽しみながら山道を歩くこと5分。すると通りが四方に交差するエリアに差し掛かりました。一体どこを進めば良いのかと迷っていると、バイクに乗ったお兄さんがあちらからやってくるではありませんか。
タンザニアでは、道で会った人にはあいさつをするのが礼儀、大切な文化です。ルショトのような村では、あいさつに15分くらいかけるそうです。そこで私はここぞとばかりに「おはようございます!」と 覚えたてのスワヒリ語でそのお兄さんを捕まえました。ルーカスという名前のその彼に、スワヒリ語とジェスチャーでこの近くの農場に乳しぼりに行きたいのだと伝えました。
早朝に子供2人を連れて歩いているこのアジア人女性を不憫に思ったのかわかりませんが、このルーカスさん、ヘルメットをつけたままバイクから降りて、あちらだよと言うように指をさし、バイクをひいて歩き始めました。よし、彼について行ってみよう!
ついに乳しぼり
その農場はルーカスさんと会った交差路から歩いて1分ほどにありました。農場に着くと、ルーカスさんが、勝手にゲートをあけて中に入っていきます。ルショトのような小さな町では、みんなが知り合いなのでしょうか。そして敷地にある小屋のドアを開けるとまさに目の前で、牛の乳しぼりが繰り広げられているではありませんか!
やったあ!ついに到着しました。まさに目の前で乳しぼりをしている最中のお兄さんがいて、早速、子どもたちと一緒に順番に乳しぼりをさせてもらいます。やっと見つけたこの現場!とテンションが高い母親とは対照的に、馴れていない牛のにおいに鼻を抑える娘。乳しぼりを楽しみにしていた息子は、実際にやってみたら思った以上に難しかったようで、こちらもテンションが下がっていました。
最後に、朝の忙しいであろう時間に農場まで案内してれたルーカスさんにお礼を言ってお別れ。宿までの帰り道がわかる今となっては、余裕な心もちで先ほどよりも大自然の景色を楽しむことができます。
「いやー、よくやったよね、私たち!」と満足している母親に、娘からの冷静な一言。「お母さん、道を教えてくれたルーカスさんに、ちゃんとチップはあげたの?」
まずい、渡していなかった。まだチップ文化になじめない母親でした。
宿泊先もまるでヨーロッパ
ルショトでのプチ冒険後のご褒美は、宿の朝食に出てきた手作りジャム。ジャムにこだわりのある友達に「こんなにおいしいジャムは食べたことがない」と言わせたほどの絶品ジャムが、この宿にあるんです。
ジャムの中でも特に人気があるのが桑の実(マルベリー)ジャムで、宿の朝食にもたっぷりとでてきました。他にもプラムジャムや料理にも使えるマンゴチャトニーなどが人気があります。
おいしいジャムがふるまわれたこちらの宿は、多くの友達がお勧めする『Irente Farm lodge』。
特に印象的だったのは、この町を訪れている旅行客のヨーロッパ人比率の高さです。宿泊した宿の朝食時には、レストランでスペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語が聞こえてくるではありませんか。ここでは、牛の乳しぼりの他にも、ハイキングやサイクリングなどのツアーも手配してくれます。キャンプ用施設もあり、キャンピングトレーラーの家族やテントを張る宿泊客も多くいました。
なぜアフリカの山奥にスイスが?
そもそも、どうしてタンザニアの山奥に、ヨーロッパにいるかのような体験ができる町があるのでしょう。その背景には、植民地時代の影響があります。実は、これは、植民地時代の名残なのです。タンザニアは、スイスではなくドイツの植民地だった時代があります。このタンザニアがドイツの支配下にあった19世紀後半に、ドイツ人たちが年中暑いタンザニアの暑さから逃れ、この住みやすい気候、緑豊かで絵のように美しい景色に目をつけました。
結果、多くのドイツ人が避暑地としてルショトを訪れるようになり、大規模な農場やプランテーションを築きました。そのため、今でも当時のドイツの影響を色濃く受けた古い赤レンガの建物など、当時のドイツの面影が随所に残っています。
目の前に広がる美しい山々を見ていると、年中夏の気候であるタンザニアにいることを忘れてしまいそうです。ぜひ、タンザニアでサファリを楽しんだあとの暑さに疲れた体を潤しに、「タンザニアのスイス」でひとときの休息はいかがでしょう?
タンザニア在住ライター 堀江知子
民放キー局にて、15年以上にわたりアメリカ政治・世界情勢について取材。2022年にタンザニアに移住しフリーランスとして活動している。著書に「40代からの人生が楽しくなる タンザニアのすごい思考法 Kindle版」。
世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員