かつてBE-PALには『自然を手でつかもう。』というキャッチフレーズがついていた。そんな1990年代後半の本誌に、「かいぼり」ではコイやライギョを手でつかみ、誘蛾灯ではゲンゴロウをつかみ、キャベツ畑ではアオムシをつかんでいた少年を主人公にした小説が連載され、読者のハートをワシづかみにしていた。その連載が四半世紀を経て、この度一冊にまとまり発売された。阿部正人・著『里山太平記ーー川猿が遊び尽くしたクヌギ林の5000日』(小学館スクウェア・刊)だ。
物語の舞台は、1970年代の北陸の地方都市郊外。白山連峰を遠くに望むこの新興住宅地に引っ越してきたボクは、同級生やひとつ上の先輩・ひとつ下の後輩などとつるんで、ヤダケの延べ竿づくり、エサみみずの飼育、虫で鵜飼の真似事……。 愉しいと感じたことはなんでもやってみる毎日を送っていた。そこには大人顔負けの創意工夫もあるが、たまにはやり過ぎての失敗もあった。友達を葛のツルで縛り上げたまま置き忘れてきたり、田んぼの用水路の土管くぐりで危うく死にかけたことも……。
ウグイやオイカワを手づかみするライターの”芸”から、連載は決定した。
BE-PALでの連載は1997年4月号から1998年10月号まで。当時の担当編集者・小坂眞吾によると、「連載以前、ライターの阿部さんには野遊びの指南役として特集などに何度もご登場いただいた。中でも印象に残っているのは、小川に肩までつかって岸辺の草むらの下に手を突っ込みウグイやオイカワを手づかみする”芸”。私が唖然としていると、『こんなことは子供の頃に毎日やっていた』というのです。そこで子供時代の野遊びを土台に掌編小説を書いてもらおうと考えました」という。こうしてまさに、自然を手でつかんでいた元祖”BE-PAL小僧”の自伝的小説が誕生した。
「周りから過去に生きる男と言われます。つまり”昔は良かった主義者”なので、釣りも旅も、いちばん楽しく感じた時を基準にする。現場が変貌すると悲観して不満を漏らしたくなる。連載した90年代は、長良川河口堰や諫早湾潮受け堤防問題が大きく取り上げられ、私の故郷の裏山が削られて大学が移転してきたりしました。ちょうど息子ができた時期でもあり、『オレの子供の頃はこんなだったんだぞ』という想いを強くしました。過去の黄金の日々に戻そうという意識で頭がいっぱいでした」と、阿部さんは当時を振り返る。
虫や魚を手づかみにして遊ぶ少年たちだが、そこには残忍さは微塵も感じられない。むしろそこにあるのは生き物が愛おしくてたまらないという純真で素直な少年の心だ。また、楽しく無邪気に遊んでいるような主人公がときに反省したり、しみじみしたりするシーンも随所に見られる。
”面白うてやがて悲しき……”という芭蕉のフレーズがこの本の挿し絵にもカバーのキャッチコピーにも使われている。著者の阿部さんによるとそれは、「払われた生き物たちの犠牲に対しての気持ち」なのだというが、この心境は本気で野遊びをする者なら誰もが感じるものであり、今も昔も、子供も大人も変わらない。この小説が単なるノスタルジーに終わらない、時代を超えて心を打つ読み物となっている理由はそこにある。
伝説となっていた版画家渡辺トモコの若き日の作品も蘇る!
連載では渡辺トモコ(当時は高橋トモ)さんの版画が大きく添えられ、それも人気の大きな要因だった。どこか憂いを含んだ作風の横に、軽妙・洒脱なコピーが刻まれている。
「『キャベツ畑でつかまえて』『青虫吐息』『にごり池 竹くらべ』『リュージュの伝言』は私の発案ですが、『獣道クール・ランニング』『私のカレイは左きき』は誰のアイデアだったか今ではまったく思い出せません。これらのくだらなすぎる文言は阿部さんと私の長電話から生まれました」(小坂)
渡辺さんによると生き物を主役に描き彫る時の留意点は、「写実すぎずデフォルメすぎず、自分の中の印象を大事にしていた」とのことだが、阿部さんによると(彼女はお父さんから)「綾瀬川でとった鯉を風呂で泥を吐かせて毎日のように食べさせられた。(中略)野趣に富んだ原体験が培った一画一刀が里山の一瞬一景を掘り抜いてくれた」(本書の『あとがき』より)という。いずれにしろ今や伝説になっていた版画家渡辺トモコさんの若き日の作品がこの本で蘇ったことの意義も大きい。
子供らをなんとか戸外に引っ張り出したい!
さて、平成の時代に昭和を振り返った連載が、四半世紀を経て新しく生まれ変わり、令和の読者に何を伝えるのだろう。著者から熱いメッセージをもらった。
「多様な遊びがこれでもかと溢れていて子供たちの頭の中も大変でしょう。しかし本来、生き物に向ける興味、好奇心、触れ合うことで知る喜びや悲しみ、自分が痛い目に遭ったりする体験は、子供たちが根元的に持ってる欲望ではないかと私は思っています。子供らをなんとか戸外へ引っ張り出そうと”昔は良かった主義者”は熱くなったりしているわけです。野に遊べ、川で叫べ、子供たち!」
最後にネタバレになるが、小説の中のエピソードをひとつだけ。
少年は学校のスチール机の中に筆箱を入れ、重ねた教科書の奥に隠し、複雑な地形を両手でなぞる。こうして魚を手づかみするシミュレーションにふけるのだ。
「魚の手摑みは、掌の触覚をむしばむ一種の感染症である。これに罹ると、四六時中なにかに触れていないと間がもたない」(「堰堤の黙示録」より)
せっかく新型コロナ感染者数が減ってきたというのに、この本のせいで新たな感染症患者が増えそうな気がする。
『里山太平記ーー川猿が遊び尽くしたクヌギ林の5000日』
著者:阿部正人 版画:渡辺トモコ 小学館スクウェア:刊
四六判・並製 本文184ページ 定価:本体価格1,400円+税
ISBN 978-4-7979-8858-1 2023年5月発売
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【著者プロフィール】
阿部正人(あべ まさと)
1962年石川県金沢市生まれ。九州は長崎育ち。川遊び、海遊び、投げ釣り、鉄道旅、バイク、旧式パチンコ台吟味と多彩な趣味とわずかな実益を兼ねる編集者、ライター。シュノーケルで川と海の連続水域を水中散歩する「汽水域漂遊会」主宰。1988年から『Fishing』に連載を始めて人気を得、その後『BE-PAL』他、アウトドア誌や釣り雑誌で活躍。主な著書に『初めての釣りでいきなり堤防釣り名人』(小学館・SJ MOOK)2008 など。
渡辺トモコ(わたなべ ともこ)
1970年埼玉生まれ。版画家・イラストレーター 。大阪芸術大学木版画研究室にて、木版画師一圓達夫(いちえんたつお)のもとで副手を務めたのち、関東に移り制作活動を続ける。現在は兵庫県丹波市の古民家に住み、自身の作品や、地域の農産物加工品、地酒や地ビールのパッケージなどの制作活動をゆったり行っている。BE-PAL連載当時は、旧姓・高橋トモで活躍していた。
渡辺トモコさんのホームページ