グアムの謎多き柱石遺跡「ラッテ」へ合いにトレッキングを敢行
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    2022.11.10

    グアムの謎多き柱石遺跡「ラッテ」へ合いにトレッキングを敢行

    先住民・古代チャモロ族が造った柱石遺跡ラッテ。これはグアムの北西部「ヒラアン(Hila’an)」または「サグア・マグアス(Sagua Maguas)」とよばれる地区のジャングルの中に現存する高さ約2.5メートルのもの。

    グアムには、紀元前約2000年ごろ小さなカヌーで広大な太平洋を渡って移住して来た先住民・古代チャモロ族が造った「ラッテ(LatteまたはLatde。“石という意味)」とよばれる摩訶不思議な柱石遺跡があります。

    こけしやエリンギのような形をしたラッテは、高さ1メートル以下の小さなものから大きいものだと6メートルを超すものまでさまざまで、重さは32トンを超えるものも。「ハリギ(Haligi、“柱”)」という柱石に「タサ(Tasa、“カップ”)」という頭石をのせた二重構造で、通常8〜10基が二列になって等間隔で並んでいます。

    今回はこのラッテの謎に迫ってみましょう。

    ※現地記者が2022年10月に取材した内容を基に構成しています。

    ラッテが移築された記念公園

    グアムで最も手軽にラッテを見られるのは、首都ハガニアの「エンジェル・レオンゲレロ・サントス元上院議員ラッテ記念公園」でしょう。ここにあるラッテは高さ約1.6〜2メートルで、グアム島内で一番有名なものです。

    これらはもとからここにあったものではなく、人が住まなくなった古代の村「メポ(Mepo」で1951年に発見された12基のうち、状態の良い8基が55年から56年にかけて移転されたもの。公園内のラッテは安全性を重視し、柱石ハリギと頭石タサが固定されています。

    自分の身長よりも高いラッテ群の間を縫うように歩くと、その迫力に圧倒されます。そしてまたこの8基の真ん中に立つとパワースポット的なエネルギーを感じられますが、ラッテには先祖の精霊・タオタオモナ(Taotaomo’na)が宿ると信じているチャモロ族の人たちは今でも柱石に近づこうとはしません。

    エンジェル・レオンゲレロ・サントス元上院議員ラッテ記念公園はタモン地区からレンタカーで25分ほどのところにある。グアムには列車やバスなどの公共交通機関はないが、旅行者向けに運行されているトロリーバス(1時間に1本)で公園の近くにあるショッピングセンターまで行くことが可能(バス停から公園までは徒歩10分程度)。

    透明度の高い海と真っ白なダイヤモンドサンドが拡がるビーチにあるラッテサイト

    でもどうせなら移築されたものではなく、造られた当時のままのものが見たいという方も多いかと思います。そういう方にお勧めなのがタモン地区からレンタカーで約1時間(旅行者向けのトロリーバスはありません)、島の最北端にある「リテクザン(Litekyan)」または「リティディアン(Ritidian)」と呼ばれる地区にある、約486万平方キロメートルのグアム国立野生動物保護区。

    最近舗装完備され、アクセスしやすくなった道路を進んだ先にあるリテクザンは、美しいビーチが広がる観光名所としても有名ですが、ビーチ手前の駐車場の背後に広がるタオタオモナの木(バンヤンツリー)のジャングルを歩いた先には、ラッテの立つ古代チャモロ族の村落跡への約1〜3キロの3つのトレイルがあります。どの道を通っても数か所で合計数10数基程度のラッテが存在し、その他にも井戸跡、土器や石器、北マリアナ諸島にしか生息していないマルバネルリマダラという青い美しい蝶を見ることができます。

    リテクザン地区のあちこちにある案内板にはラッテサイトまでのトレイルと距離が示されている。

    リテクザン地区にあるラッテの一つ。高さ約1.5メートルほどのものが間隔をあけて立っている。このジャングルには完全な形のラッテが数多く遺っているが、近く米軍施設が建つことが決まっているエリアが多く、別の場所への移転を希望する声があがっている。

    リテクザン地区のラッテのなかには一定間隔で対をなして平地に並んでいたのがはっきりわかるものもある。こちらは確認できるものだけで合計8基で、それぞれの高さは約1メートル。

    より本格的に楽しむなら「ヒラアン」地区へのトレッキングがおすすめ

    もう一か所ラッテを見るのにお勧めの場所はヒラアン地区。タモン地区からレンタカーで約15分(ここへの旅行者向けトロリーバスもありません)、マリンコードライブ=1号線を北上した先にある「タンギッソン(Tanguisson)ビーチ」にある駐車場が出発点です。

    ここからビーチに沿って北に15分くらい歩いたところに「マッシュルームロック」と呼ばれる奇岩があります。

    ラッテの頭石タサとよく似た形のマッシュルームロックの海抜は10メートルで、グアム島が形成された時に噴出された溶岩(石灰岩)の衝突によってできたものだと語り継がれている。だがラッテと異なり土台の岩と上部の岩とはくっついて一体化している。

    このマッシュルームロックが見られるヒラアンビーチに出たあと木々に付けられたマーカーを頼りに大自然の奥深くへと歩を進めると、タオタオモナの木やブナ、マングローブなどの原生林が生茂るジャングルのなかにラッテの群集が見えてきます。

    ヒラアン地区のジャングル内の木々に付けられたマーカー(ピンクとオレンジ色のリボン)を目印にして進んで行った先にあるラッテの一つで高さ1メートル以下の小さなのものがポツンと一基ある。この地区のラッテは巨大池やフィリピン海が近いため湿気を帯びて苔生しているものが多い。

    ヒラアン地区のジャングルで見ることができるラッテには、頭石タサがのっておらず柱石ハリギだけが倒れてしまっているものが多いのも特徴です。「兵(つわもの)どもが夢の跡」というもの悲しさも感じますが、その一方で何十トンもの巨石を採り運んで、苦労して積み上げて造ったラッテがなぜこのように放置されてしまったのかも謎です。

    倒壊したラッテも数多く見られる。

    タンギッソンビーチにある駐車場からこのヒラアン地区までは片道5キロ程度の道のりではあるものの、鬱蒼としたジャングルに覆われ、整備がなされていない中級者向けルートであるためトレッキングツアーに参加する旅行者がほとんどです。

    別の記事で紹介したNPO団体主催の「ブーニー・ストンプス(Boonie Stomps」のほか「グアム国立野生生物保護区(Guam National Wildlife Refuge)」のツアーに申し込めば手軽な金額で参加できますが、スケジュールが合わないまたは日本語のガイドを希望する場合、オプショナルツアー会社が主催するツアーに参加する方法もあります。

    ヒラアン地区でのトレッキング途中で立ち寄ることができる「ロストポンド(Lost Pond。“失われた池”)」という名の池。水面を覆う藻とそびえ立つジャングルに植生する木々に囲まれた緑豊かな「隠れオアシス」は大自然の陥没によってできた巨大な淡水池で、遊泳も楽しめる。

    こうしたトレッキングでは先住民であるや古代チャモロ族たちが作った大小さまざまな形のラッテ以外にも、彼らが使っていた井戸や石臼などの石器や土器、さらには洞窟内の壁画が見られるところもあります。ラッテサイトを訪れ、ぜひ彼らが海岸沿いの集落で暮らしていた「息吹」を感じていただきたいと思います。

    ジャングルトレッキングの途中で見られる古代チャモロ族が使っていた石臼。これはグアム北西部の「フィネガザン(Finegayan)」とよばれる地区にかつてあった古代の村「マグア(Magua’)」で発見されたもの。

    ラッテはなぜつくられ、なぜ放置されたのか?

    さてラッテがどんな目的で造られ、使われていたのかは現在もなお謎に包まれています。

    「墓石説」や「精霊タオタオモナのためのすみか説」など諸説ありますが、18世紀から19世紀にかけてグアムを訪れた旅行者によって描かれた絵画や20世紀初頭に撮影された画像、また近年インドネシアのボロブドゥール遺跡でラッテと思われる柱石の上に建造物がのっている壁画が見つかったことなどから、高床式家屋の「礎石説」が最も有力と考えられています。

    しかしラッテが造られたのはグアムの先史時代後期にあたる今から約1200年〜300年前。建設機械もない当時の技術でどのように採石・運搬をし、積み上げられたのかはっきり解明されていません。ラッテが礎石だとした場合、なぜそれが必要だったのか。そして今よりも頻繁に大型台風が島を襲い豪風雨が吹き荒れたであろう当時のグアムで、地面に直接ではなく礎石の上に丸太組みに葉葺(はぶき)屋根の家を乗せることで家が吹き飛ばされるリスクは高かったはずです。

    古代チャモロ族の高床式家屋「グマ・ラッテ(Guma Latte)」の復元図には8基のラッテが礎石として描かれている。

    ちなみにラッテはグアムだけではなく、北マリアナ諸島(CNMI)で広く発見されています。一例をあげるとテニアン島のハウス・オブ・タガ遺跡では高さ約6メートルのラッテ(タガストーン)が、ロタ島のアス・ニエベス石切場には溝に放棄されたままの長さ約8メートルの柱石ハリギと直径約2メートルの頭石タサが見つかっています。またサイパン島、パガン島やアギグアン島にもラッテ文化があったことが判明しています。

    これらのことから考古学者たちの間ではイースター島にあるモアイ像のように、氏族間のお互いの財力を示すためにどんどん大きなラッテが造られるようになったのではないかと考えられています。

    モニュメントのモチーフになるなど今も島の象徴だが

     グアムではラッテを今も島の大切なモチーフにしており、ラッテをあしらった建造物も島内のあちこちで見ることができます。その中で特に目を引くのは島内の人気景勝地「アデラップ岬(Adelup Point)」に建つ通称「ラッテ・オブ・フリーダム(リカルド・ボダリオ・ガバナーズ・コンプレックス)」です。

    島西部のパノラマビューが堪能できる高さ約24メートル、幅約4メートルの展望台は、76年3月米国建国200周年を記念して古代チャモロ族の自由と誇り高き遺産を祝うために計画されたものの、度重なる大型台風の襲来や資金不足により計画が大幅に変更され、34年後の10年3月31日にようやく完成したものです。

    ラッテ・オブ・フリーダムの建設資金の一部にはグアム島内の小学生がペニー=1セント硬貨を集めて寄付した3万7000ドルが含まれている。

    ほかにも自動車のライセンスプレート、スクールバスのバス停、商品ロゴやお土産品、アクセサリーなどさまざまなところでラッテが使われており、一部の島民が庭や玄関先に柱石を飾るなどチャモロ族のアイデンティティーの象徴になっています。

    米国造幣局によって09年から1年間鋳造発行された25セント硬貨の裏面にもグアム島の地形とともにラッテがデザインされている。

    なお、グアムの歴史家ウィリアム・ヘルナンデス氏によるとラッテとはチャモロ語で「石」を表す言葉なので、ガイドブックなどに記され、一般的に知られているラッテストーンという呼称は奇妙だということです。

    悲しいことに近年グアムの自然の中にあるラッテに、落書きやイタズラが目立つようになっているという話を聞きます。また沖縄から移転してくる米軍海兵隊基地の新設や米軍施設の拡張に伴い、そのエリアにあるラッテに一般の人たちがアクセスできなくなる問題も起こっていますが、先住民・古代チャモロ族の文化遺産をグアムの財産としてこれからも大切にしていきたいと思います。

    私が書きました!
    アウトドアガイド

    陣内 真佐子

    (じんない・まさこ)文筆家。19963月より家族と共にグアムに移住。グアム大学で3年半の学び直し生活を送った後、00年に米国永住権を取得しグアム政府観光局などに勤務。10年にはグアム政府公認ガイド資格を取得。現在はラジオ出演のほか、05年から手掛けている各種雑誌やウェブ記事の執筆や翻訳活動をしている。海外書き人クラブ会員。https://www.kaigaikakibito.com/

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